Archive for the 「 開国談義 」 Category

筆の進みはすこぶる良く、当初予定としていた4月21日を大幅に早める形で仕上げることができそうである。もちろん編集にはその道のプロに一ヶ月ほどかけて作業をしてもらう予定になっているので、実際の出版時期が予定の7月からどれくらい早まるかは分からない。が、電子版は早めにリリースすることができるように、今回一つ変わった仕掛けを思いついた。早速、最近ちょくちょくお世話になっており、これを推進するのに協力が不可欠な会社の社長さんにメールをした。後は結果を待つのみである。

さて、同書の中で一つの命題を思いついたので、まずはそれをブログでも取り上げてみたいと思った。チンケな話題づくりと言われるかも知れないが、それでもいい。(実際その通りだし)今回の著作は筆者としても(本としては)処女作となる、いわば本当のいちから(一から)スタートであるから、このブログのタイトルどおりの強い「意志の力」がないと何も進められない。最後に頼りになるのは自分自身でしかないと言い聞かせるつもりで毎日を戦っている。

ではお題に入ります。

前提条件
巷では電子出版の売り上げが驚異的に伸びていることが話題になっていますが、もともとの規模が小さかった電子出版という成長産業の規模が最初はすごい勢いで伸張していくのはある意味当然と言えます。

ではここで問いかけです

命題
「低迷している出版市場ではあるが、本来店頭に行ってお金を出せば老若男女問わず誰でも購入することのできた書籍ですら、まったく儲からなくなっているという時代に、電子ブックリーダーという専用端末などを使えないと、閲覧も購入もできないような電子書籍がどうやって市場を拡大していくことができると思いますか?」

つまり電子という制約条件の重石(マーケティング用語でいうところのマーケットキャップ)をつけられた電子書籍市場が既存の出版市場よりも大きくなる可能性があるとどうやって証明できるのか、ということです。

もちろん答えはいくつかあると思いますが、これについての筆者の独自的見解を同書の中でご説明したいと思います。今まで考えてもなかった方はぜひこの機会に考えてみてください。電子出版を考える上で最も重要な問題の一つだと思います。
コメントも受け付けます。ツイッターでも構いません。(ZEN ENGLISHやってるくらいなんで、禅問答大好きでして 笑)

今の時代、あまりとやかく考えても仕方が無いように思った。電子出版に関する問い合わせが最近増えてきたし、キンドルストアでの売上も順調なのであとはコンテンツの収集が最大の課題である。(すでに数百単位では集まりつつあるが、市場の流れを変えるにはまだまだ必要だ)
メールで個別に対応するのは勿論必要なのだが、情報の多くは共有されてしかるべきものである。が、もちろん実際に出版に関心の無い方ばかりを集めてみても場が荒れるだけになり、本格的に出版を検討されている向きには不向きであろう。かといって、実際に出版前のカウンセリングを数多くの人にするのも限られたリソースでは大変だし、毎回フィーを取るのも無理がある。勉強会やセミナーが向いているかとは思うが、あいにく筆者は日本に住んでいないため頻度は限られる。

そこで、いっそのこと電子出版専用のSNSを設けて、その場で詳細な意見を交換できるようにしたらどうかということになった。(といっても、筆者の脳内での相談事であるが)そこに世界中からの電子出版に関する情報を集約してみれば楽しいかもしれない。プライベートSNSは(有料にせよ無料にせよ)会員の囲い込みには非常に適したシステムなので、これからこういうサービスは増えてくるように思う。課金も年会費にしてしまえば簡単だし、会報などを電子出版で配信するのもありだ。そのうち誰かがスタートするなら、まずは自分でやってみるべきではないか。

と、いうわけで立ち上げました、日本初(というか世界初?)の電子出版専用会員制SNS、その名も”eBook2.0″!(あまりに安易だがこれは後でどうにも変えることができる) 1万円か2万円ほどの年会費を取るシステムにして、まずは日本人あるいは日本語の書籍を対象としてサービスを提供したいと考えている。もちろん現時点では中身がないので、有償にするのも心苦しいからしばらくの間は無料で提供していきたい。最初の会員を無料で募るということで、限定100名とか、3月末までを初年度無料無料招待期間とするとか、何らかの制限を設けようと考えているが、具体的な決定はまだない。(現在進行形なのが面白いと思って頂ければせめてもの救いである)

とりあえずは参加オープンにしておいて様子をみようと思う。その内無料の許可制→有料の許可制という風に移行していく予定。
このブログを読んで頂いている方はすでに電子出版に興味がある方だと思うので、普段閲覧頂いていることへのお礼ということで、できるだけ早めにご登録頂きたい。(IDなどに関しては個人特定の問題があるので公表する必要はありませんが、筆者(管理者)には身分を明かして頂くほうが相談に応じやすいと思います)

ぜひこの機会にご登録ください!
電子出版専用SNS@NING (http://ebook20.ning.com)

日本初 (?) の電子出版専用SNS ”eBook2.0"

日本に滞在中に報道された下記のようなニュース。
出版大手21社が新法人 電子書籍化取り組み強める

内容の解説については今やそのコンテンツの豊富さのみならずアクセス数の上でも電子出版ポータルとしてはゆるぎない地位を築きつつあるEBook2.0 Forumの鎌田氏の記事に詳しいので、そちらに委ねたいと思うが、この大同団結が意図するところは明らかである。(これがいわゆる合従連衡の故事のような出来事に発生する可能性もあるのだが、それはアマゾンの動き次第だ)
マンガのデジタル直販を始めている佐藤秀峰氏がブログでこの件について言及している内容も話題になっている。いわく「漫画家が出版社を養ういわれはない」。

筆者が思うにこの問題のポイントはパワーバランスである。現状の出版業界ではこのパワーバランスが著しく出版社側に偏っている。(他によく似た例では歯医者と歯科技工士の関係があるそうで、これも日本ではかなり技工士側に厳しい待遇になっているが、アメリカではほぼ対等だそうな)戦後の日本の経済成長を支えてきたのはモノづくりであったが、自動車や家電と言った物品以外にも日本は「コンテンツ」をつくってきたのであり、この意味で工員的な体制で仕事を続けてきたのはある意味仕方がないかも知れない。しかし漫画家や作家がブルーカラーかというと、必ずしもそうあるべきではないし、分業や報酬といった観点でも、もっと違ったシステムもいくらでも考え付くはずである。

