Archive for the 「 連載・著作 」 Category

LAでTED 2011 開催中! ~DAY0

今年もロングビーチで開催されているTED。今日からの開催で、メインのスピーチは明日から行われている模様。

詳細はコチラのTED2011公式サイトで随時更新されている。

今年はHULUでもチェックできるようになったようだ。そして、ビルゲイツがスピーカーに名を連ねている。

TEDTalks on Hulu: “An idea worth spreading (to your living room)”

We’re excited to announce, on the eve of TED2011, that you can now watch TEDTalks on Hulu. Starting with a set of 50 TEDTalks you can browse, we’ll soon (after TED) grow the collection to match the 800+ talks online at TED.com.

Hulu’s Andy Forssell wrote a nice blog post welcoming us to the incredibly popular video site (that’s where the headline above comes from). He writes:

Hulu’s mission is to help our users find and enjoy the world’s premium content when, how, and where they want. And we think you would be hard pressed to find content more premium than the TEDTalks from the prestigious TED conferences. Incredible people. Amazing ideas.

Watch TEDTalks on Hulu


現在執筆中のウィキペディアンの憂鬱という小説は、ストーリー形式でウィキペディアについての内容と執筆(編集)方法を伝えながら、その裏と闇の部分についても描くという意欲作である。これまでビジネス書2冊しか出してない私にはなかなか重たいものであるが、もう長い間構想を温めてきたものであるので大事に書き進めているところだ。(出版時期や編集方針との兼ね合いもあり、ブログには少しずつしか更新しておらず、実際の本とはかなり内容が異なるだろう)

僕は本作を通じて、このウィキペディアなる存在について、広く一般の方々に認知をしてもらい、できれば客観的な視点から目を光らせて頂きたいと考えている。
緊張感を欠いた民主主義が衆愚政治に陥りがちなように、ネットの世界では特にその匿名性故に恣意的な情報誘導が行われることが多い。
実名か匿名か、というのはフェイスブックやツイッターを中心に行われている議論だが、これとは一つ下のレイヤーに匿名か記名制か、という議論があると思う。
ここで重要なのは、この(実名と異なる)記名制というシステムには情報発信に関する「履歴」が必須だということだ。ウィキペディアでは匿名での編集にはIPアドレスが表示されることになっている。つまり、これはアクセス場所を変えれば同一人物とは特定されないということだ。一方、記名制の執筆には他者とは異なるID(ハンドル)の取得が要求され、これはすなわち編集履歴の蓄積と開示を意味する。(場合によったら、これが粘着荒らしと呼ばれる事態を招くことにもなる)

参考:Wikipedia:進行中の荒らし行為

一方、下記のような行為は荒らしとはみなされないべきだとされている

(一部抜粋)

新規参加者のテスト投稿
新しいユーザが「編集」ボタンを見つけると、本当にページを編集することができるかどうかを試したくなり、それだけのために記事を編集することがあります。これは荒らしではありません…
初心者による、ウィキ・マークアップやスタイルの学習
一部の初心者ユーザは、wikiベースのマークアップ(書式)を習得するのに時間を要し、時に外部リンク、内部リンク、また特殊文字を作るために試行錯誤することがあります。
NPOV違反
既にある記事や、編集しようとしている内容が中立的な観点によるものかどうかはご存知の通り難しい問題です。時には熟練した投稿者でさえ、中立的な観点から外れる内容の編集を行ってしまうことがあります。
大胆な編集
投稿者の多くは時折、記事を改良するために大幅な編集・改訂を試みる事があります。あなたが書いた文章の大部分が除去される、ノートページに移動される、または編集の差し戻しがなされると、荒らしのように感じられるかもしれませんが、それは誤解です。
人為的なミス
時折、ユーザは正確であると確信できない内容を記事に加えることがあります…
いじめ・頑固・編集合戦の繰り返し
一部のユーザは、ノートページで話し合いを望んでいる他のユーザたちと合意できないまま、他のユーザに反対されている内容や方法での編集を繰り返し行うことがあります…
嫌がらせと個人攻撃
ウィキペディアには個人攻撃をしてはならない明確な方針があります。他のユーザへの嫌がらせは許されません。利用者ページの破壊などの嫌がらせは、完全な荒らしになります…

