Archive for the 「 エントリー尺 」 Category

今年は、初めてテレビでライブ中継を見たのだが、これはこれで面白かった。(普段は会場に行ってるという意味ではなく、これまではニュースで結果を見るくらいだった。タイミングが合わなかったのと、普段テレビをあまり見ないことによる)

何となく必死にアメリカの経済を復活させようという気配がところどころに感じられたのは、気のせいだったろうか。

と、いうわけで、下記が受賞作品の一覧。すでにご存知の方も多いと思うが、King’s SpeechとInception(渡辺謙出演!)が最多の四冠、Social Networkは主要な賞を逃したものの、見事三冠に輝いた。

Best Picture King's Speech

詳細レポートはYOMIURI ONLINEなどに詳しい。

■第83回アカデミー賞全受賞結果
【最優秀作品賞】「英国王のスピーチ」
【監督賞】トム・フーパー「英国王のスピーチ」
【主演男優賞】コリン・ファース「英国王のスピーチ」
【主演女優賞】ナタリー・ポートマン「ブラック・スワン」
【助演男優賞】クリスチャン・ベイル「ザ・ファイター」
【助演女優賞】メリッサ・レオ「ザ・ファイター」
【脚本賞】「英国王のスピーチ」
【脚色賞】「ソーシャル・ネットワーク」
【撮影賞】「インセプション」
【編集賞】「ソーシャル・ネットワーク」
【美術賞】「アリス・イン・ワンダーランド」
【衣装デザイン賞】「アリス・イン・ワンダーランド」
【メイクアップ賞】「ウルフマン」
【視覚効果賞】「インセプション」
【録音賞】「インセプション」
【音響編集賞】「インセプション」
【作曲賞】トレント・レズナー&アッティカス・ロス「ソーシャル・ネットワーク」
【歌曲賞】“We Belong Together”「トイ・ストーリー3」
【長編アニメ映画賞】「トイ・ストーリー3」
【外国語映画賞】「イン・ア・ベター・ワールド」(デンマーク)
【長編ドキュメンタリー賞】「Inside Job(原題)」
【短編ドキュメンタリー賞】「Strangers No More(原題)」
【短編実写映画賞】「God of Love(原題)」
【短編アニメ賞】「The Lost Thing(原題)」

オスカー公式サイト
アカデミー賞@ウィキ

ツイッターでもつぶやいたのだが、印象的だったのは司会のアン・ハサウェイが豪華で美しかったこと、そして真ん中らへんで登場した女優のグィネスパルトロウが見事な歌を披露したこと、HYUNDAIのCMが妙に目立ってたこと、そして(全然関係ないのだが)篤志家が匿名で、貧しい場所を訪れて、最後に寄付をするというSECRET MILLIONAIREという番組のCMが面白そうだったこと、などだった。(単に普段テレビを見てないから、かも知れないが)







フリフリのドレスで踊ってみたり。。。


現在執筆中のウィキペディアンの憂鬱という小説は、ストーリー形式でウィキペディアについての内容と執筆(編集)方法を伝えながら、その裏と闇の部分についても描くという意欲作である。これまでビジネス書2冊しか出してない私にはなかなか重たいものであるが、もう長い間構想を温めてきたものであるので大事に書き進めているところだ。(出版時期や編集方針との兼ね合いもあり、ブログには少しずつしか更新しておらず、実際の本とはかなり内容が異なるだろう)

僕は本作を通じて、このウィキペディアなる存在について、広く一般の方々に認知をしてもらい、できれば客観的な視点から目を光らせて頂きたいと考えている。
緊張感を欠いた民主主義が衆愚政治に陥りがちなように、ネットの世界では特にその匿名性故に恣意的な情報誘導が行われることが多い。
実名か匿名か、というのはフェイスブックやツイッターを中心に行われている議論だが、これとは一つ下のレイヤーに匿名か記名制か、という議論があると思う。
ここで重要なのは、この(実名と異なる)記名制というシステムには情報発信に関する「履歴」が必須だということだ。ウィキペディアでは匿名での編集にはIPアドレスが表示されることになっている。つまり、これはアクセス場所を変えれば同一人物とは特定されないということだ。一方、記名制の執筆には他者とは異なるID(ハンドル)の取得が要求され、これはすなわち編集履歴の蓄積と開示を意味する。(場合によったら、これが粘着荒らしと呼ばれる事態を招くことにもなる)

参考:Wikipedia:進行中の荒らし行為

一方、下記のような行為は荒らしとはみなされないべきだとされている

(一部抜粋)

新規参加者のテスト投稿
新しいユーザが「編集」ボタンを見つけると、本当にページを編集することができるかどうかを試したくなり、それだけのために記事を編集することがあります。これは荒らしではありません…
初心者による、ウィキ・マークアップやスタイルの学習
一部の初心者ユーザは、wikiベースのマークアップ(書式)を習得するのに時間を要し、時に外部リンク、内部リンク、また特殊文字を作るために試行錯誤することがあります。
NPOV違反
既にある記事や、編集しようとしている内容が中立的な観点によるものかどうかはご存知の通り難しい問題です。時には熟練した投稿者でさえ、中立的な観点から外れる内容の編集を行ってしまうことがあります。
大胆な編集
投稿者の多くは時折、記事を改良するために大幅な編集・改訂を試みる事があります。あなたが書いた文章の大部分が除去される、ノートページに移動される、または編集の差し戻しがなされると、荒らしのように感じられるかもしれませんが、それは誤解です。
人為的なミス
時折、ユーザは正確であると確信できない内容を記事に加えることがあります…
いじめ・頑固・編集合戦の繰り返し
一部のユーザは、ノートページで話し合いを望んでいる他のユーザたちと合意できないまま、他のユーザに反対されている内容や方法での編集を繰り返し行うことがあります…
嫌がらせと個人攻撃
ウィキペディアには個人攻撃をしてはならない明確な方針があります。他のユーザへの嫌がらせは許されません。利用者ページの破壊などの嫌がらせは、完全な荒らしになります…

そして、メインのエントリーページではなく、人目につくことのないノートの部分では時折ウィキペディアン同士の激しい編集合戦の攻防が見られることになります。ここには、多くのドラマがあります。全て活字だけで進行するので、追いかけるのに抵抗がある人は多いでしょうし、興味をもたない人が大半でしょう。
ですが、これらを見て、彼らのやり取りを見物してみることにより、ウィキペディアについての考え方は大きく変わってくることでしょう。良くも、悪くもです。
冒頭にも書きましたが、僕はこのウィキペディアという大規模な集合知プロジェクトが、正しく機能していくには多くの人からの正しい認知を得る必要があると考えている。そして、この難解で深淵で、時にはごく軽薄な世界を描写するにはストーリー形式が一番だという結論に達したわけである。

と、こういうことだけを言っても、具体的にどういうやり取りが行われているのかについて、ほとんどの人はノーアイデアだと思うので、ここでは過去に起きた大きな議論の内、何人かの有名人物についてのエントリーを紹介したいと思う。もちろん、ご存じの方も多いとは思うが。ウィキの恐ろしいところの一つは、先程の記名制についての記述と被るのだが、その履歴がずっと残ることである。

まずは アゴラブックスの池田信夫氏、肩書きに始まり、いくつかの記述が「不正確」だということで、ご本人らしき方がウィキに登場して怒りのコメントを掲載されたことで話題になった。

池田信夫 エントリー (表)
池田信夫 ノート (裏)

ご本人とおぼしき方のコメント

私の名誉に関することで、こういう愚劣な議論が行なわれていることに憤りを感じる。「経済学関係の業績はない」って私の論文を読んで書いているのか。私が「経済産業研究所」に勤務していたのはなぜなのか、説明してみろ。池田信夫 2010年1月22日 (金) 16:11 (UTC)

前のエントリーで、(少なくとも日本版の)ウィキでは本人が登場して情報を訂正するのは差し支えないとされていることを伝えたのだが、一般的には本人がブログや公式HP上でそれについて触れ、その後ウィキのノートで同じ主張をする、という方法が取られることが多くなっているようだ。もちろんこれは本人を特定するのが難しいことによるのだが、有名人の方はウィキに対する正しい対応を知らないと泣き寝入りする羽目になってしまうので、間違いがあれば積極的にそれを修正して頂きたい(Wikipedia:ページの編集は大胆に)。もしくは、身近にいるウィキペディアンに助けを求めることだ。もっとも、ウィキペディアンが皆バッジをつけているわけではないので発見するのがそもそも難しい。(特に60名強しかいない管理者を探すのは至難の業だろう)