筆者は電子出版の力がとてつもなく大きなものであり、結果的にはそれが世界中の多くの人々のためになるということを信じてやまない。特に今経済力を失い、このままいくと世界3位ばかりか、7位(ドイツ、フランス、イギリス、イタリアに抜かれれば)、あるいはもっと下(その下の諸国は接戦である。Per Capitaだと中国とはまだまだ開きがあるが、こちらでは日本は20位以下である)の地位に甘んじなければならなくなるかも知れないという危惧間の中、日本はこれからアジア圏に対して文化的リーダーという地位を築き、他のアジア諸国が先進国の仲間入りをするのを先導する立場をキープすべきだというのが私の持論である。(アプローチや視点が若干異なるが、これは大学で専攻した環境政策学のコンセプトにも通じるものがある)

一方大手出版社の気持ちもよく分かる。この不況と、躍進しているチャイナパワーで揺れるグローバル経済の中、誰しもが先行き不安を感じている。誰だって将来が見えなければ怖いのである。特に日本の出版業界は寡占に近い状態が続いてきており、「大手」はめっぽう強かった。が、この「大手」があちこちの産業で崩れるのが今の社会である。航空業界、音楽業界、自動車業界など栄枯盛衰はどこにでも存在する。資本主義の中では競争力を失えば滅ぶしかない。そうなりたくなければ、生き残りに全力をかけるしかないのだが、そこでの生き残りというのは「適者生存」という言葉が示すように、変貌する市場において「適者」となるための行動をとり、実際にそうなることであり、これまで通りのやり方を維持する方法を必死に模索することではない
筆者は常々資本主義社会の次のステージは最適化社会であると考えているのだが、つまり、これまでにあった無駄が全て排除されていくということだ。今世紀の市場経済にはこのような「無駄」や「非効率性」を許容する余力がない、というか許容することをそもそも認めない。

マンガが日本の出版産業を支えている、ということはよく分かる。そしてその産業の育成に貢献してきたのは大手出版社であった。その功績は確かに多大なものである。しかし、時代は変わる。
思うに、今回の電子出版が入れようとしているメスはマンガ産業の構造そのものについてではないか。巷ではファーストフードの店長などに対する残業賃金が問題になっているが、本質的にはこういう問題に近いと思う。
この点で筆者は自分の弟という非常に身近な人物を通して、社会から悪くいうと「搾取」されてきている人物の生活を見ている。高卒の学歴しかない弟は漫画家を志望して、食いつなぐために某有名飲食FCチェーンでアルバイトを続け、その後店長になった。しかし、傍目にその待遇はひどいものであった。残業代ももちろん発生しないし、気まぐれなアルバイトが空ける穴を埋めるために急遽休暇を返上して朝5時に出社しなければならない。漫画家やアニメーターといった日本の一部の産業を底辺で支える人たちの生活もこれと同じかそれ以下であったりはしないか?勿論下積みが大切なのは分かる、が、クリエーターとて人間である。安い給料でひたすらこきつかわれ続けるのは人権問題であり、そのような立場の人間を想定しなければ成り立たない産業というのはそもそもビジネスとして破綻しているのではないか。搾取しているとかされている、といった問題ではなく、双方が歩み寄るか新しい線引きをすることでこの問題に向かい合わない限り産業自体が成り立たなくなり共倒れするという話だ。

弟はその後転職したのだが、それまで10年以上(私の目には)「過酷な」というか「不条理な」労働を続けてきた。アメリカの労使の観点からすると完全に違法な行為であることがまかり通っている。勤務そのものが過酷であるということよりは、前提とする雇用のルールが捻じ曲げられているのである。しかし弱者はそれに気づかなかったり、泣き寝入りすることを余儀なくされたりするのである。特にこの稀に見る大不況ではそうなっても仕方ない。が、それは「他に選択肢が無い」場合である。筆者が日本のクリエーター達に声を大にして言いたいのは、電子出版がそういうこれまで日の目を見なかったクリエーター諸氏に明るい光を見せることができるかも知れない、ということである。

もちろんこの為には、クリエーター側でも変わらなければならない。変わることも、その変化に慣れることも痛みを伴う。この場合には、例えば大手出版社に対する依存心を捨てることがそうだし、狭い日本の文化の中でしか受け入れられないコンテンツや描写手法というものを、より世界で受け入れられるものに変えていくということがそうなのかも知れない。しかし、市場はそこにあるのだし、日本の漫画家は世界には類を見ない高度な文化的生産者であると信じて疑わない。新しい出版パラダイムの中では例えば漫画家と編集者、漫画家と原作者といったこれまでの関係の中でもダイナミックな変化が必要とされるのかも知れない。が、逆をいうとそこには大きなビジネスチャンスがあるということだ。日本では有名な漫画家でも(一部の例外を除き)世界ではほとんど無名である。日本では誰もが知ってるTVアニメでも、海外で誰もが知っているTVアニメなんて実際にはほとんどないのが現実だ。(日本のマスコミ「大本営」がどういう報道をしているかは知らない)これはつまり、「チャンス」である。日本のプロスポーツ選手の多くが世界を経験して強くなり、それを日本に持ち帰ったように、これから日本のクリエーターも世界でどんどん武者修行をして強く、逞しくなって欲しい。そうすることで閉鎖的な現状に変革をもたらすことができるというのは、スポーツにとどまらずビジネスや研究の世界では証明されている。

クリエーターよ大志を抱け!と筆者はエールを送りたい。
そしてたくさん儲けて自身の夢をどんどん叶えていって欲しい。もちろん前提条件は”NO PAIN, NO GAIN”であるから痛みを伴うのは覚悟して欲しい、がそれは単なる使役労働を課せられるのとはまったく異なる次元の痛みであり、全て後の自分のためになる痛みである。何度も言うが電子出版という市場はまだ始まったばかりの市場であり、その市場規模がどれくらいの大きさになるかは計り知れない。

(上述の弟の話に戻ると、実は単純な勤務時間や作業環境、従業員を抱えることのプレッシャーなど鑑みるともちろん筆者を含む起業家のそれのほうが、はるかに厳しいものなのである。時にはまったく見通しが立たないような状況に身を追いやられることもある。が、それはまったく異質のものであり、そこには大きな喜びが並存するのである。だから続けられるし、無理もできる。その喜びが何であるかをぜひ独立したクリエーター諸氏の目で確かめて頂きたい)

1月6日付けASCII.JPのコラム 池田信夫の「サイバーリバタリアン」 ― 第99回日本は電子ブック戦争になぜ敗れたのかにて池田氏がすでに日本の敗北を予兆するような論調で自説を展開しているのは、恐らくEbook2.0Forumの鎌田氏が述べるように、逆説的に日本の出版業界や家電メーカーに警鐘を鳴らしているということであろうと理解できるが、これはつまりそういう論を展開してでも恐らく日本の市場を取り巻く環境は変わらないという絶望にも似た思いが氏の中にはあるからであろう。電子出版の専門家を自認する筆者としてはこれについてどうしてもコメントをする必要がある。