そして、メインのエントリーページではなく、人目につくことのないノートの部分では時折ウィキペディアン同士の激しい編集合戦の攻防が見られることになります。ここには、多くのドラマがあります。全て活字だけで進行するので、追いかけるのに抵抗がある人は多いでしょうし、興味をもたない人が大半でしょう。
ですが、これらを見て、彼らのやり取りを見物してみることにより、ウィキペディアについての考え方は大きく変わってくることでしょう。良くも、悪くもです。
冒頭にも書きましたが、僕はこのウィキペディアという大規模な集合知プロジェクトが、正しく機能していくには多くの人からの正しい認知を得る必要があると考えている。そして、この難解で深淵で、時にはごく軽薄な世界を描写するにはストーリー形式が一番だという結論に達したわけである。

と、こういうことだけを言っても、具体的にどういうやり取りが行われているのかについて、ほとんどの人はノーアイデアだと思うので、ここでは過去に起きた大きな議論の内、何人かの有名人物についてのエントリーを紹介したいと思う。もちろん、ご存じの方も多いとは思うが。ウィキの恐ろしいところの一つは、先程の記名制についての記述と被るのだが、その履歴がずっと残ることである。

まずは アゴラブックスの池田信夫氏、肩書きに始まり、いくつかの記述が「不正確」だということで、ご本人らしき方がウィキに登場して怒りのコメントを掲載されたことで話題になった。

池田信夫 エントリー (表)
池田信夫 ノート (裏)

ご本人とおぼしき方のコメント

私の名誉に関することで、こういう愚劣な議論が行なわれていることに憤りを感じる。「経済学関係の業績はない」って私の論文を読んで書いているのか。私が「経済産業研究所」に勤務していたのはなぜなのか、説明してみろ。池田信夫 2010年1月22日 (金) 16:11 (UTC)

前のエントリーで、(少なくとも日本版の)ウィキでは本人が登場して情報を訂正するのは差し支えないとされていることを伝えたのだが、一般的には本人がブログや公式HP上でそれについて触れ、その後ウィキのノートで同じ主張をする、という方法が取られることが多くなっているようだ。もちろんこれは本人を特定するのが難しいことによるのだが、有名人の方はウィキに対する正しい対応を知らないと泣き寝入りする羽目になってしまうので、間違いがあれば積極的にそれを修正して頂きたい(Wikipedia:ページの編集は大胆に)。もしくは、身近にいるウィキペディアンに助けを求めることだ。もっとも、ウィキペディアンが皆バッジをつけているわけではないので発見するのがそもそも難しい。(特に60名強しかいない管理者を探すのは至難の業だろう)

池田氏も、本件はブログでコメントしている。
2ちゃんねる化するウィキペディア

次に、「バカの壁」で有名な養老孟司教授

養老孟司 エントリー (表)
養老孟司 ノート (裏)

そして、何故かここに脳科学者の茂木健一郎氏が登場してくる。どうやらあまりに不正確で偏った記述が多いので「看過できない」事態となったらしい。

ブログエントリー 火山爆発 (茂木健一郎 クオリア日記)

(養老教授に関する下りを一部抜粋)

wikipediaに対する私の不満には、伏線がある。

今でもずいぶんひどいが、一時期の養老孟司さんに関する記述は全くのデタラメで、しかも底意地の悪い偏見に満ちており、無茶苦茶だと思っていたが、私が口を出したら余計混乱すると思って放っておいた。

その後、ノートであまりのデタラメぶりが指摘されて一部修正されたが、今でも公平を欠く記述であることには変わりがない。
英語版のwikipediaではあり得ない事態であろう。