池田氏も、本件はブログでコメントしている。
2ちゃんねる化するウィキペディア

次に、「バカの壁」で有名な養老孟司教授

養老孟司 エントリー (表)
養老孟司 ノート (裏)

そして、何故かここに脳科学者の茂木健一郎氏が登場してくる。どうやらあまりに不正確で偏った記述が多いので「看過できない」事態となったらしい。

ブログエントリー 火山爆発 (茂木健一郎 クオリア日記)

(養老教授に関する下りを一部抜粋)

wikipediaに対する私の不満には、伏線がある。

今でもずいぶんひどいが、一時期の養老孟司さんに関する記述は全くのデタラメで、しかも底意地の悪い偏見に満ちており、無茶苦茶だと思っていたが、私が口を出したら余計混乱すると思って放っておいた。

その後、ノートであまりのデタラメぶりが指摘されて一部修正されたが、今でも公平を欠く記述であることには変わりがない。
英語版のwikipediaではあり得ない事態であろう。

しばらく前に、「バカの壁ハウス」を訪ねた時に、二人で庭の端に立っていた時、養老さんが昆虫の分布に関する研究についてお話されて、その後、「ぼくにしては珍しく論文を書くことにしたんですよ。ははは」と言われた。
何だか、ちょっと寂しそうだった。
それで、ボクは、養老さんはひょっとしてwikipediaの記述を読んでいるんじゃないかと直覚した。

養老さんに、そんな思いをさせていい気になっている輩どもが、許せないと思った。
どんな人でも、出っ張っているところと引っ込んでいるところがある。
養老孟司という人には美質や叡智があるから人気があるのであって、現在のwikipediaの記述は、著しく公平さに欠けている。

そして、当人の茂木氏のエントリーもなかなかすごいことになっている。過去ログが2ページにも及んでいる。

茂木健一郎 エントリー (表)
茂木健一郎 ノート 過去ログ1 2007年1月11日~2009年7月9日 (裏)
茂木健一郎 ノート 過去ログ2 2009年8月18日~2010年4月10日(裏)

元アスキーの西和彦氏の項目も、本人が編集合戦に加わり、とんでもないことになった例として記憶されている。

西和彦 エントリー (表)
西和彦 ノート (裏)

そして、その挙句の果てに彼がブログでウィキについて語ったのがこちらのエントリー その名も 「Wikipediaはネットの肥溜 – 西和彦」

何年か前にWikiとネットで喧嘩した。売り言葉に買い言葉で、どんどんエスカレートした。今でも僕の項目は編集にロックされている。知り合いの人は、自分でWIKIを書くのが良くないということで、友達に頼んで自分のWIKIを書いてもらっている。ほとんど自作自演の茶番劇みたいなものである。僕は、それは偽善であると思った。書くなら自分で書こうと思った。

「そんなに文句があるならマスコミに言ってみろ」と管理人か誰かに言われたので、週刊誌やテレビ局、NET NEWSなどに、いかに日本のWIKIを運営している人たちが腐っているかを話した。その結果はいまでもグーグルに出てくる。彼等は、そんなにニュースになるとは思っていなかったようだ。

その次に、「本国のWIKIの代表に言いつけてみよう」と、「シンポジウムするから来ませんか」と誘ったら、出てくれた。話を聞くと、アメリカの代表はまともな人であった。私はそのときに、変なのはWIKI本体ではなく、日本のWIKIを運営している人たちだということに気が付いた。そして、馬鹿らしくなって、そいつらとやり取りをすることをお休みしている。グーグルした結果を引用するだけで記事を書く人たちなので、中身が間違っていて、浅い、薄い、軽すぎる。今度、挑発されたら、また受けて立ってもいいかなと考えている。

僕たちの世代は新聞や本の「活字を信じるな」といわれて育った世界である。それが今ではネットになった。「ネットに書いてあることを信じている人はいない」と思うのは僕だけではないと思う。いいWEBもあれば、悪いWEBもある。今のネットは単一のWEBの全体集合だけでなく、WEBとGOOGLEがセットになっていわゆるWEBとして利用されている。そしてミニグーグルとミニWEBがWIKIではないか。だからWIKIはどこまで言ってもマイナーな存在であり続けるであろう。

問題はWIKIがPEDIAという接尾を使って、いわゆる百科事典のようなふりをしていることにあるのではないだろうか。その意味で、僕は昔2チャンネルのことを「便所の落書きみたいなもの」といったことがあるが、WIKIは「真実と嘘と無知と偏見と嫉妬と虚栄が混じったネットの肥溜みたいなもの」ではないだろうか。そして、それが日本にだけ起こっている現象であるということが残念である。

西氏は少しエスカレートしているきらいがあるが、僕もウィキはもう自分のことを「百科事典」と呼ぶことに問題があるという点では認識を同じくしている。
これだけの知名度と多くの支援で成り立っているウィキはもはやウィキであって、それ以外の何者でもない。どちらが上とか下とか、そういう問題でもない。百科事典だとかいうのは逃げ口上ではないか、あれだけ堂々と資金調達しているのだから、その姿勢を保てばいい。

これらは、冒頭の存命人物の伝記の「議論のあった存命人物項目」というところのほんの一例に過ぎない。ウィキはある意味毎日が戦争である。

そして、上記に出た方たちの何人かの共通認識が、「日本のウィキの特異性」である。もしかしたら日本ではウィキも「ガラパゴス化」しているのではないか?
そういう視点も、「憂鬱」では供給したいと考えている。 

どうだろう、ウィキについての見方が少し変わってきたのではないだろうか?(そんな方には、「ウィキペディアンの憂鬱」をご一読することをオススメします 笑)


フェイスブックやツイッターだけじゃない、ソーシャルメディアの今と未来について知りたい方はこちらをどうぞ。
あなたの周りの「プロ」は実は本当のソーシャルメディアを知らない、かも…

ウィキペディアでは原則として、自身や自身に関連した項目、あるいは自分の専門分野などについては編集すべきではないというルールがある。(ウィキの編集ガイドラインには一見言葉遊びのように見えるような表記も多いので、ここでは少し言語を分り易いものに変更しました)

ここで問題になるのは、自分自身あるいは自分が代理するような人物について、何か不適切な表記や誤った情報が記載されているのを発見した場合です。
今回はその対応について説明します。

下記は表題の通り Wikipedia:存命人物の伝記 という項目からの抜粋です。

「存命人物の伝記」の執筆時には特段の注意を払わなければなりません。「存命人物の伝記」には一定の配慮が必要であり、また下記の基本方針を厳守しなければなりません。

* Wikipedia:検証可能性
* Wikipedia:中立的な観点
* Wikipedia:独自研究は載せない

記事は「正確な」ものでなければいけません。特に、その人物の生涯の細部については、信頼性の高い参考資料だけを用いるべきです。存命中の人物に関する否定的な情報で出典の無い、あるいは貧弱なソース(情報源)しかないものは、項目本文およびノートから即刻除去するべきです[1]。 これらの基本方針は伝記以外の項目における、存命人物の記述にも適用されます。

方針の位置づけ(一部抜粋)

2009年4月に、存命中の人物の伝記に関するウィキメディア財団の姿勢を示す決議が採決されました[2]。この文書は、決議で勧告されているように、存命人物を解説する記事について、中立性と検証可能性について特別の注意を喚起するポリシーです。

ウィキペディアの記事は、検索エンジンによる検索結果の上位に現れる機会が増えました。これは同時に、記事の当事者の雇い主や同僚、友人、隣人、知人といった当事者の生活に影響を与えるような人たちが、当事者についての記述をウィキメディアのサイト上で探し当てる可能性も増えたということでもあります。存命中の人々に関する記事については、中立的な観点に立ち、情報源をきちんと挙げて確かな解説を行うといったことについて編集コミュニティの責任も大きくなっています。