ちなみに、まず言っておくと「日本語のコンテンツは現時点ではほぼゼロ」(筆者注:池田氏のコラム本文ではなくおそらく編集部のコメントである)というのは間違いで、少なくとも3桁のコンテンツは日本語であるのが立証できる。というのは当社がアップしているコンテンツがそれくらいあるからだ。ただ、もちろんこれとてキンドルストアのSKU全体である40万冊の中ではわずかであるという見方は可能である。が裏を返せば99%近いコンテンツがいわゆる(ISBNをもっている)出版本の焼き直しであるのに対して、オリジナルコンテンツが1万あるとしたらそのうちの3桁だと1%以上が日本語のコンテンツなわけで、この数字は無視することはできない。(ちなみに日系最大の電子書籍専門出版社であるLMDPでは年内に3000タイトルをリリースしたいという目標を掲げている)

全体的な論調として池田氏の言及する点には賛同できるのは確かだ。が、一部補足すべき点があるように思えるので下記に筆者のポイントを述べる。

 ただ懸念されるのは、Kindleが独自フォーマットで、そのファイルは他の端末では読めないことだ。Sony ReaderもnookもPDFであれば読めるが、Kindleのファイルは読めない。アマゾンはKindleを事実上の標準にして「電子ブックのマイクロソフト」をめざしているのかもしれないが、これは消費者にとっては迷惑な話だ。音楽配信ではアップルのiTunesが事実上の標準だが、日本で多い DRM付きのファイルはWindows Media Playerなどでは読めず、価格も1曲150円程度に高止まりしている。

キンドルのファイルが他の端末では読めないこと自体に何の問題があるのかはよく分からないが、そもそもの問題はキンドルが日本語を始めとする2バイト文字言語のフォントに対応していないことなのである。(何のためのUTF-8か)日本語のコンテンツが「ほぼ」無い、理由もそこにあるし、そもそもキンドルストアで出版するにはアメリカ国内に銀行口座を有している個人あるいは企業である必要があるので、最初から海外の企業は出版社(パブリッシャー)として迎えられていない。(しかしこの点でアマゾンが実はAppleのApp Storeよりも遥かに低い参入障壁を設けていて、実際にはアメリカ在住であれば一般ユーザーでも簡単に電子自費出版できてしまうことは大いに評価したい)
ただ、ここで言われている「電子ブックのマイクロソフト」という表現は今一つしっくりこない、いうなれば「電子ブックのiTunes(あるいはアップル)」を目指しているということなのだろうか。これはきっと筆者がマックユーザーの多いアメリカにいるせいなのかも知れない、が、MSは音楽メディアあるいは書籍をそもそも販売していないし、オフィスのパッケージ群はいまやOpen Officeでも利用可能である。大体アップルはDRMにはむしろ反対で外そうという動きで進んできているし、WMPで再生できない理由はフォーマット(AAC)の対応の問題でこれはむしろMSの都合ではないか?また値段が高いかどうかと言われると、例えば先日筆者が試しに某週刊誌の電子版を購入した際に払った1ページ105円とかに比べると安いようにも思えるのだが。むしろこれまでのように、好きな楽曲もそうでないものもまとめてアルバムで買うことを強要されていたのが、そうでなくなったことを喜んでいる消費者も多いのではないか。

 このように先行するメーカーが垂直統合型の規格を独自規格にするのは当然で、そうしないと投資の収益が見込めない。PCも最初は各社バラバラの規格だったし、通信プロトコルも1980年代までは各社バラバラだった。しかしPCの場合には、IBM PCによって(期せずして)オープン・アーキテクチャができ、通信の場合にはインターネットでオープン・スタンダードができたことによって爆発的に普及した。電子ブックが今のように「バルカン化」した状態では、市場の大きな発展は望めない。

キンドルが今流行の垂直統合型ビジネスモデルの上に成り立っているということは疑う余地もないが、これはどちらかというと最近アップルのiTunesとiPodという画期的なビジネスモデルで確立された新しい概念であり、PCや通信プロトコル、あるいはSONYのメモリースティックや、ひいてはDVD規格などであったいわゆる規格競争は単純な規格対決によるメーカー同士の囲い込み戦略であるから、異質なものであると筆者は捉えている。筆者の観点では垂直統合型ビジネスモデルには「コンテンツ・ハード・プラットフォーム」が存在しなければならず、これがiTunesで言うと「音楽ファイル・iPod・iTunes」であり、キンドルでは「電子書籍・キンドル・キンドルストア」である。そして、これらをつなぐのはインターネットだ。この点では非常に近い形として家庭用ゲーム機(PS3、Wii、Xbox)や携帯電話コンテンツがあげられると思うが、どれも市場で独占的なシェアを築いていないという点では垂直統合型「志向」に留まっている状態であるといえる。
また将棋の陣形ではないが、垂直統合型が完成した際には市場を寡占よりもレベルが高い独占に近い形で占有できるパワーをもち、他のビジネスモデルや競合勢力に対して大きな影響を与えることが特徴だ。この点でiTunesは動画コンテンツも扱っているものの、こちらについてはNetflixやRedboxなどの競合やYouTubeという巨人がまだ存在するので、そちらでは型が完成していないと言える。(ただしビデオポッドキャスティングはそれに近いのかも知れない)
もちろんアップルもアマゾンも無料コンテンツにはそれほど興味はなく、「客寄せパンダ」程度の扱いである。App Storeでは無料アプリがそうだし、キンドルではアマゾンが販売している膨大なパブリックドメインコンテンツがそれにあたる。
また「アマゾン以外の」電子ブックが「バルカン化」しているというのはそうかも知れないが、これに向けて非アマゾン連合側が打ち出してきているのがEPUBフォーマットである。問題はDRM対応が統一されていないことと、買える場所(プラットフォーム)が統一されていないことであり、これは逆に言うと垂直統合型でないから仕方ない。(ちなみに筆者が考える電子ブック2.0ではこの問題をクリアーするソリューションは提供される)

 さらに問題なのは日本だ。かつてソニーは日本でも電子ブックリーダーを発売していたが、アイテムが増えなかったため撤退した。今回もGoogle Booksをめぐる和解で、事実上英米圏の本以外は除外されることになったため、日本での発売はきわめて困難になった。Kindleも日本では端末は売っているが、日本語の本は購入できない。その原因は権利者団体が異常にうるさいことと、流通機構が古いことだ。