しばらく前に、「バカの壁ハウス」を訪ねた時に、二人で庭の端に立っていた時、養老さんが昆虫の分布に関する研究についてお話されて、その後、「ぼくにしては珍しく論文を書くことにしたんですよ。ははは」と言われた。
何だか、ちょっと寂しそうだった。
それで、ボクは、養老さんはひょっとしてwikipediaの記述を読んでいるんじゃないかと直覚した。

養老さんに、そんな思いをさせていい気になっている輩どもが、許せないと思った。
どんな人でも、出っ張っているところと引っ込んでいるところがある。
養老孟司という人には美質や叡智があるから人気があるのであって、現在のwikipediaの記述は、著しく公平さに欠けている。

そして、当人の茂木氏のエントリーもなかなかすごいことになっている。過去ログが2ページにも及んでいる。

茂木健一郎 エントリー (表)
茂木健一郎 ノート 過去ログ1 2007年1月11日~2009年7月9日 (裏)
茂木健一郎 ノート 過去ログ2 2009年8月18日~2010年4月10日(裏)

元アスキーの西和彦氏の項目も、本人が編集合戦に加わり、とんでもないことになった例として記憶されている。

西和彦 エントリー (表)
西和彦 ノート (裏)

そして、その挙句の果てに彼がブログでウィキについて語ったのがこちらのエントリー その名も 「Wikipediaはネットの肥溜 – 西和彦」

何年か前にWikiとネットで喧嘩した。売り言葉に買い言葉で、どんどんエスカレートした。今でも僕の項目は編集にロックされている。知り合いの人は、自分でWIKIを書くのが良くないということで、友達に頼んで自分のWIKIを書いてもらっている。ほとんど自作自演の茶番劇みたいなものである。僕は、それは偽善であると思った。書くなら自分で書こうと思った。

「そんなに文句があるならマスコミに言ってみろ」と管理人か誰かに言われたので、週刊誌やテレビ局、NET NEWSなどに、いかに日本のWIKIを運営している人たちが腐っているかを話した。その結果はいまでもグーグルに出てくる。彼等は、そんなにニュースになるとは思っていなかったようだ。

その次に、「本国のWIKIの代表に言いつけてみよう」と、「シンポジウムするから来ませんか」と誘ったら、出てくれた。話を聞くと、アメリカの代表はまともな人であった。私はそのときに、変なのはWIKI本体ではなく、日本のWIKIを運営している人たちだということに気が付いた。そして、馬鹿らしくなって、そいつらとやり取りをすることをお休みしている。グーグルした結果を引用するだけで記事を書く人たちなので、中身が間違っていて、浅い、薄い、軽すぎる。今度、挑発されたら、また受けて立ってもいいかなと考えている。

僕たちの世代は新聞や本の「活字を信じるな」といわれて育った世界である。それが今ではネットになった。「ネットに書いてあることを信じている人はいない」と思うのは僕だけではないと思う。いいWEBもあれば、悪いWEBもある。今のネットは単一のWEBの全体集合だけでなく、WEBとGOOGLEがセットになっていわゆるWEBとして利用されている。そしてミニグーグルとミニWEBがWIKIではないか。だからWIKIはどこまで言ってもマイナーな存在であり続けるであろう。

問題はWIKIがPEDIAという接尾を使って、いわゆる百科事典のようなふりをしていることにあるのではないだろうか。その意味で、僕は昔2チャンネルのことを「便所の落書きみたいなもの」といったことがあるが、WIKIは「真実と嘘と無知と偏見と嫉妬と虚栄が混じったネットの肥溜みたいなもの」ではないだろうか。そして、それが日本にだけ起こっている現象であるということが残念である。