そして、もしもあなた自身の記事について何か誤りを見つけた場合は直接対応することが可能です。
これは下記の項目で説明されています。

本人を情報源にする場合

記事の執筆に本人が参加するケースがあります。本人自ら編集したり、対象となる人々の代表が編集したりするかもしれません。彼らはノートやメールでウィキペディアンに連絡してくるかもしれません。あるいは、プレスリリースや個人のウェブサイト、ブログ、自伝などで情報を提供するかもしれません。当事者提供の情報と記事本文のソース無しの記述が矛盾する場合、出典の無い記述は取り除かれねばなりません。

下記のような場合、当事者提供の情報を記事に加筆しても構いません。

* 情報に当事者の知名度に釣り合うような重要性があること
* 論争が起きやすくないこと。
* 不当に本人に都合よく書かれていないこと。
* 第三者に対する主張や当該人物に直接関係ない出来事に関する主張を含まないこと。
* それが、確かに項目当事者自身で書かれたものであること。

* 本人のブログや個人サイトは、たとえ出典として用いなくても、外部リンクや参考文献にリストして構いません。

当人はプライバシー尊重を望んでいると推定する

ウィキペディアは芸能レポーターでも、スクープ記事でもありません。存命人物の伝記は、慎重に、かつ当該人物のプライバシーに配慮して書くべきです。」

重要な項目の一つが「誕生日」、つまり年齢についてです。ウィキの人物伝にはたいてい誕生日が記載されていますが、これは本人や所属団体が公的なプロフィールとして発表していなければ、削除する権利があります。これについては下記の項目が示すとおりです。

誕生日のプライバシー

ウィキペディアには著名人の正確な誕生日が載っていることがありますが、ほとんどの存命人物の場合、この情報を記載するには注意が必要です。

多くの存命著名人の誕生日は一般に公開され広く知られていますが、それほど著名で無い場合は必ずしもそうとは限りません。

「なりすまし犯罪」が増えつつある中(identity theft: [1])、正確な誕生日は個人情報であると考える人が増えています。

その人物が著名であるかはっきりしない場合、あるいは、項目対象になっている人物からその誕生日の公開について苦情が寄せられた場合、安全側に倒して誕生年だけ書くようにしてください。

そして、ご自身についての記事を修正したいと考える場合には下記のガイドラインを参考に訂正してください。自身の名誉を守るためにも重要な権利です。
もしかしたら、あなたのことを意図的に貶めようとする存在がいて、編集をしているのかも知れないのですから。

ウィキペディアは本人による項目の新規投稿や既存記事への加筆は思いとどまるよう勧めますが、不正確な記述の修正や、不正確、あるいは根拠の無い記述の除去は歓迎します。

IP編集者が存命人物の記事を全部または一部消去する場合は、注意深く判断しなければなりません。項目の個人が特に著名なわけではない場合、そういう編集は「通常、荒らしではなく」項目当人が偏ったり不正確だったりする記述を取り除こうとしているのです。「最近更新したページ」を監視している人などは、こういう場合、誰を相手にしているのか、注意深く確かめるべきであり、挑発的な要約を書いたり、「荒らし」テンプレートを貼ったりすることは避けてください。

そして、事態がもしもあなたの手に負えないようでしたら、下記の項目を参考に、ウィキペディアン(ボランティア)に助けを要請してください。
電話はNGですが、メールによる連絡が可能です。
あなた自身に関する記事の扱いについて

あなた自身に関する記事に疑問や問題がある場合は、info-jaチームにメールしてください。あるいは、そのページの編集者にこのガイドラインを示してください。ガイドラインの遵守を求める上で助けが必要なら管理者に連絡してください。
Wikipedia:管理者への依頼」を参照

特に面白いと思ったのは下記の項目。確かに新人ウィキペディアンに対する指導は、時に厳しすぎるように思えることがしばしば。愛のムチと取れなくもないんですがね(苦笑)

Wikipedia:新規参加者を苛めないでください

ウィキペディアは熱心な参加者の努力だけではなく、匿名を含む多くの新規参加者の貢献によって、現在の姿となりました。新規参加者は、ウィキペディアにおける将来の重要なメンバーたりうる大切な人材でもあるのです。コミュニティにおける彼らの価値を理解しましょう。

新規参加者には、親切に、礼儀正しく、そして根気を持って接しなければなりません。なにか理由があったとしても、彼らに敵意を向けてはいけません。この事ほど、新規参加者を怖がらせ、ウィキペディアへ関わるのを避けさせてしまうことはないのです。

つまり、新規参加者を減らそうとすれば、威嚇して彼らが近寄りがたくしてしまえばいい、ということになりますね。
相手がそういうつもりではなくても、そういう気持ちで執筆の道を断念する新規参加者も多いことでしょう。。。

全てのウィキペディアンのみなさんに、もう一度下記の項目を確認頂きたいです。原則、原則、と大声を張り上げる前に。。。

新規参加者に忠告する際には、ウィキペディアで通常使われている落ち着いた口調から、さらに和らげた話し方を心がけましょう。新規参加者が、真に歓迎されていると感じられるように接しましょう。

新規参加者はウィキペディアの役に立ちたいと思っているはずです。我々が行っている編集の習慣をまだ知らないからといって、それを知りたくないと思っているわけではありません。ですから、学ぶ機会を与えてあげましょう! 我々だって、かつては新規参加者だったのですから(自分は最初から経験者だった? 確かに、同様のウィキに参加したことがあったり、最初の編集を行う前に全ての資料に目を通してルールや習慣を理解してしまうような人もいます。しかし、だからといって「普通の」新規参加者を見下していいわけはありません)。

意力のスポンサーでもあり、世界中で多くのトッププロ・ゲーマーが愛用するRazerは、多くのプロゲーマーをスポンサーすることでも知られている。
先日も韓国でも最も有名なプロゲーマーの一人SlayerS_BoxeRをスポンサーしたばかりだが、今度は女優で歌手でもある台湾人プロゲーマーLinda “Pikachu” LiaoがTeam Razerに加わったとRazerの公式Facebookページで発表された。
公式プレスリリースはコチラ

Linda ‘Pikachu’ Liao Joins Team Razer
Razer公式サイト内のインフォページはコチラ
ギャラリーページはコチラ

Linda "Pikachu" Liao

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英語と中国語のインタビュー動画 

さすがにアイドルらしく、GoogleやYouTubeで検索すると彼女の画像や動画は他にもいろいろでてくる。これでゲームも凄腕ということだからすごい。

ニックネームは「ピカチュウ」という可愛い名前だが、彼女の戦績は堂々たるものだ。主なゲームはスタークラフトII。

下記はMixi内のRazer Japan公式アカウントにアップされた日記のエントリー
尚、MixiではRazerから公認された(準?)公式コミュニティも存在しており、只今メンバー増加のキャンペーンを行っている。(上記のアカウントでもマイミク募集をしているので、Razerに思い入れのあるMixiユーザーの方はぜひともご登録頂きたい)

RazerJapanのエントリー

「セレブというのは、とても忙しい毎日を過ごしてると思いますよね。
サインをしたり、メディアに対して挨拶をしたり、ファンを喜ばすイベントをしたりとか。
でも、ご存知ですか?
私たちのチーム・レーザーにも新たに、そんなセレブなメンバーが加わりました。

スタークラフト2の、とくのProtossのプレイで知られるこの女性セレブゲーマーの名前はLinda
“Pikachu”Liaoさんと言います。彼女はマルチな才能をもつセレブで、ゲームでもあなたを負かしてしまうことでしょう。私たちは彼女をチームに迎え入れることができて、とっても嬉しく思っています。

Linda Liao (リンダ・リャオ)は台湾人のアーティストとして知られています。
そして、セレブである以上に、彼女はプロのゲーマなのです。
彼女はSCIIで2010年初頭から優れた実績を残してきており、その情熱溢れるプレイでESL(Electronic Sports League)のSCII女性部門で優勝に輝いています、その大会で彼女は31名もの他の並み居る強豪を倒してチャンピオンの座に輝きました。

リンダのコメント
「私はもう長い間Razerの製品を利用してきています。彼らは最高のゲーム周辺機器をつくっていて、私のプレイを手助けしてくれるんです。」
「私にとって、Razerとのコラボはお互いに取ってとても利益のあるものであり、Razerの公式チームに参加できるなんて、まさに夢のようです!」

欧州でのゲーム体験を除いても、800のラダーマッチをこなしてきた、リンダのStarCraftIIでのプレイ記録はとほうもないものです。 ちなみに彼女のAPM(Actions Per Minute)は220です。