先ほども述べたように「日本語の本が購入できない」、という事実は無いのだが、日本語の本がキンドルストアにあまりないということの本質的な問題は先ほど述べたように「フォントが対応していない」ことである。これは以前アマゾンのベゾスCEOが雑誌などの取材でも述べているように、「将来的には日本語のコンテンツにも対応していきたい」という方向性があるようだからそれに期待する他ないのだが、もしもアマゾンが日本の出版社がキンドルを支援する動きを期待しているとするとそれは大きな期待はずれに終わってしまうかも知れない。またCESでも展示されていたSONYの新型リーダー「Daily Edition」ですら日本語フォントに対応していないのはフォーマットを主導しているADOBEの方針に従っているからであり、そもそも現存する電子ブックリーダーはまだまだ電子出版に閉鎖的なアジアの出版社をターゲットとしていない。
これは逆に言うと、彼らですら欧米の出版社を納得させるのに並々ならぬ努力と交渉を続けてきたということかも知れず、同じ成果をアジアの出版社から得るためにはコストが合わないので市場を拡大させて先方の出方を伺っている、ということであろう。つまり日本のメーカーが日本の出版社を説得できなければ、誰が説得できるというのか、ということである。アマゾンが日本語フォントを出してこない理由も市場の価値をそれほど大きく捉えていないのか、それとも競合が出てくる可能性が少ないと考えているのか、ということだ。ただし日本の電子出版市場はアメリカのそれよりも大きいといわれているので、対応してくる可能性は十分にある。そのためには日本に大量にあるマンガのコンテンツがカギを握っていると思う。またリーダーとしての携帯電話の普及率も一つの要因であることは間違いない。

 しかし電子ブックには在庫リスクなんてないのだから、こんな不合理なシステムを守る必要はない。それなのに彼らはアマゾンの参入を求めようとしない。ここで販売力の大きいアマゾンの参入を認めると、それをきっかけにして日本の書籍流通機構が崩壊することを恐れているのだ。そうこうしているうちに、世界の本の主流は電子ブックになるだろう。2009年は全世界で520万台だった端末は、2013年には2200万台になると予想されている。

確かに再販制度の存在が日米間の大きな違いであるのは間違いない。が、ここで二点補足すると
1)キンドルストアで購入するコンテンツは実際には書籍のように「購入」つまり完全に保有している訳ではない(先日の商品回収騒動を想起頂きたい)ということと
2)商品は1週間以内であれば簡単に返品ができてしまう

ということだ。日本では通常書籍は返品できないから、むしろこの点が脅威と感じる出版社はかなりの数に上るのではないか。マンガなどこれをされたら一溜まりもないのである。恐らく筆者でも新書本が簡単に返品できるのであれば、流行のものをとりあえず全部購入してみて、すぐに一通り読み終えて気に入らなければ返品してしまうかも知れない。つまり立ち読み、ということだが1週間は十分すぎる「立ち読み時間」だ。

数値に関して言うと表示媒体として主流のe-ink液晶の出荷台数は2018年には7700万枚を超えると言われているし、先日のエントリーでも記したiSuppliのデータでは世界の端末数は2010年で1200万台、2012年で1800万台になるという。世界の本の主流が電子ブックになることは間違いないが、これは逆にいうと市場そのものが大きくなる可能性も秘めているということだ。例えば電子メール以前に地球上に流通していた手紙の文字数と電子メールを含んだ現在のそれとでははるかに現在のほうが多いに違いない。つまり出版業界が生き残る道と考える手も十分にありうるのだ。

 このままでは、日本は置き去りだ。要素技術はすぐれたものを持ちながら企業に戦略がなく、既得権を守ろうとしているうちにプラットフォームを海外のメーカーに取られてしまう失敗は、音楽配信のときも経験したが、彼らは懲りていないようだ。そのときついた差が、今度の電子ブックでさらに大きくなるだろう。このままでは日本の家電メーカーは、アマゾンやアップルの下請けとして生き延びるしかない。

まったく同感だ。
怖いと言って脅威から目を背けたり、目を閉じたりしても脅威は立ち去っていかないばかりか、自身との距離を測ることができないので逆効果である。
筆者は高校時代にハンドボールのゴールキーパーや格闘技をしていた経験からも、ボールや突きから目を背けることでそれを回避できると思うのは大きな間違いだ。顔面めがけて飛んでくるあの硬いハンドボールに対応するキーパーの動きは目を閉じて顔面で受け止めることでもなければ、「キャー」と叫んでよけることでもない。じっくり凝視してそれを手で後ろに跳ね飛ばす(注:ハンドボールはサッカーと違いエンドラインの後ろに飛ばせばキーパーボールである)かキャッチすることだ。突きも同じくだ、しっかり見ないと避けられないし相手にカウンターを喰らわすこともできない。

今回のCESで明らかだったように、もはや世界市場での主役は先日世界一のIT・家電メーカーの座を勝ち取った韓国のSAMSUNGやそれに続くLGであり、大躍進している中国の企業である。アメリカでは昨年30社以上の中国系企業が上場したし、恐らく今年はそれ以上の数が新規上場あるいはM&Aによりオーナーが中国資本に変わるであろうと思われる。 (NHKスペシャル チャイナパワーより) が、彼らですら容易に成し遂げられないのが「垂直統合型」ビジネスモデルなのである。それを脅威と感じるのは日本だけではないのだ。が、中国のようにそれを頑として受け付けない、という姿勢を取るのも一つの考え方であろう。ただしその場合はこれまで日本市場を牽引してきた「内需」というものに依存し続けるという姿勢を保つ覚悟が必要であり、少子高齢化、多額の負債、低下し続ける国際競争力と流入し続ける海外資本という構図の中でそれにしがみつき続けるという態度を貫くには、覚悟だけでなくそれ相応の対価を支払わなければならない。日本ではNHKの大河ドラマ「竜馬伝」が人気のようだが、「鎖国か開国か」という議論をもう一度考えてみるのはいいことなのかも知れない。(もっとも、どれだけ考えても新たに鎖国をするという選択肢を国民がとる可能性があるようには思えないのだが)
(余談になるが、筆者は勿論男子なら誰でも一度はあこがれるといわれる坂本竜馬の大ファンである、が、一般的な竜馬ファンに対しては少し抵抗感をもつことが多い。その理由は坂本竜馬という人物を理解すればするほど、彼がいわゆるイコン(偶像)として崇拝されるなんてことを一番毛嫌いしただろうことがよく分かるからである。彼が必要としたのは彼を理解して共に志を叶えるために戦ってくれる者達、つまり「志士」であった訳で自分のことを誉めそやすだけで肝心の「開国談義」を傍観しているという者たちがいたら彼の視野にも入らなかったに違いない)