西氏は少しエスカレートしているきらいがあるが、僕もウィキはもう自分のことを「百科事典」と呼ぶことに問題があるという点では認識を同じくしている。
これだけの知名度と多くの支援で成り立っているウィキはもはやウィキであって、それ以外の何者でもない。どちらが上とか下とか、そういう問題でもない。百科事典だとかいうのは逃げ口上ではないか、あれだけ堂々と資金調達しているのだから、その姿勢を保てばいい。

これらは、冒頭の存命人物の伝記の「議論のあった存命人物項目」というところのほんの一例に過ぎない。ウィキはある意味毎日が戦争である。

そして、上記に出た方たちの何人かの共通認識が、「日本のウィキの特異性」である。もしかしたら日本ではウィキも「ガラパゴス化」しているのではないか?
そういう視点も、「憂鬱」では供給したいと考えている。 

どうだろう、ウィキについての見方が少し変わってきたのではないだろうか?(そんな方には、「ウィキペディアンの憂鬱」をご一読することをオススメします 笑)


フェイスブックやツイッターだけじゃない、ソーシャルメディアの今と未来について知りたい方はこちらをどうぞ。
あなたの周りの「プロ」は実は本当のソーシャルメディアを知らない、かも…

ウィキペディアでは原則として、自身や自身に関連した項目、あるいは自分の専門分野などについては編集すべきではないというルールがある。(ウィキの編集ガイドラインには一見言葉遊びのように見えるような表記も多いので、ここでは少し言語を分り易いものに変更しました)

ここで問題になるのは、自分自身あるいは自分が代理するような人物について、何か不適切な表記や誤った情報が記載されているのを発見した場合です。
今回はその対応について説明します。

下記は表題の通り Wikipedia:存命人物の伝記 という項目からの抜粋です。

「存命人物の伝記」の執筆時には特段の注意を払わなければなりません。「存命人物の伝記」には一定の配慮が必要であり、また下記の基本方針を厳守しなければなりません。

* Wikipedia:検証可能性
* Wikipedia:中立的な観点
* Wikipedia:独自研究は載せない

記事は「正確な」ものでなければいけません。特に、その人物の生涯の細部については、信頼性の高い参考資料だけを用いるべきです。存命中の人物に関する否定的な情報で出典の無い、あるいは貧弱なソース(情報源)しかないものは、項目本文およびノートから即刻除去するべきです[1]。 これらの基本方針は伝記以外の項目における、存命人物の記述にも適用されます。

方針の位置づけ(一部抜粋)

2009年4月に、存命中の人物の伝記に関するウィキメディア財団の姿勢を示す決議が採決されました[2]。この文書は、決議で勧告されているように、存命人物を解説する記事について、中立性と検証可能性について特別の注意を喚起するポリシーです。

ウィキペディアの記事は、検索エンジンによる検索結果の上位に現れる機会が増えました。これは同時に、記事の当事者の雇い主や同僚、友人、隣人、知人といった当事者の生活に影響を与えるような人たちが、当事者についての記述をウィキメディアのサイト上で探し当てる可能性も増えたということでもあります。存命中の人々に関する記事については、中立的な観点に立ち、情報源をきちんと挙げて確かな解説を行うといったことについて編集コミュニティの責任も大きくなっています。

そして、もしもあなた自身の記事について何か誤りを見つけた場合は直接対応することが可能です。
これは下記の項目で説明されています。

本人を情報源にする場合

記事の執筆に本人が参加するケースがあります。本人自ら編集したり、対象となる人々の代表が編集したりするかもしれません。彼らはノートやメールでウィキペディアンに連絡してくるかもしれません。あるいは、プレスリリースや個人のウェブサイト、ブログ、自伝などで情報を提供するかもしれません。当事者提供の情報と記事本文のソース無しの記述が矛盾する場合、出典の無い記述は取り除かれねばなりません。

下記のような場合、当事者提供の情報を記事に加筆しても構いません。

* 情報に当事者の知名度に釣り合うような重要性があること
* 論争が起きやすくないこと。
* 不当に本人に都合よく書かれていないこと。
* 第三者に対する主張や当該人物に直接関係ない出来事に関する主張を含まないこと。
* それが、確かに項目当事者自身で書かれたものであること。