Linda ‘Pikachu’ Liaoのゲームにかける意気込みは彼女をアジアのSCII界でダイヤモンドランク1位に輝かせましたが、それでも彼女には不足なようです。もっと多くの勲章を求めて、彼女はこれからも世界の大会に参加し続けていくことでしょう。

彼女についての詳細な情報はコチラでご確認頂けます。」


フェイスブックやツイッターだけじゃない、ソーシャルメディアの今と未来について知りたい方はこちらをどうぞ。
あなたの周りの「プロ」は実は本当のソーシャルメディアを知らない、かも…

いくつか仕事で作った割には、個人のをもってなかったのですが、個人用のページも作成してみました。
本アカウントは今のところ直接のつながりがある方のみとなってますので、よろしければ代わりにこちらをご訪問ください。

ちなみに、FBページのURLの一部が重複したりすることがあります。その場合は、一度HomeからFacebook.comのURLに戻ったのを確認した上で、検索窓からサーチすると最短のURLが出ます。(他にも方法あると思いますが、私はいつもこの方法を利用してます)

しかし、公式サイト(Ning)にツイッターに、ブログに、SNSにとやることどんどん増えますね(苦笑)
恐るべしソーシャルメディア時代、うまく使い分けを考えないと。

FBのほうはちょこちょこ更新していきます。

著書の購読を通じて、ブログに起こし頂いたAkikoさんから大変すばらしいコメントを頂いたので、下記に全文をママ転載いたします。(見やすくするための改行はこちらで行いました)
ソーシャルメディアの革命は、まずはみんなの心のなかに起こるものなのかも知れません。
読む前に、この内容に関してご本人を傷つけるような発言や行動を直接しないと約束してください。(弱い者いじめは大嫌いです)
名前を晒してこういう発言をすることがどれだけ難しく勇気を必要とすることなのかを考えて、感じてみてください。
代わりに、コメントは私が受け付けます。

(以下コメント全文)
こんにちは、立入様、大前晶子です。twitterではいつもお世話になっております。
立入様の幼少の頃の生い立ちについて激白されておられましたので、私もすこしばかり・・・。私は香川の引田町という小さな田舎町に生まれました。母親は私が2歳のときに蒸発し、以来顔を見たこともありません。父親は指定暴力団員でした。祖母はそのようなことにかかわらせたくないという思いから私たち姉妹を養女としてひきうけました。祖父は韓国人です。一生を祖母とそいとげましたが、祖母は生涯、祖父を自分の戸籍にはいれませんでした。好きだったにもかかわらず、いつも‘韓国人は、韓国人は’と文句をいっておりました。奇妙な関係です。祖父の名は金斗石と申し、55歳を超えた時やっと日本名、鳥飼正治とかかれた健康保険証をうけとりました。あまり喜びをあらわにしない人でしたが、その時ばかりは本当にうれしそうでした。
祖母の二人の息子は破産したり生活保護をもらったりで、昨年祖母が亡くなった時も何もすることができず、私と妹そしていとこの三人で葬儀をとりおこないました。

私は子供の頃、祖父が韓国人であること父が暴力団員であることはだれにも言うなと言われていました。また大人になり付き合った人にうちあけたときもどうしようもない反応ばかりでした。しかしこれもおかしな話ですが、私は祖父が韓国人であることを誇りに思っていましたし、暴力団であるのに父を誇りたかったのです。祖父の血の影響か、私は愛国心の少ないものでした。いつも海外に目が向いていました。ですが私には海外に行くという選択をしませんでした。経済面もそうですが祖母をどうしても幸せにしてあげたかったのです。祖母の唯一の願いは家族皆が仲良く一緒に暮らせること、ただそれだけでしたので私は最終的に6 年前に田舎に帰り、最後まで祖母といっしょにいました。中学の時から何度も生死の淵をさまよっては復活するという人でしたので私たち姉妹は唯一の頼みの綱をなくすおそれにずっととらわれ続けてきました。そこで私はこういう恐れにとらわれないようにとクリスチャンの道を選びました。以上がかるい生い立ちです。

ところでレスが少なかったとありましたが、私はそうは思いません。立入様の真摯な言葉には同じく真摯にレスをするために少しの時間を要しているということだと思いますのでこれからではないでしょうか。
さて、最初の英語教育に付いてですが、私は数年、この田舎で塾の講師や家庭教師をやっており、気付いたことを述べさせていただきます。私が教えている皆は言葉は悪いですが非常に学力の低い子供たちばかりです。皆必死で目の前にある課題や宿題を処理しようとしていますが自発的に興味をもって解決する意識が皆無です。しかもその親たちも同じく質より量を要求します。2時間の授業で5教科をまんべんなくしてくれ、宿題をもっともっとだしてくれ、という具合です。家庭教師を雇うので少しは裕福かと思えばそうでもありません。子供が塾の皆とうまくいかないからというのです。家事手伝いをしている様子もありません。家は非常に汚いのです。トイレは恐ろしく汚いです。基本的な教育がどうも今の日本ではなにやら昔と違うような気がします。
また、英語教育というより、海外に興味を持っている子供がいません。私たちの世代の方がましだったように思います。これはやはり、身近にいる外国人が少ないことと、彼らが広い意味で地域の中で活躍できないことが原因だと思います。せっかく海外の方が近くにいても、日本人がその方達の行動を制限しているのです。

こんな田舎ですが多くの中国人、韓国人が労働者としてここに来て安い賃金で働いています。私の前に働いていた会社では派遣された中国人の女の子が他の会社の中国人の男の子と外で話をしていたというだけで、市営住宅の風紀が乱れるとのクレームを受け故郷に返されました。泣きながら車に乗った姿が目に焼き付いています。また、団体行動を強いているため、横断歩道の渡り方まで厳しく指導する始末です。私の中は大きなクエスチョンマークと怒りがいっぱいでした。彼らから何かを学ぼうという姿勢がなかった上、自分たちのやり方ばかりを押しつけます。しかしこれは何も外国人に対してのみおこっていることではありません。多様化を認めない日本人の姿勢はもともと日本人自身に対しての姿勢であり、それが今は外国人に対して顕著に顕れているにすぎないと私は思っています。日本人論的なクリシェな意見で私の意見にはならないでしょうが、やはり現状は相も変わらず昔のまま維持されています。
また教科書にも問題があるのも確かです。事実の羅列に過ぎない歴史教科書ですが非常に危険な面をはらんでいます。第二次世界大戦については軽くふれられるだけにとどまり、私たちが行ったことをあまりにも軽く書きすぎています。南京大虐殺の言葉は出てきますが子供たちが覚えるのは名前だけにとどまります。反日プロパガンダについていえば、彼らが訴えているのは歴史の事実です。彼らの目が見た歴史上の事実です。私達がそれをきちんと教育することが、いったい今の日本にどのような害を与えると言うのでしょうか。何を隠そうと言うのでしょう。それを隠せば日本が良くなるとでも本気で考えているのでしょうか。‘こういう見方もある、ああいう見方もある’と言うことを教えることが一体誰を脅かすと言うのでしょうか?