では、要旨に戻ると日本は本当に電子ブック戦争に敗れ「た」のだろうか?筆者の結論は「NOT YET」である。リーダーの戦争ではすでに敗れかけているのは事実である、が、まだまだ日本には他の市場に存在しない宝の山がごっそりある。それがコンテンツだ。日本に埋没する宝の山をどう発掘して、世界に向けてそれをお金に変えていくのか、そしてそれを成し遂げるために必要なデバイスの開発を誰がどう行い、業界に対してイニシアチブを取っていくのか。それが筆者にとって重要な着眼点である。日本ではよく「秋葉系」と揶揄されるいわゆる「オタク文化」の底は深く、それが世界の一部のファンを魅了してやまないのは周知の事実だ。そして、「にちゃんねる」に代表されるオンライン掲示板でも数々の名作やドラマが生まれてきており、これはなんといっても成熟した市場と民度の高さが織り成す文化である。他のアジア諸国に先駆けて「世界第二位の経済大国」という誉を堪能してきた日本の地位は他のアジア諸国から羨望の的であった訳であり、その間に日本の中に培われてきたものはいわゆる「付け焼刃」のものとはまったく異なる高次のものである。今後はその経済的地位をどんどん下げていくとしても、日本はアジアの文化リーダーとして文化圏を牽引していくことができるはずだ。課題は多いが、そんなものに煩わされている時間があればしっかり課題の本質を見据えて対処方法を考えるべきだ。例えば躍進する中国市場を考えて欲しい、日本は中国以外で漢字を母国語の中に取り入れている唯一の民族である。つまり、日本人ほど中国語を学習するのに有利な立場にたっている人はいないのである。これは中国の地位が向上すればするほど有意義になってくるではないか。
敢えて苦言を呈すれば何年勉強してもモノにならない英語の勉強に労力を費やしすぎずに、比較的学びやすい中国語や韓国語の学習も並行させてみるなどしてみるのもいいかも知れない。過去にSFC(慶應湘南藤澤キャンパス)で試みられていた実験がうまくいったのかどうかは知らないが、多言語を同時に学ぶことは思考を柔軟化させ、発音の学習にもよい相乗効果を生むなど、効果的であることはよく語れることである。

(誤解なきよう補足すると、これは英語を10歳の時に少人数制英会話教室で学び始め、その後25年間に渡って尋常ではない努力をして英語を学んできた筆者が、韓国語や中国語を学んだ際に感じた「費用対効果」に対する実感を端的に述べたものである。逆に言うとそれくらい日本語と英語はかけ離れた言語であり、いわゆる「ペラペラ」という幻想的状態に達するのは英語学習者の1%にもはるか満たないという私的観測に基づく意見を述べているだけであって、決して英語を話せるようになるメリットを否定したり英語をマスターするのが不可能だと言っている訳ではないことにはしっかり留意頂きたい。ZEN ENGLISHという英語学習論がこのブログのメインテーマの一つであり、日本人の英語能力向上に対して私が軒並みならぬ情熱をもっていることは周囲の方には理解頂けていると思う)

この意志に賛同して頂ける有力なパートナーがいれば、きっとまだまだ日本は形勢を逆転できるはずである。が、その前にもう一度「鎖国か開国か」の議論を考えて頂くことをお奨めする。結果は火を見るより明らか、であったとしてもである。

ZEN ENGLISH

小学5年生の時、親友の一人のお母さんがESLの講師をしていたこともあって、仲間4人でそのお母さんから英語を2年ほど教わった。その中では私が一番熱心に勉強していたように思う、外交官を志し始めたのはこのすぐ後くらいではなかったか。今でも覚えているのはいくつかの新しいフレーズを勉強していた時に、自分が使っていた鉛筆を見失った私がとっさに ” I lost my pencil!”と叫んだ時のこと。思えば私の周りの最初のトリリンガルだった先生が、満面の笑みで ”Wonderful!” と言ってくれて違う鉛筆を差し出してくれてとっても嬉しかったことを今でも鮮明に覚えている。その後「家出のドリッピー」をやってみたり、英語に関してかかれた書籍を読んでみたり、地元の国際交流センターに足繁く通ってみたりと、生きた英語(正直受験英語は苦手だった)を学ぶことにはかなりの時間を費やしたように思う。大阪府下で最初の「国際教養課」なる珍しいカリキュラムが採用された年、その一期生に名を連ねることに何のためらいもなかった。そこでは本当に英語が上手な教師とネイティブのアシスタントがおり、英語しか話してはいけない授業などもあったため、徐々に生の英語に触れる機会が増えた。もちろんこの時の経験がなければ、19歳で渡米してそのままアメリカに滞在することなどなかっただろう。

最初の英語レッスンから24年という歳月の中で、思えば私と英語の関係が切れることはなかった。そして、今でもいかにして自身の英語力を高めるかについて日々研鑽している。英語というのはそれくらい日本人にとって難しい言語だと思う。これは私の生涯の英語学習を通じての実感である。それくらいロジックやコンセプトが異なっているのだ。たとえばUCLA時代に私が夏期集中講座で韓国語の授業を受けたとき、短期間で第三言語の基礎を身につけるという私の思惑通り、10週間の授業が終わった後には簡単な読み書きはできるようになっており、発音もちゃんとネイティブに通じるようになっていた。2000ドルの授業だったが、あの自己投資は本当に有効だったと今でも思う。(グレードもAでGPA向上に貢献したことも言うまでもない)この第三言語の学習は実は高校時代のフランス語が最初だったのだが、そのときは全くものにならず、韓国語では功を奏した。ここでの自信は中国語の学習にもつながったのだが、このいわばコストパフォーマンスの違いでもっとも大きな影響を与えているのは英語学習で培った柔軟性というよりは、言語間の類似性である。逆にいうとそれくらい韓国語と中国語は日本人にとって勉強しやすい言語だ。これは英語などの西欧の言語をそれなりに勉強してからこの二つの言語を勉強するとものすごくよくわかる。そういう意味では日本人は英語を学ぶよりも、他のアジア言語を勉強したほうが効率もよく近隣諸国との交流やビジネスにもつながると思うのだが、これを声高に主張する人があまりいないように思う。逆に私が冒頭に書いたポジティブな体験と正反対の体験をし、英語について、ひいては外国人とのコミュニケーションについて抵抗感をもってしまった人がどれだけ多いことか。人や食べ物の好き嫌いでも分かるように、一度抱いた抵抗感を払拭するのは並はんかなことではない。それならいっそのことゼロ体験のほうがましだ。時がくれば学べばいいし、その頃には需要に迫られているだろうからそれなりに真剣に勉強するだろう。それを阻むものはない。