* 本人のブログや個人サイトは、たとえ出典として用いなくても、外部リンクや参考文献にリストして構いません。

当人はプライバシー尊重を望んでいると推定する

ウィキペディアは芸能レポーターでも、スクープ記事でもありません。存命人物の伝記は、慎重に、かつ当該人物のプライバシーに配慮して書くべきです。」

重要な項目の一つが「誕生日」、つまり年齢についてです。ウィキの人物伝にはたいてい誕生日が記載されていますが、これは本人や所属団体が公的なプロフィールとして発表していなければ、削除する権利があります。これについては下記の項目が示すとおりです。

誕生日のプライバシー

ウィキペディアには著名人の正確な誕生日が載っていることがありますが、ほとんどの存命人物の場合、この情報を記載するには注意が必要です。

多くの存命著名人の誕生日は一般に公開され広く知られていますが、それほど著名で無い場合は必ずしもそうとは限りません。

「なりすまし犯罪」が増えつつある中(identity theft: [1])、正確な誕生日は個人情報であると考える人が増えています。

その人物が著名であるかはっきりしない場合、あるいは、項目対象になっている人物からその誕生日の公開について苦情が寄せられた場合、安全側に倒して誕生年だけ書くようにしてください。

そして、ご自身についての記事を修正したいと考える場合には下記のガイドラインを参考に訂正してください。自身の名誉を守るためにも重要な権利です。
もしかしたら、あなたのことを意図的に貶めようとする存在がいて、編集をしているのかも知れないのですから。

ウィキペディアは本人による項目の新規投稿や既存記事への加筆は思いとどまるよう勧めますが、不正確な記述の修正や、不正確、あるいは根拠の無い記述の除去は歓迎します。

IP編集者が存命人物の記事を全部または一部消去する場合は、注意深く判断しなければなりません。項目の個人が特に著名なわけではない場合、そういう編集は「通常、荒らしではなく」項目当人が偏ったり不正確だったりする記述を取り除こうとしているのです。「最近更新したページ」を監視している人などは、こういう場合、誰を相手にしているのか、注意深く確かめるべきであり、挑発的な要約を書いたり、「荒らし」テンプレートを貼ったりすることは避けてください。

そして、事態がもしもあなたの手に負えないようでしたら、下記の項目を参考に、ウィキペディアン(ボランティア)に助けを要請してください。
電話はNGですが、メールによる連絡が可能です。
あなた自身に関する記事の扱いについて

あなた自身に関する記事に疑問や問題がある場合は、info-jaチームにメールしてください。あるいは、そのページの編集者にこのガイドラインを示してください。ガイドラインの遵守を求める上で助けが必要なら管理者に連絡してください。
Wikipedia:管理者への依頼」を参照

特に面白いと思ったのは下記の項目。確かに新人ウィキペディアンに対する指導は、時に厳しすぎるように思えることがしばしば。愛のムチと取れなくもないんですがね(苦笑)

Wikipedia:新規参加者を苛めないでください

ウィキペディアは熱心な参加者の努力だけではなく、匿名を含む多くの新規参加者の貢献によって、現在の姿となりました。新規参加者は、ウィキペディアにおける将来の重要なメンバーたりうる大切な人材でもあるのです。コミュニティにおける彼らの価値を理解しましょう。

新規参加者には、親切に、礼儀正しく、そして根気を持って接しなければなりません。なにか理由があったとしても、彼らに敵意を向けてはいけません。この事ほど、新規参加者を怖がらせ、ウィキペディアへ関わるのを避けさせてしまうことはないのです。

つまり、新規参加者を減らそうとすれば、威嚇して彼らが近寄りがたくしてしまえばいい、ということになりますね。
相手がそういうつもりではなくても、そういう気持ちで執筆の道を断念する新規参加者も多いことでしょう。。。