国の為に戦死した兵士たちの威厳を守るため、国の尊厳を守るため、戦後すぐには、あまり公にしてはならない出来事ではあったかもしれません。終戦になったからといって、はいそうですかと考え方まで変えることは到底できなかったと思います。そのため当時にこのような事実がふせられたことは仕方がなかったことかもしれません。問題はそこからはじまっていますが、しかし、本当の問題は、それが今でも正しと思っている人間が日本にいるということです。もしくは、どちらでもいいと思っている人がいると言うことです。また、良くないと思っていても自分の問題と捉えていない人がほぼ全員だと言うことです。

>あなたの周りで、日本語を話す中国系や韓国系の方々をこれまで何人くらい見ましたか?
最初は話すことはできませんが彼らは必死に勉強しています。そして必ず話せるようになって故郷に帰ってゆきます。

>では、あなたの周りで中国語や韓国語を駆使してネイティブと対等にコミュニケーションをとっている日本人をこれまで何人くらい見ましたか?
いません。ちなみに私の祖父は7歳の時に日本に来て以来日本語のみで生活していました。私が子供の時祖父が国際電話で韓国語を話しているのを聞いて私はすごいと思い尋ねました。‘なんでしゃべれるん?すごい、韓国語しっとん?’‘わからんけど、韓国に行って何日かしたらしゃべれるようになった’・・・おそらく子供の時に聞いた両親の韓国語の影響もあったのでしょう。しかし祖父はそれをまったく自慢しようとせず、逆に隠しておきたいようにも見えました。私は祖父から韓国語を習いたい気持ちをぐっとおさえました。

>では、あなたの周りで、英語を駆使して世界と対等に渡り合うコミュニケーションをとっている日本人の名前を何人挙げられますか?
皆はげしくへたくそですが毎日英語が聞こえる会社にいます。パート勤務ですが、これはまだましです。
「顔が見えない日本人」、「出る杭は打たれるという文化をもつ日本人」
大事なのは、日本人はいったいこれを改めるつもりがあるのか?ということです。 

立入様のおっしゃるとおり、まず意識改革が必要です。
今のtwitterで明らかなことは、それでも多くの人たちがしっかりと自分の意見を持っている、ということです。皆明らかに主張しています。しかし問題は、‘リンク’されていないことだと私は考えています。自分の中では問題意識を持っていても先に書いたように、教科書については間違っているというリンクづけができない。私自身の意見として、SHAREを実現するために本当に必要なことは、様々な事柄を360度の角度からリンクさせることだと考えています。そして自分に結びつけることだと思います。ですので立入様が述べる、もし、自分の家族が危うくなったらと言う質問は、人々にリンクの概念を喚起させるもっとも良い質問だと思います。エジプトの民主運動は、このフェイスブックをとおしたリンクに本当の意味でのリンクがつながった大革命でした。

立入様が心に求めることは皆意外と心に持っています。だそれを具現化する立入様のリーダーとしての役目が非常に重要であることについて、私は応援したいと思っているのです。フェイスブックを通して人が人を判ることができればそれこそどんなにすばらしいですか?これはフェイスブックなしではなりたたないのです。今のところ日本人は皆顔を出しては話しません。でも毎日本当に意味あることをつぶやいている人もいますよね。これが私たちの大きな希望で財産で無尽蔵にあるSHAREの源です。すごいですよね。外に出る日は必ず来ます。今は不毛な地のように見えるその場所もひとたび命が吹き込まれればそこは大胆に恵まれた土地になります。

ここで一つ私の方からお願いがあります。はっきりと申し上げますが、もし何かしてほしいと思うことがあれば、私には遠慮なくおっしゃってください。何の知識もないのは残念ながら確かですのでお役にたてることは少ないと思いますが、私にはイエスがついています。私は、SHAREの実現を強く望みます。小さな人間でも役に立つことはあるでしょう。ぜひどうぞ。

WSJの電子版部門であるAll Things Digital がグーグルの電子出版向け新ソリューションのローンチを報道した。

Android Market Opens Book Store

Now that Motorola’s Xoom, the first tablet to run Android 3.0 Honeycomb, has begun shipping, Google is finally lighting up the e-books section of Android Market.

An outpost of the Ebookstore it launched last December, the Android Marketplace Books is the first of a handful of new offerings expected to make the digital storefront more competitive with iTunes. Two more expected additions: music and movies.

本だけじゃなく、映画と音楽の配信も行い、iTunesと一騎打ちを目論んでいるようだ。
アマゾンが、すでに電子版の売上を紙版よりも大きくしているように、電子出版そのものは北米では伸長しており、日本では逆に混迷が深まっている様子。
もともとの紙本に対する需要とその質が日米では大きく違うということもあり、日本では今後もしばらく「是非」の議論が続くのだろうと見ている。ただ、真似をすればいいというものではないから、じっくり考えて頂きたい。もちろん、世界に打ってでる戦略も重要である。(世界に出るのにガラパゴスというネーミングは頂けないと、個人的には思っているが。発音しにくいし、みんなそんな小さな島のこと知らないし。)

サイトはコチラ

しかしこのサイト、見ればみるほど、どっかで誰かが企画した電子出版サイトとそっくりである(苦笑) シンプル・イズ・ベストと取るべきか、定評のあるグーグルのデザインセンスの悪さを考えて自戒すべきか、悩む (笑) 

ソーシャルメディア時代への移行に伴っては、佐々木俊尚氏がキュレーションに関連して指摘されるような「視座」が必要になってくる。これまで私たちはテレビのワイドショーや新聞、週刊誌に代表されるマスコミの報道ばかりが私たちにとって重要な問題だと思ってきた。

だが、例えばMixiやYahoo!のニュースヘッドラインに流れる情報の大半はゴシップニュースである。アクセスが集まるのだから仕方ない。
戦後日本人は経済成長の過程で多くのものを失ってしまったのではないだろうか。つい最近まで自分たちも貧しかったという事実を、忘れようとしているのではないか。

話はそれるが、これは、例えば今韓国が経済成長を遂げている過程で、彼らが本音はさておき、あまり日本をライバル視するような発言や態度を取らないことにも関係している。(いっぱい言ってるのは知ってるが)
つまり、韓国は日本との競争自体を「過去の遺物」とすることで、一つ先のステージに到達していると誇示しているかのように思える。

日本人(の多く)が世界の貧困や飢餓、紛争といった問題に対して無関心なことの原因はいくつもあると思うが、最も肝心なのは「つながり」がないことだ。いくら遠い国でも、自分の家族が関わっていれば自然と興味は湧くものだ。アメリカを見ていると、その移民政策がこの国の多様性をいかに支え、そして世界に関心をもたせているかがよく分かる。そして、日本に「視座」の多様性をもたらしてくれるのは、日本に住む外国人と海外在住の日本人だと思っている。

次に紹介するコンゴウィークのビデオでは日本の大学生を巻き込んで「外国人」が啓蒙に努めているのが伺える。


(*私が今携わっているコンゴ本の翻訳は、この中にでてくるフレンズ・オブ・ザ・コンゴにも関連しているものだ)

もともと発言するのが苦手な私たちは、自分で理解できない状況が眼の前で起こると黙ってしまう。そして、誰かが声を上げるのを待つ。
しかし、人間は理性的であると同時に感情的な生き物である。本を読んで主人公に共感して喜んだり、ワクワクしたり、憤ったりするのと同様に、目の前で死にそうな人がいれば悲しくなって当然である。それが誰かは関係ない話だ。現在起きている世界同時革命やコンゴの状態、あるいは中国のネット革命対策について、自身の見解を述べるのに、専門家の知恵は必要ない。そして、いまやネットでいくらでも調べ物はできるし、その気になれば論文や本まで書けてしまうくらいだ。

これから私たちが世界に向けて、個人の「視座」を確立するのと同様に、日本人としての「視座」も確立していく必要があるのではないか。
そう考える時に、今の日本の無関心、もっと直接的な表現をすれば「冷たさ」が妙に気になる。核家族化がもたらした弊害なのかも知れないし、敗戦から経済成長につながる過程でどうしても無視しなければならなかった感情があったのかも知れない。
日本の企業戦士、コーポレート・ウォーリアーとして頑張ってきた団塊の世代、彼らがいたのは戦場であり、そこでは個人の感情など無視されて然るべきだったのかも知れない。その犠牲と努力の土台の上で、今の日本の豊かさと平和がある。

平和とは何か、それは芸能人のちょっとしたゴシップでみんなが騒げることであり、世界で革命が起きてあちこちで死傷者がでてるのにも関わらずパンダがきたといってほんわかできる、そういう環境があるということだ。もちろん現代人として多くのストレスを抱えている部分の裏返しでもある。世界中で誰も乗りたがらないような満員電車に毎日乗って通勤する日本人は、それでも二酸化炭素を減らせと言われれば、海外からホットエアーを買ってでも、世界の基準に対応しようとする。世界一の経済大国であるアメリカが京都議定書を批准していなくても、である。

私がPlaying for Changeやコンゴの問題に関わってから、いくつかの素晴らしい出会いをした。世界には、本気で世界の平和を願って行動している人たちが何人もいるし、日本の中にもそういう人はたくさんいる。憲法改正をするかどうかはさておき、現存する平和憲法と唯一の被爆体験を通じて、日本は独自の「平和」観を視座としてもってみるというのはどうだろう。