前置きが長くなったが、今や35歳で英語歴24年という経験をもつようになった私は何か英語学習者に対して貢献できることがないかと常々思ってきた。それをとりあえず二つの形で世に向けて発信することにした。一つは「絶対語感」というビデオポッドキャスト(長いので何か変わりの言葉は、番組!?)であり、これは日本語の文言に関しては日本語で、おもしろおかしい英語表現に関しては英語でトークする番組だ。もう一つは執筆活動でいわば「ZEN ENGLISH」とも呼べる著書をしたためてみようと思う。といいながら忙しさにかまけてなかなか筆を進められないので、ちょっとずつブログで書いてみることにしようと思う。これは英語の文法や語彙などを教えることにフォーカスを置かずに英語(あるいは母国語としての日本語)に対する「メンタル」を変えることで英語学習の成果を伸ばそうというものだ。私が最近傾倒している「禅」の公案の概念や、愛読している”ZEN ENGLISH”という本にインスピレーションを受けたのはいうまでもない。

たとえば、こういう話をする。誰もが下記のフレーズを英語学習の初期の段階で学んだだろう。

“This is a pen.”   (これはペンです)

これは実は英語がもつ単語の「原形」というコンセプトを示す非常にいいフレーズなのだが、実は英会話の教材としてはまったく適当ではない。 何故か?よく考えて欲しい。

このフレーズっていったいどういうシチュエーションで使うのだろう??

“Hi Ken, this is a pen!” “Hi Mike, this is a pen too!” とか?(爆)


考えたことありましたか?(次の段落は少し英文法に対しての説明になるのでアレルギーを持っている方は読み飛ばして、次の段落に進んで頂きたい。意味は通じるはず)

英語における動詞の原形は一般的にはそれが日常的あるいは慣習的に行われているか、継続する「状態」を示す。 “I go to gym.” は普段からジムに通っているというわけで、特定の時制を必要としないのはこの理由である。が、日本語の文法にはこれに該当する表現は一定ではない。たとえば「私は学生です」とはいっても(少なくともこの意において)「私は学校にいきます」とはいわない。代わりに同じ意味で「私は(今)英会話学校に通っています」と言うのは何らおかしくない。しかし、この「~しています」という表現に該当する英語表現は一般的には”(be) doing”に代表される現在進行形であり、これは例えば「(今)食べています」という表現の時には何ら違和感を感じないものの、日本語でいうところの「電話をしている」という表現を英語にすると”(be) calling”となってしまい、今度は英語の意味で「呼び出し中」という意味に近くなってしまう。(I just called to say “I love you”. という歌がある。英語では電話がつながった段階で”called”になっている。通話中は  “on the phone”という「状態」である(すなわち原形)。また未来形があまり単語に影響を与えない日本語において、「明日(は)学校に行きます」というのはごく自然な表現であるのに対し、これを英語で原形のままでやると”I go to school tomorrow.”となりめちゃくちゃになってしまう。(sounds familiar!?) (また他の機会に説明するが、このような問題は過去形にも同じ問題があてはまり、日本語の過去形が「経験」を含むのに対して、英語ではこれを「完了形」を通じて表現しなければならない。

ちなみに私がこのフレーズの(英会話としての)意味のなさに気づいたのは、実はつい最近のことである。恐らく私は生涯に、このフレーズを英会話で学ぶ例としてあげる以外は日常生活で使ったことは一度もないだろう。理由は明白で、相手はそれがペンであることをしっているからだ。(もっともペンを見たことのない子供に説明する時には使う可能性がある表現だが。。。少なくとも私はそういう状況に遭遇したことがなかった)英会話ではもちろんこのTHISをTHATとかITに変えて会話の訓練に使う、が、ポイントは日本での英語教育があまりにも実用英会話とかけ離れてきたことであり、これは枚挙にいとまがない。もちろん教科書はどんどん会話を主体とするものに変わってきていると思うし、ガラパゴスが「進化している」と主張するのに反対するつもりはない。が、それが国民全体の英語力の著しい向上という実績につながっているかというと、まったくそうではないと思う。つまりやり方が間違っているのだ。文法を説明するために日常で使いもしないフレーズを一度勉強させるというのは大いなる二度手間である。苦手意識をもたれてもしょうがない。

ZEN ENGLISHでは文法を語らないと言いつつ文法を語っているじゃないか、と言われそうだが、ここでのポイントは上記の文法上の解釈(慣れればこれもきっと楽しいものになると思うのだが)ではなく、英語学習に関する「気づき」(*禅仏教での悟りのようなもの、もちろん次元は違うかも知れないが)の世界の共有である。よく言われることだが、英語が上達する過程において日本語の方もどんどん変わってくる。それは例えば、論理性と明確性を求められる英語を学ぶことによって、日本語特有の(特に自信ですら理解していないほど曖昧な)曖昧性の存在に気づき、それがコミュニケーションの妨げになるということを理解するからであるかも知れないし、「キャッチボール」で進む英会話のルールを知らず知らずのうちに日本語に適用することなのかも知れない、もしくはいわゆる英語の表現独特のポジティブさや率直な愛情表現などではぐくんだ感情が自然と日本語に反映されるからかも知れない。この「気づき」は単なる発見ではなく、自身の考えや行動規範に大きな影響を与え、かつ実際に特定の行動に結びつけるものでなくてはならない。現実に影響を与えない悟りなど何の意味もなく、この点を英語では ”get” という非常に単純な単語で表現することがある。これは単に「分かった」ということではなく、「悟った」という意味である。

簡潔にまとめようと思ったが、言葉に関する話題になるとやはり簡単に筆を止められないようだ。いずれにせよ、興味をもたれた方は「絶対語感」と “ZEN ENGLISH”に注目し続けて頂きたい。

北京

今回初めて北京に来たのだが、北京の印象はこれまで訪れた他の中国の都市よりもかなりいい。もちろん好き嫌いは分かれるのだろうが、私はこの落ち着いた街に日本よりもはるかに長い歴史をもつ中国という国の歴史と成熟さを感じる。上海に比べると非常に地味な印象は受けるが、政治機能が集中しているここでは彼の地で感じられるような商売っぽく派手でギラギラした感じはない。それは街ゆく人々の服装にも表れている。広大な中国では行くところ行くところそれぞれでまったく違う印象を受けるが、私はここ北京で中国の一番自然な近代化の例を感じる。現地での要人とのMTGで中国の政治・経済、法整備などについて話が及ぶと、ここ北京では今まで知らなかったことを学ばさせられることが多い。世界一の人口を擁するこの国を動かしている人々の裏事情などを垣間見せられることが多く、最近躍進が目覚ましい中国が単にバブルの波に乗っているというのではなく、周到な計画と大胆な施策のもとに少しずつ前進しているさまが見て取れる。