全てのウィキペディアンのみなさんに、もう一度下記の項目を確認頂きたいです。原則、原則、と大声を張り上げる前に。。。

新規参加者に忠告する際には、ウィキペディアで通常使われている落ち着いた口調から、さらに和らげた話し方を心がけましょう。新規参加者が、真に歓迎されていると感じられるように接しましょう。

新規参加者はウィキペディアの役に立ちたいと思っているはずです。我々が行っている編集の習慣をまだ知らないからといって、それを知りたくないと思っているわけではありません。ですから、学ぶ機会を与えてあげましょう! 我々だって、かつては新規参加者だったのですから(自分は最初から経験者だった? 確かに、同様のウィキに参加したことがあったり、最初の編集を行う前に全ての資料に目を通してルールや習慣を理解してしまうような人もいます。しかし、だからといって「普通の」新規参加者を見下していいわけはありません)。

いくつか仕事で作った割には、個人のをもってなかったのですが、個人用のページも作成してみました。
本アカウントは今のところ直接のつながりがある方のみとなってますので、よろしければ代わりにこちらをご訪問ください。

ちなみに、FBページのURLの一部が重複したりすることがあります。その場合は、一度HomeからFacebook.comのURLに戻ったのを確認した上で、検索窓からサーチすると最短のURLが出ます。(他にも方法あると思いますが、私はいつもこの方法を利用してます)

しかし、公式サイト(Ning)にツイッターに、ブログに、SNSにとやることどんどん増えますね(苦笑)
恐るべしソーシャルメディア時代、うまく使い分けを考えないと。

FBのほうはちょこちょこ更新していきます。

著書の購読を通じて、ブログに起こし頂いたAkikoさんから大変すばらしいコメントを頂いたので、下記に全文をママ転載いたします。(見やすくするための改行はこちらで行いました)
ソーシャルメディアの革命は、まずはみんなの心のなかに起こるものなのかも知れません。
読む前に、この内容に関してご本人を傷つけるような発言や行動を直接しないと約束してください。(弱い者いじめは大嫌いです)
名前を晒してこういう発言をすることがどれだけ難しく勇気を必要とすることなのかを考えて、感じてみてください。
代わりに、コメントは私が受け付けます。

(以下コメント全文)
こんにちは、立入様、大前晶子です。twitterではいつもお世話になっております。
立入様の幼少の頃の生い立ちについて激白されておられましたので、私もすこしばかり・・・。私は香川の引田町という小さな田舎町に生まれました。母親は私が2歳のときに蒸発し、以来顔を見たこともありません。父親は指定暴力団員でした。祖母はそのようなことにかかわらせたくないという思いから私たち姉妹を養女としてひきうけました。祖父は韓国人です。一生を祖母とそいとげましたが、祖母は生涯、祖父を自分の戸籍にはいれませんでした。好きだったにもかかわらず、いつも‘韓国人は、韓国人は’と文句をいっておりました。奇妙な関係です。祖父の名は金斗石と申し、55歳を超えた時やっと日本名、鳥飼正治とかかれた健康保険証をうけとりました。あまり喜びをあらわにしない人でしたが、その時ばかりは本当にうれしそうでした。
祖母の二人の息子は破産したり生活保護をもらったりで、昨年祖母が亡くなった時も何もすることができず、私と妹そしていとこの三人で葬儀をとりおこないました。

私は子供の頃、祖父が韓国人であること父が暴力団員であることはだれにも言うなと言われていました。また大人になり付き合った人にうちあけたときもどうしようもない反応ばかりでした。しかしこれもおかしな話ですが、私は祖父が韓国人であることを誇りに思っていましたし、暴力団であるのに父を誇りたかったのです。祖父の血の影響か、私は愛国心の少ないものでした。いつも海外に目が向いていました。ですが私には海外に行くという選択をしませんでした。経済面もそうですが祖母をどうしても幸せにしてあげたかったのです。祖母の唯一の願いは家族皆が仲良く一緒に暮らせること、ただそれだけでしたので私は最終的に6 年前に田舎に帰り、最後まで祖母といっしょにいました。中学の時から何度も生死の淵をさまよっては復活するという人でしたので私たち姉妹は唯一の頼みの綱をなくすおそれにずっととらわれ続けてきました。そこで私はこういう恐れにとらわれないようにとクリスチャンの道を選びました。以上がかるい生い立ちです。