日本ではソーシャルメディアが普及しない、という観点でブログのエントリーをあげたのが「ソーシャルメディア革命」の執筆につながった。
そういう体験をもった著者として、日本に喚起したい「視座」がいくつかある、それがこの平和観である。平和ボケ慣れしてしまった、あるいはそう思わされてしまった日本だからこそ、ソーシャルメディアに移行するには大きな障壁がいくつもある。しかし、その移行、すなわち「革命」が達成された時にこそ今の日本は変われるのではないか。ソーシャルメディアと「世界の平和」についてぜひ考えて頂きたい。そして、その前にもう一度自身に問いかけてみよう、「果たして日本は平和な国なのか?」、と。
かつてのローマではないが、極度の平和を享受している日本はある意味世界に先駆けて、本当の平和とは何か、について学べる位置にいるのかも知れない。そして、今このブログやツイッターで起こっていることのように、海外在住の日本人が日本に向けて情報を発信するということが、その革命のきっかけになることを切に願いつつ、「ただ言いたいことだけ」言ってます(笑)。

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日本で起きる革命こそが、本当のソーシャルメディア革命かも知れない。。。

ステルス紛争

ステルス紛争
サイト管理者の紹介
ヴァージル・ホーキンス(Virgil Hawkins)氏はNGOの一員としてアジア、アフリカで合わせて5年間、社会開発の事業に関わり、現在、大阪大学の国際公共政策研究科(OSIPP)で准教授をしている。

ソーシャルメディア革命のきっかけともなった、日本でソーシャルメディアが立ち上がらない10(+2)の理由というエントリーに対して、下記のようなコメントを頂いた。
最近は執筆に追われることが多くなり、まともに意見を述べるエントリーも少なくなっていたこともあるので、少し踏み込んで回答をさせて頂くことにした。
たまには感情的なエントリーもいいのかも知れない。

まずコメントの内容は下記。投稿主は佐々木裕一さんとある。

だいぶ前のエントリーに対するコメントで恐縮ですが、7にある次の部分があまりに異様だったもので、若干コメントします。
<本来は英語教育を(一時的に)捨ててでも言語としての親和性の高い韓国語や中国語を学ぶことで、もう少し国際感覚を身につければ隣国のニュースなどに興味をもつようなケースもでてくると思うし文化交流も深まるはずだが、人権の問題とも影響して日本人は隣国のアジア人に対する持ち前の人種差別意識を乗り越えようとはしていない。>
。。。<隣国のアジア人に対する持ち前の人種差別意識>?。。。文脈からして、<隣国>とは、中国と韓国のことを指すと思われますが、中国が、歴史をねつ造し反日教育をしていること、韓国も同様であること、それをご存じなんでしょうか?また、文化交流どころか、今、日本が、中国にあらゆる面で侵略されつつあることをご存じなんでしょうか?また、<人種差別意識>という表現も異様です。まず、日本人が、かれらを差別しているとしたら、それは、人種差別ではなく、<民族差別>というべきでしょうし、憎しみを植えつけられて<差別>しているのは、中国、韓国のほうです。また、<南京大虐殺>等をはじめとして、反日プロパガンダを彼らは行っています。欧米におけるそれは凄まじいものです。日本は、今、中国、韓国、そしてロシアによって、浸食されつつあります。日本は、軍事力を行使できない憲法をもっており、アメリカの力が弱まる中、力の<空白地帯>になっているのです。
以上について、どのようにお考えでしょうか?

まず、ご指摘の通り、「隣国」というのは極東諸国である中国、韓国、台湾のことを指し、北朝鮮や(国とするかどうかはさておき)香港も含まれる。(ちなみに、文脈からしなくても隣国のアジア人といったら、これくらいしかないと思うのだが、それは揚げ足取りになるからおいておく)

まず一問一答

Q. 中国が、歴史をねつ造し反日教育をしていること、韓国も同様であること、それをご存じなんでしょうか?
A. 「捏造」の定義にもよりますが、言わんとされる文脈を汲みとると、知ってます、が私の答えです。しかもそれなりに詳しく知ってます。(高校生の頃から世界史オタクと言われるくらい細かく勉強して、山川の教科書が書き込みだらけで耳なし芳一みたいになってたのは私の同級生ならみんな知ってると思います)

Q. また、文化交流どころか、今、日本が、中国にあらゆる面で侵略されつつあることをご存じなんでしょうか?
A. 「侵略」の定義にもよりますが、知ってます、が私の回答です。ただ「あらゆる面で」とは思いません。
ちなみに、2000年からPCハードウェア関連のバイヤーとして、中国や台湾の方たちとの取引を多くしまして、多い時には1年に7回中国出張してました。中国語もその時学びました。主に工場を視察してまして、マイクロソフトやロジテックといった大手メーカーのマウスやキーボードを製造している工場を視察したり取引をしたこともあります。
中国の進出を許していない業界というのも数は少ないですが存在します。そして、世界一の人口を誇る中国に侵されているのは日本だけじゃなく、世界各地で起きている現象ですのをご存知だと思います。

Q. また、<人種差別意識>という表現も異様です。まず、日本人が、かれらを差別しているとしたら、それは、人種差別ではなく、<民族差別>というべきでしょうし、憎しみを植えつけられて<差別>しているのは、中国、韓国のほうです。
A. これは質問じゃないと思うのですが、人種差別ではなく民族差別だ、というのであれば、それは言葉のあやという問題なので、どちらでもいいと思います。

ちなみに人種差別撤廃条約では下記のように定義されているようです。

人種差別の定義を「人種、皮膚の色、世系又は民族的若しくは種族的出身に基づくあらゆる区別、排除、制限又は優先であって、政治的、経済的、社会的、文化的その他のあらゆる公的生活の分野における平等の立場での人権及び基本的自由を認識し、享有し又は行使することを妨げ又は害する目的又は効果を有するもの」と定めている。(ウィキペディア

表現が異様というのはご自身がお考えになる点であり、私は異様だとは思いません。

そして、次の
憎しみを植えつけられて<差別>しているのは、中国、韓国のほうです。
という点についてですが、それはそうかも知れないし、そうじゃないかも知れません。そういう人がいるかも知れませんし、そうじゃない人も多くいると思います。これは日本でも同じことです。

ただ、問題は
それと、私の発言と何の関係があるのか
ということです。相手がこちらを差別しているから、こちらも差別するんですか?それとも、だからこそ「協調と対話」の道を模索するために、歩み寄りを図るんでしょうか。差別を続けたからといって、ご指摘の「中国の侵略」が止まるんでしょうか、それとも日本はそのまま乗っ取られるんでしょうか?

Q. また、<南京大虐殺>等をはじめとして、反日プロパガンダを彼らは行っています。欧米におけるそれは凄まじいものです。日本は、今、中国、韓国、そしてロシアによって、浸食されつつあります。日本は、軍事力を行使できない憲法をもっており、アメリカの力が弱まる中、力の<空白地帯>になっているのです。
A. 反日プロパガンダが存在するのはもちろん知っています。欧米におけるそれが凄まじいものかどうかは知りませんが、少なくとも私が19歳の時に渡米して以来、アメリカの地でそれらしきものに出くわしたのは、「Rape of Nanking」が出版された時くらいです。(私の勉強不足かも知れませんが、一応英語でメディアチェックしてます)

>日本は、今、中国、韓国、そしてロシアによって、浸食されつつあります。
アメリカやイギリスの影響はないんでしょうか?「侵食」の定義がよく分かりません、イデオロギー的な話をされているのであれば、明治維新以降、とっくに日本人は日本人の魂を失ってしまっているという指摘をしている識者の方はたくさんいると思いますし、それは中・韓・露以前の問題だと思います。

Q. 日本は、軍事力を行使できない憲法をもっており、アメリカの力が弱まる中、力の<空白地帯>になっているのです。
A. 懇切丁寧にご説明頂き、有り難いのですが、一応私も憲法第9条については理解していますし、日本の国民はみなそれについて学校で学んでいるはずです。
ただ、
>アメリカの力が弱まる中、力の<空白地帯>になっているのです
これは、かなり主観的な意見だと思います。言わんとされることは理解できますが、軍事力と経済力の話、そして、文化の話を一緒くたにするのは詭弁というものです。もちろん影響があるのは分かりますが、そんなことは誰でも分かることなので、もう少し理路整然とした説明をしないと反論にならないと思います。

そもそも、私は今回のコメントの趣旨が理解できませんでした。私が指摘した内容は、「相互理解のために隣国の言葉を学ぶのも重要」だということと、「英語は難しいから、韓国語や中国語を先に学んでバイリンガルとしての感覚を養うのが重要」だという点でした。むしろ、指摘された内容を通じて、私は持節の正当性を強めるにいたりました。

孫子は言いました、「敵を知り、己を知れば百戦危うからず(第三篇 謀攻)」、と。
佐々木さんが指摘される内容は、これの裏返しに過ぎません。

ここで、みなさんに問うてみたいのです。

意力からの質問
あなたの周りで、日本語を話す中国系や韓国系の方々をこれまで何人くらい見ましたか?