経済的には、世界一の人口は勿論世界一の潜在的市場を意味する。自動車や携帯市場というメジャーな市場で世界一位の地位を誇る中国は、今や20年前、いや10年前ともまったく違う視線で世界中の国々から注目を集めている。かたやそれと同じ期間 『ガラパゴス』 と揶揄される高度でかつ独自の成長を遂げた日本は世界からの注目を失いつつあると思う。我々が海外に進出した時に恩恵に預かれた「MADE IN JAPAN」のブランド力はどんどん力を弱め始めていると感じるのは私だけではないはずだ。ロビーの力をみても日本の国際的競争力は本当に弱い。「中国はどこにいくのか?」はすなわち「日本はどこにいけばいいのか?」を教えてくれる教科書でもある。私自身がひょんなことから携わることになった、今回の大きなプロジェクトを通じて感じるのはまさにその点であり、これは私にとって教科書や机上の空論ではなく、まさしく現実そのものである。日本(そして日本人)の強みとは何か、日本が国際社会から求められているものとは何なのか、をもっと議論してみたらそこに何らかのコンセンサスは生まれるのではないだろうか。(ちなみに私は『ガラパゴス』化そのものは現実であるので良いも悪いもないと思っている。問題はその現実を無視しようとしたり、歪曲したり、違いを認識せずに逆に海外をガラパゴス植民地化しようとして大敗を喫したりすることである。島の中でのみ快適に生活したいというのが目標であればガラパゴスはパラダイスである、が、このいわゆる「鎖国か開国か」という議論は120年も前に決着がついたはずではなかったか)

余談であるが、最近テストを始めた「絶対語感」ビデオポッドキャスト用のネタとして、市内のあちこちにある英語のサインを見たのだが、煩わされたことはほとんどない。空港のターミナル間をつなぐニュートラム内などで流れる英語アナウンスメントも日本のそれに比べてレベルがかなり高い。これは昨年のオリンピックなどに向けて北京がかなり国際化に注力したということなのかも知れないが、外国人で溢れかえる東京の六本木でみかける英語サインのレベルのあまりの低さが頭をよぎり、この差は深刻だと感じさせられた。教育の目的をどこにおくかを施政者は真剣に協議すべきであり、それは決して短視野的なものであってはならない。政府と教育機関はいっこうに効果のあがらない英語教育にどこまでお金を費やせば気が済むのだろうか。予想通りの結果があがらない時にはその現実を直視してアクションをとる、ビジネスなら当然のことなのだが。。。私にできることは何だろう。

ケンピンスキーホテル

ケンピンスキーホテル

(*写真は今回先方の厚意により手配頂いたホテル。ルフトハンザセンター内にあり、住居棟も隣接している。北京空港からは車で40分くらい。ちなみに北京空港はすばらしい空港だ。)

一つ前のエントリーでノーベル文学賞について書いたばかりだったが、今度はアメリカのオバマ大統領がノーベル平和賞を受賞したとのこと。

ノーベル財団の公式サイトでのニュース

受賞理由説明文にはこうある

“for his extraordinary efforts to strengthen international diplomacy and cooperation between peoples”

その国際外交と(多様な)民族間の協力関係の構築に対する類い稀なる努力によるものである。

Let us be the Change we want to see in the world!

オバマ大統領の講演はすばらしいし、リーダーシップという意味では突出した存在であることは間違いないと思う。彼の功績については後生の歴史家にその判断を委ねたいが、この受賞理由は世界平和に対する貢献がこの賞にとってどれほど価値があるものかを改めて認識させてくれる。(平和賞だから当然ではあるが) よくキャリアプランニングで自分の墓碑を考えるところからスタートするというのがあるが、自分の墓碑に刻まれていたら生涯に悔いはないだろうと思える、そんな言葉だと思った。そのためにはやはり一日一日をよく生きることだろう。



アメリカではキンドルがこれまでの電子書籍リーダーでは考えられなかった成功を収めつつあるが、AppleがiTunesで音楽業界の天下を取った に近い状態であることを考えると、他の競合は市場を独占されたらたまらないと考えているだろう。これまでのところ、他の対抗馬としては Barnes&NorblesがPlastic Logics社のリーダーと、GoogleとSONYの連合軍が主力だったが、8月に発売された韓国SAMSUNGの新製品(SNE-50K)はこれに更 なる脅威を加えるかも知れない。(どうやらAppleはタブレット型Mac(iPhone?)向けのiTunesでの書籍販売を諦めたようだが、ここに例の特許侵害のニュースが実際どこまで関係しているのかは分からない)

SAMSUNG SNE-50K

SAMSUNG SNE-50K

SONYの新製品Reader Daily Editionはキンドルと同じく3G(キャリアはAT&T)を利用するとのことだが、実際には3Gを搭載しないリーダーではPCを経由せざるを 得なくなるので、使い勝手という意味では格段に劣ると思うので、通信コストをある程度度外視してもこうせざるを得なかったのだろう。WiFiもアメリカで はつながるところが少ないのであまり意味をなさない。特筆すべきはSONYが今回は独自の規格であるBBeBを捨てて次世代の標準規格と目されるEPUB 形式の採用に乗り出してきたことだ。これまでのレッスンから学んだこと、というか失敗からのダメージが大きすぎたのかも知れないが、この動きは評価すべき だろう。来年初に発売されると噂されるキンドルの新型がEPUB対応となるのかが見ものだ。

SONY ”Daily Edition"

SONY ”Daily Edition"

電子出版事業に本格参入してから、早や3ヶ月。アマゾンのキンドルストアで販売あるいは編集提携しているコンテンツも当初の目標の100冊には届か なかったが、ほぼ90%近くを達成することができた。特に言語学習系のコンテンツが人気で、現時点で一番人気のひらがな学習カードはキンドルストア全35 万冊以上の書籍の中で7,948位と出だしとしてはまずまずである。(ちなみにカタカナは8,135位)参入して初めてこの業界がもつポテンシャルの大きさに気づかされたのだが、それに気づいて行動している企業はまだまだ少ないようだ。日本も早く閉鎖的な出版体制から脱却して、電子出版の本当の可能性について気づき迅速に行動して欲しいと思うのだが。

お持ちのコンテンツをキンドルストアやその他電子出版向けのフォーマットに編集・変換します。電子出版で一気に世界市場を目指しませんか? ぜひお気軽にご相談ください!