ところでレスが少なかったとありましたが、私はそうは思いません。立入様の真摯な言葉には同じく真摯にレスをするために少しの時間を要しているということだと思いますのでこれからではないでしょうか。
さて、最初の英語教育に付いてですが、私は数年、この田舎で塾の講師や家庭教師をやっており、気付いたことを述べさせていただきます。私が教えている皆は言葉は悪いですが非常に学力の低い子供たちばかりです。皆必死で目の前にある課題や宿題を処理しようとしていますが自発的に興味をもって解決する意識が皆無です。しかもその親たちも同じく質より量を要求します。2時間の授業で5教科をまんべんなくしてくれ、宿題をもっともっとだしてくれ、という具合です。家庭教師を雇うので少しは裕福かと思えばそうでもありません。子供が塾の皆とうまくいかないからというのです。家事手伝いをしている様子もありません。家は非常に汚いのです。トイレは恐ろしく汚いです。基本的な教育がどうも今の日本ではなにやら昔と違うような気がします。
また、英語教育というより、海外に興味を持っている子供がいません。私たちの世代の方がましだったように思います。これはやはり、身近にいる外国人が少ないことと、彼らが広い意味で地域の中で活躍できないことが原因だと思います。せっかく海外の方が近くにいても、日本人がその方達の行動を制限しているのです。

こんな田舎ですが多くの中国人、韓国人が労働者としてここに来て安い賃金で働いています。私の前に働いていた会社では派遣された中国人の女の子が他の会社の中国人の男の子と外で話をしていたというだけで、市営住宅の風紀が乱れるとのクレームを受け故郷に返されました。泣きながら車に乗った姿が目に焼き付いています。また、団体行動を強いているため、横断歩道の渡り方まで厳しく指導する始末です。私の中は大きなクエスチョンマークと怒りがいっぱいでした。彼らから何かを学ぼうという姿勢がなかった上、自分たちのやり方ばかりを押しつけます。しかしこれは何も外国人に対してのみおこっていることではありません。多様化を認めない日本人の姿勢はもともと日本人自身に対しての姿勢であり、それが今は外国人に対して顕著に顕れているにすぎないと私は思っています。日本人論的なクリシェな意見で私の意見にはならないでしょうが、やはり現状は相も変わらず昔のまま維持されています。
また教科書にも問題があるのも確かです。事実の羅列に過ぎない歴史教科書ですが非常に危険な面をはらんでいます。第二次世界大戦については軽くふれられるだけにとどまり、私たちが行ったことをあまりにも軽く書きすぎています。南京大虐殺の言葉は出てきますが子供たちが覚えるのは名前だけにとどまります。反日プロパガンダについていえば、彼らが訴えているのは歴史の事実です。彼らの目が見た歴史上の事実です。私達がそれをきちんと教育することが、いったい今の日本にどのような害を与えると言うのでしょうか。何を隠そうと言うのでしょう。それを隠せば日本が良くなるとでも本気で考えているのでしょうか。‘こういう見方もある、ああいう見方もある’と言うことを教えることが一体誰を脅かすと言うのでしょうか?