次に
では、あなたの周りで中国語や韓国語を駆使してネイティブと対等にコミュニケーションをとっている日本人をこれまで何人くらい見ましたか?

そして最後に
では、あなたの周りで、英語を駆使して世界と対等に渡り合うコミュニケーションをとっている日本人の名前を何人挙げられますか?

私が本やブログの中で訴えている「開国論」の趣旨は上記を考えてもらえれば一目瞭然です。結果はみなさんが毎日新聞で目にしている通りです。
原因があるから結果があるのです。

そして、私は日本のために、これを書いています。右翼とか左翼とかいうつもりはありませんが、海外在住の日本人は逆に愛国心を強めることがよく知られています。私は祖国である日本を愛していますし、日本人は世界でも最も優秀な民族の一つだという自負をもっています。しかし、それを単に主張するだけというのはただのエゴというものです。世界はそんなの相手にしません。

「顔が見えない日本人」、「出る杭は打たれるという文化をもつ日本人」 いずれも的を射た批判だと感じています。
大事なのは、日本人はいったいこれを改めるつもりがあるのか?ということです。 
世界でこれだけ有名な経営者がでてくる中で、日本の経営者の何人が知られているんでしょうか?総理大臣の名前を何人のアメリカ人が覚えているでしょう?私が思うに、一般的なアメリカ人は日本の首相の名前なんて一人も言えないと思います。「世界二位の経済大国」というキャッチコピーを何十年も謳歌してきた日本は、世界的なブランドをいくつも育ててきた割には、「個人」を売りこめなかった。チームプレイに徹してきた日本は球団としての地位を高めたけれども、スター選手や監督の名前はそれほど育てることができなかった。もちろんそれが悪いなんて言ってません。私が一貫して主張してきてるのは「開国論」であり、それは単に外国勢の進出を許すだけじゃなく、対等に世界とわたり合っていく方策を練ることです。政府自体がまともな外交をできていない状況で、それを国策に頼るのは大きな間違いです。(だいたい毎年首相が変わる国でまともな外交政策なんて練れるわけないでしょう)
国民一人ひとりの意識変革がそれをもたらします。だから、今フェイスブックがもたらした「実名制の壁」論争が非常に重要だと思い、それに対する意識を喚起しているのです。(私自身は自分の見てくれがいいと思ってるから顔出ししてるわけでもなく、まったく正反対です。本当は人前で話すのすら抵抗が大きいのですが、それを自身に対するチャレンジだと捉えています)

もう一つ言っておくと、日本は「世界平和」に対してもっと真摯に取り組むべきです。自分たちの生活が豊かで平和だからといって、そうじゃない他人に対する意識をもたないでいると、いつか大きなしっぺ返しを喰らいます。戦後の焼け野原で生活した私たちの親戚や、水呑百姓として暮らしてきた我々の先祖を思い出す時、感謝の念が湧いてきます。ペイ・フォワードという言葉がありますが、今を生きる私たちはそれを未来の子孫に託すという重要なミッションがあります。
やれ、政治が不安定だ、不況だということで、それをおろそかにしていると大きなツケを払うことになります。「ゆとり教育」という大失敗のために、何百万人という子弟に影響がでましたし、ひいては国際競争力の低下につなげてしまいました。しかし、それを国のせいにして終わるのはお粗末というものです。何故なら教育の根本は家庭にあるからです。私たちは子供たちに「世界平和」についての教育を施せているでしょうか?コンゴでは600万人というような規模での虐殺が続いています。それを「対岸の火事」だからといって放置していると、逆の立場に陥るかも知れません。(受験国語で頻出した、「権利の上に眠る者」という丸山眞男氏の言葉が今でも耳について離れません)

今インターネットがもたらしているソーシャルメディアの革命の意義は、ちっぽけなものではなく、新しいグローバル規模での「基本的人権の尊重」についての意識です。世界は間違いなく、そちらの方向に向かっています。

私は幸せを維持するために、重要な要素がいくつかあると思っています。一つは、それに感謝すること。そして、もう一つはそれをシェアすること。
シェアすることの発展形は、「自分の幸せを削る」ことだと思っています。どういうことかというと、幸せじゃない人のことを考えて、祈ったり、手助けをしてあげたりすることです。私は過去2年間ほど、ビジネスでとんでもない苦労をしてきまして、周囲の方の多大なサポートにより、立ち直ろうという段階にあります。
「他人の情けが身に染みる」という言葉がありますが、この意味を本当に理解することができるようになったのは、つい最近のことです。経済的なことですらそうなのですから、生命の危険に脅かされている人たちが抱えている悩みや困難というのは想像を絶するものがあります。コンゴでは、システム的なレイプが繰り返され、見せしめのために親が子供をレイプさせらりたり、女の子たちは穴の中に閉じ込められ、性的な苦役を日常的に強いられるわけです。男性はみな鉱山で採掘の強制労働をさせられます。「強制労働」と「慰安婦」、どこかで聞いた話じゃないですか?
今日本が、本当に意味で彼らと「つながり」をもつことができれば、それは本当に感謝されると思いますし、きっと、それはまた日本に返ってきます。

私は日本の歴史についても学びました。そして、隣国との様々な問題があるのも理解しています。捏造という問題もありますし、一方的にどちらかの肩をもつというのも難しいことがあるのはよく分かっています。しかし、数百時間を費やした世界史の勉強の中で私が学んだことはたった一つです。

それは
「人類は同じ過ちを繰り返してはいけない」
ということです。その為以外に歴史を学ぶというのは歴史や先人、犠牲者達を冒涜する行為だと考えています。
選挙権について軽んじる若者がいたら、私はいつも古代ギリシアの話をします。なぜアテネでは男性にしか参政権が無かったのか、それは女性を蔑視していたからではなく、男性だけが従軍したからです。つまり投票権は命がけで得るものだったのです。一票はまさに人の生命の重さだったのです。

平和な世界を望まないものがいるとしたら、私は徹底的に戦おうと思います。「必要悪」という概念を主張する人がいますが、それにも合意できません。
クラスのみんなが楽しい人生を過ごせるように、誰か一人がいじめられっ子の役割を果たさないといけない、
そういうことですよ?
私は7歳の頃両親が離婚したことがきっかけで、母の郷里であった大阪市の生野区というとんでもなくバイオレントな地域の、しかもその中でも最もガラが悪いので評判の中学校に通いました。東野圭吾さんが「あの頃ぼくらはアホでした」で語っている中学校の隣のその学校は、(少なくとも私の世代近辺では)彼の学校よりも悪いくらいでした。彼が本の中で語った内容は、全て私にとっての現実です。
例えば、体育のサッカーの授業で負けると、運動神経の悪い太った男の子たち、優等生たちが教室の後ろに並べられて、謝罪させられ、ぶん殴られます。
先輩がでてきて、後輩の中でも番長クラスの連中を呼び出しては、机や椅子を投げてボコボコにして、忠誠を誓わせます。

そんな環境で育つと、子供たちは強くなると同時に「平和」や「秩序」を求めるようになるのです。私たちの中学校では「弱肉強食」がルールでした。弱さイコール存在感の無さであり、発言権の無さです。「必要悪」を主張するなら、一度そういう環境に身を置いてみてください。あるいは自分の子供がその中で「いじめられっ子の役割」を演じるとしたら、どう思いますか?