前回の日本出張で日本の電子出版の事情を知るにつけ、ますますチャンスが大きいと感じるようになった北米での電子出版市場であるが、それでもまだキンドルに注目している数はそれほどいないと思う。しかし6月に第2世代のキンドルが値段を下げて299ドルになったことにより、それももうすぐ変わるに違いない。アメリカの9月は日本でいう4月にあたる、入学、昇級の時期だ。Back to School Campaignともいわれるこの夏商戦でキンドルに注目し始める若者は大いに違いない、特にこの9月に大学に入学する学生だ。

キンドルは299ドルで、3G接続が無料でついてくる。簡易ブラウザにも対応しており、GoogleやGmailなどが使えるほか、Wikipediaでの検索もできる。あちこちのレビューを見る限りではiPhoneのようにハッキングに夢中になっている人たちもいるようで、可能性という意味では本当にこれからである。3年間アメリカだけの市場に特化してハードとインフラを成熟させてきたのも非常に興味深い。次のターゲットは私の読みどおり、同じ英語圏のイギリスだそうだ。次にカナダにいくと思うが、その際にはフランス語に対応させていき、そこからドイツ語とスペイン語で一気に市場を拡大させていくのではないだろうか。もちろんそれぞれの市場で著作権に絡む問題があるのでこれまで以上に慎重に対応していくと思われる。そしてアマゾンが世界一のパブリッシャー(出版社)になる日もそう遠くはないのかも知れない。

当社の電子出版部門であるLocal Mode Publishingでも今コンテンツを探したり、自身で作成したものなどをどんどんKindle Storeにアップしていっている。一見簡単そうだが、フォーマットなどがなかなか難しく、本当に見栄えのよいものを作成しようとする際にはそれなりの創意工夫が必要になる。いくつかのルートを通じて、日本の作家や同人市場、画家やイラストレーターなどにコンタクトを開始している。日本では1000億円といわれる電子出版市場の大半が携帯と漫画だが、アメリカでは違う。実際に本が売れている。書籍とKindleの両バージョンがある場合には売上比は10:3.5(今年前半の時点)まで伸びているし、雑誌や新聞もかなり売れているようだ。(書籍以外は残念ながらiPhoneのKindleアプリでは購入・閲覧ができない)NY Timesのベストセラー本の実に99%相当がすでにKindle版を販売しているのは大手出版社もこの波には逆らえないというふうに理解しているからに違いない。

参考までに本日(7月24日)時点での雑誌の売上ランキングを掲載すると。

1. The Ecnomist

2. The New Yorker

3. Newsweek

4. Foreign Affairs

5. PC Magazine

6. Time

7. Reader’s Digest

8. Technology Review

9. The Atlantic

10. Business Week

となっている。かなり硬めのNew YorkerやForeign Affairsが知名度抜群のTime誌よりも売れているし、最近出版が始まったばかりのPC Magazineが一気にランキングをあげたことからも今のところのユーザ層というのが見てとれる。

日本では同人市場がそれなりの規模で成熟しているが、そういう市場に関わらずこれからは日本のクリエーターが狭い日本市場を飛び出して一気に世界市場にデビューするチャンスである。MLBのオールスターにイチローが9年連続で選ばれたように、NY Timesのランキングに日本人の名前がいくつも入るような光景を想像するだけでワクワクする。自慢のコンテンツもお持ちの方はぜひ当社までご相談ください。

新サイトを立ち上げました!

Manga Kindle

ネットと選挙

前回のアメリカの大統領選挙ではオバマ陣営が積極的にネットを用いたのが若者の支持を集めるいいきっかけになった。
ただ現行の日本の選挙法下では制限が多く、ネットがほとんど活かされない状態にあり、これは若者の民意を反映するとは到底いい難い。選挙は年金を近々もらう方々のためだけにあるのではなく、未来を築き上げていく若者のためにもあるのだ。私は日本の社会がもっと女性と子供に優しい社会となってほしいと強く願っている。今のままでは家族のことを考えた時、日本にいるよりもアメリカに住みたいと感じる妻の思いには同調せざるを得ない。私が具体的に問題と感じる日本社会のあり方についてはちょくちょく議論させてもらうとして、今回は選挙に関連したネット関係のニュースをリンクする。

まずはポータル関連

ネット大手3社が衆院選サイトに熱を入れる理由 (IT PLUS)

そしてネット選挙の実現について。ビジネスも政治も同じだが、視点は常にユーザー(顧客、有権者)重視でなければならない。若者の政治に対する無関心はどんどんひどくなっていると思うが、そういう社会を作り出してきたのはこれまでの利権誘導型の政治であり、それを助長させてきたこれまでの有権者である。(勿論私もその中に含まれる)

インターネット選挙の解禁が日本を救う(IT PLUS)

そして、Googleだ。私は商売柄“G”の動きにはいつも目を光らせているが、こういった社会貢献的な姿勢は認めざるを得ない。良くも悪くも典型的アメリカ企業だと思う。

衆院選の立候補予定者が動画で回答 グーグル、質問募集サイトを開設 (IT PLUS)

「未来のためのQ&A」概要 (Google)

以下は同記事からのGoogle日本法人辻野社長とのインタビュー内容の抜粋である。

―今回の狙いは。グーグルにとってのメリットは。

有権者と候補者の対話を促進したいと思ったことが一番の動機だ。グーグルの製品の宣伝やトラフィック増大が一義的な目的ではない。日本は公職選挙法の規制があり、米国に比べて選挙でのネット活用が遅れている。グーグルも役に立てないかと思った。

―公職選挙法への対応は。

総務省に問い合わせて、問題はないと聞いている。(動画の内容など)最終的には候補者の自己責任となる部分もあ るが、公職選挙法には最大限配慮した。現状では公示から投票までの期間はネットをフレキシブルに使えず、公示後に公開済み動画を更新することができない。 こういった面が改善されるとネットはもっと選挙で有効になる。

―ネットを使った選挙活動はインフラなどの面で公平性を欠くという指摘もあるが。

我々は場を提供する。グーグルの仕組みに興味を持って、使うかどうかは候補者の判断だ。情報格差を是正するのがインターネットだと信じている。

(抜粋 終)

何とかアメリカにいながら日本の選挙に影響を与えることができないかと思っているのだが、一つのカギはやはり動画にあるのかも知れない。公示日(8月18日予定)以降の更新は公職選挙法に抵触する可能性があるが、それまではいくらでもアップできるということだ。ブログやHPも更新できないというのはあまりにも時代遅れな気がするのだが、今回の選挙後にはこういったアナクロな法律も時代を反映したものに更新されていくことを願っている。ネットを使えない層が政権の主役になる時代は終わりを迎えつつある、というのが時代の流れだ。(それが良いか悪いかという議論はともかく) 鎖国か開国か、をいつまでも論じている場合ではない、そんな議論は100年以上前に決着がついている。そういえば今年は横浜開港150周年だそうだ。黒船が来てからそれだけの年月を経ているというのに、私には未だに「鎖国か、開国か」と論じ続けている群れがいるように思えてならない。豊富な天然資源に恵まれず、輸入に頼らざるを得ない日本、最近の東京ではレストランやコンビにでも外国人の従業員に出くわす機会がどんどん多くなっている。結論はとっくに出ているはずだ。


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