もっというと、この生野区という町は在日韓国人が日本一多い町です。実に区の人口の25%以上が在日の方たちです。だから、「隣国」というのは私に取っては現実以外の何者でもありません。さらにいうと、上記で同級生をボコボコにしていた大半は在日の同級生でした。そんな体験をした私が「隣国」の文化を理解しようと言ってるのは、まともに文化を理解していない知識人がいうのと訳が違うと思ってください。それでも私は大学時代に韓国語を勉強したことで、理解を文化し、彼らの中の良い部分、言動の原因のような部分についても理解を深めることができました。(もちろん暴力はよくないことです) 私は彼らについての「違い」を理解できているつもりですが、「差別」するつもりは毛頭ありません。差別をしたらされるんです。(同じく地元の大先輩の梁石日先生の作品でも読んでください) Playing for Changeが世界を音楽でつなぐという時、そこには人種や民族の間の線引きなんてないんです。あったら、それは騙しです。

では、中国はどうでしょうか? 
そんな中学校に通っていた立入少年は中学三年生の時に隣の旭区の区役所で行われた「731部隊展」に行って、人生が変わる程の衝撃を受けました。
実はその前年、やはり同じ場所で行われた「アウシュヴィッツ展」に行って、人生が変わる体験をした彼は、「悪魔の飽食(森村誠一)」などの話をしっていながらも、半ば責任感として731部隊展にいきました。自分の先祖たちがどういうことをしたのかを知っておこうと思ったからです。(ちなみに彼の父方の祖父は太平洋戦争に従軍しており、母方の祖父は醤油を本当に飲んで兵役を忌避していました。彼は父方の祖父とは面識がないですが、母方の祖父は大好きでした)

捏造については、浪人時代に通っていた河合塾の(「世界史講義の実況中継」で知られる)青木裕司先生についても授業で聞きました。(彼は私の知る限り日本一の歴史の先生だ)例えば日本兵らしき兵隊が刀をもっている写真で、握り方がおかしいとか、生首の写真が、実は同じ中国の馬賊によって殺された人たちのものだった、とか云々。
しかし、そんなことのずっと前に私は731部隊展で、実際に731部隊展、あるいはその周辺で活動していた元兵隊さん(もちろん日本人)の涙ながらの証言に心を打たれたのを生涯忘れられないのです。

例えばこういうものです。
「ある日、部隊がとある村を通りがかったら、民家から女性がでてきて、泣いて頼みごとをしてくる。それはどういうことかといえば、頼むから旦那の死体を下ろさせてくれ、というものだった。部屋の中に入ったら、旦那の首吊り死体が居間の真ん中にかかっており、とんでもなく腐乱していた。そして、そこには張り紙があり、「無断で下ろしたら一族郎党皆殺しにする」というものだった。」
こんな話を涙ながらにした、この元兵隊さんは何度も繰り返しました。「私だって、こんな話をしたくないんです。できたら黙ってそのまま棺桶まで持っていきたいんです。だけど、歴史を繰り返さないために恥をしのんで、こうやって話して回ってるんです」、と。
彼は罪滅ぼしのために日本中をそうやって講演して回っていたのです。

人類は歴史を通じて、数多くの戦争を繰り返してきました。私に取って、その瞬間から、戦争というのはただの言葉じゃなくなりました。犠牲者の一人ひとりの背後には家族や愛する者がいたわけです。また、戦争という極限の状態の中では、どうしようもないことだって起こりえます。

私は最近四人の娘たちが大きくなるにつれて、自問自答することがあります。

「もしも家族を守るために、誰かを殺さなければいけないとしたら、どうするか?」
もちろん、極限の状態の話です。
そして、答えは残念ながら、きっと命がけでも守ろうとするだろう、ということです。
後は、ひたすらそういう状況が眼の前で起こらないように、祈って、あらゆる手段を使って回避するしかありません。
そういうことを考えながら、コンゴやアフリカ、中東について思いを馳せると、重みが全然変わってきます。彼らに取っては眼の前にある現実がそうなのですから。

フラット化した世界、世界はつながっている、本当にそうなんでしょうか?インフラや貨幣が流通するのではなく、人間としての根本的な部分、つまり「気持ち」が通じなければそんなもの意味ありません。

だから私たちは本気で「世界平和」や「人権」といった概念について取り組まなければなりません。それは宗教的な理念でも、偏った理念でもないのです。
それは人類としての責任だからです。もちろん環境についても同じことです。環境問題はその字のごとく、本気で解決しようと思えば国境を超えた合意が成されなければならない分野だからです。自分だけがよいという考えでは先に進みません。
こういうビッグワードには対応できないが、「コミュニケーション」や「フレンド」、「リレーションシップ」なら対応できるというのなら、それでいいでしょう、「いいね!」や「ツイート」でしかそれを理解できないなら、そこから始めましょう。(でも他の国々では子どもですら人権について学んでいることを忘れないでください。何でもカタカナにしたらいいってもんじゃありません)

日本人が国際競争力を失った、ということを話す人は多いです。しかし、「日本人は世界平和に対して意識をもっていない」と日本人に語りかけてくれる人はそういません。海外の人はそれほど日本に対する理解ができていないし、分かっている人は言ってもあまり意味がないと思っているかも知れません。
愛とか平和とかを語るのは宗教だけだと思っているとしたら、それこそ大きな偏見です。(日本人の宗教嫌いについては、またチャンスがあれば触れたいと思いますが、世界第一の経済大国であるアメリカの建国背景と理念が純粋に宗教的なものであることを忘れないでください)

ネットで、匿名をいい事にいろんなことを言う人がいます。もちろん言論の自由は保障された人権ですので、それはいいことです。
しかし、肝心の部分から目を背けて知ったかぶりをする癖をつけてはいけません。日本が世界から取り残されつつあるのは、日本が世界のことを気にかけていないからです。これまで内需があるのをいいことに、自分たちのことばかり考えてきたからです。(もちろん、全員ではありません)
一方、近隣諸国は日本のことを羨ましく思いつつも、自分たちの生き残りの道を世界戦略に託しました。台湾や韓国が成功したのは徹底的に努力したからです。どれだけの台湾人や韓国人が日本語を流暢に話すでしょうか、ものすごい数です。アフリカ人に中国に対するイメージを聞いてみてください。驚くほどポジティブなコメントをする人が多いのです。彼らは「中国がアフリカを侵略している」と取っているでしょうか?それとも、何世紀にも渡ってさんざん略奪され続けてきたアフリカ大陸の救世主だと捉えているでしょうか。JICAやODAを通じて、献身的な努力をしてきた日本との違いは何だったのでしょうか?(私はエチオピアにいた時にJICAの方々の献身的な苦労や天然痘の撲滅に協力したPEACE CORPSのボランティアの話を聞いて、感動しました)

日本はアジアにとって、ヒーローでした。あんなちっぽけな島国なのに戦争をしては中国やロシア、アメリカという世界の大国に勝負を挑み、時には勝利を収めました。そして、世界で唯一原爆を、しかも二度も落とされ、焼け野原のボコボコの状況に成りながら、世界第二位の経済大国に上り詰めるという飛んでもないウルトラCをやってのけたのです。これは本当にすごいことであり、私たちの世代の多くはこれに一切貢献していません。
疎開や闇市といった、昔の話を母がよくしてくれました。戦後ロシアから還ってきた人々は、ほぼ例外なく、口を閉ざしたままです。想像を絶する経験をしてきたからです。もしかしたらアメリカのベトナム・シンドロームなんて比べ物にならない体験をしてきたのでしょう。

フェイスブックだ、ツイッターだ、と騒げる日本はどれだけ平和な国なのでしょう。もう一度よく考えてみてください。

日本は、世界一かも知れない、そのネットインフラにのっかったソーシャルメディアを通じて、これから何を世界に発信していきたいんでしょうか?

世界でも賞賛される民族性をもった日本人、平和憲法をもった日本人だからこそ起こせる「革命」があるのだと私は信じています。
しかし、それは外的な方向に向かうのではなく、各自の内面に向けられていくべきだと思います。その変革が日本の未来を支える日本人の心に起こらない限り、きっと数十年後の国際社会で日本の立場はないことでしょう。しかし、それでも私は日本を愛し、誇りに思うことでしょう。
だけど、そうじゃない日本の未来を信じて、私はメッセージの発信を続けます。それが「インフルエンサー」だと思っています。

私のブログの読者のみなさんに敬意を表して、そしてこの発言の場を与えてくださったことに感謝しつつ。

立入勝義 拝

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