国の為に戦死した兵士たちの威厳を守るため、国の尊厳を守るため、戦後すぐには、あまり公にしてはならない出来事ではあったかもしれません。終戦になったからといって、はいそうですかと考え方まで変えることは到底できなかったと思います。そのため当時にこのような事実がふせられたことは仕方がなかったことかもしれません。問題はそこからはじまっていますが、しかし、本当の問題は、それが今でも正しと思っている人間が日本にいるということです。もしくは、どちらでもいいと思っている人がいると言うことです。また、良くないと思っていても自分の問題と捉えていない人がほぼ全員だと言うことです。

>あなたの周りで、日本語を話す中国系や韓国系の方々をこれまで何人くらい見ましたか?
最初は話すことはできませんが彼らは必死に勉強しています。そして必ず話せるようになって故郷に帰ってゆきます。

>では、あなたの周りで中国語や韓国語を駆使してネイティブと対等にコミュニケーションをとっている日本人をこれまで何人くらい見ましたか?
いません。ちなみに私の祖父は7歳の時に日本に来て以来日本語のみで生活していました。私が子供の時祖父が国際電話で韓国語を話しているのを聞いて私はすごいと思い尋ねました。‘なんでしゃべれるん?すごい、韓国語しっとん?’‘わからんけど、韓国に行って何日かしたらしゃべれるようになった’・・・おそらく子供の時に聞いた両親の韓国語の影響もあったのでしょう。しかし祖父はそれをまったく自慢しようとせず、逆に隠しておきたいようにも見えました。私は祖父から韓国語を習いたい気持ちをぐっとおさえました。

>では、あなたの周りで、英語を駆使して世界と対等に渡り合うコミュニケーションをとっている日本人の名前を何人挙げられますか?
皆はげしくへたくそですが毎日英語が聞こえる会社にいます。パート勤務ですが、これはまだましです。
「顔が見えない日本人」、「出る杭は打たれるという文化をもつ日本人」
大事なのは、日本人はいったいこれを改めるつもりがあるのか?ということです。 

立入様のおっしゃるとおり、まず意識改革が必要です。
今のtwitterで明らかなことは、それでも多くの人たちがしっかりと自分の意見を持っている、ということです。皆明らかに主張しています。しかし問題は、‘リンク’されていないことだと私は考えています。自分の中では問題意識を持っていても先に書いたように、教科書については間違っているというリンクづけができない。私自身の意見として、SHAREを実現するために本当に必要なことは、様々な事柄を360度の角度からリンクさせることだと考えています。そして自分に結びつけることだと思います。ですので立入様が述べる、もし、自分の家族が危うくなったらと言う質問は、人々にリンクの概念を喚起させるもっとも良い質問だと思います。エジプトの民主運動は、このフェイスブックをとおしたリンクに本当の意味でのリンクがつながった大革命でした。

立入様が心に求めることは皆意外と心に持っています。だそれを具現化する立入様のリーダーとしての役目が非常に重要であることについて、私は応援したいと思っているのです。フェイスブックを通して人が人を判ることができればそれこそどんなにすばらしいですか?これはフェイスブックなしではなりたたないのです。今のところ日本人は皆顔を出しては話しません。でも毎日本当に意味あることをつぶやいている人もいますよね。これが私たちの大きな希望で財産で無尽蔵にあるSHAREの源です。すごいですよね。外に出る日は必ず来ます。今は不毛な地のように見えるその場所もひとたび命が吹き込まれればそこは大胆に恵まれた土地になります。

ここで一つ私の方からお願いがあります。はっきりと申し上げますが、もし何かしてほしいと思うことがあれば、私には遠慮なくおっしゃってください。何の知識もないのは残念ながら確かですのでお役にたてることは少ないと思いますが、私にはイエスがついています。私は、SHAREの実現を強く望みます。小さな人間でも役に立つことはあるでしょう。ぜひどうぞ。

WSJの電子版部門であるAll Things Digital がグーグルの電子出版向け新ソリューションのローンチを報道した。

Android Market Opens Book Store

Now that Motorola’s Xoom, the first tablet to run Android 3.0 Honeycomb, has begun shipping, Google is finally lighting up the e-books section of Android Market.

An outpost of the Ebookstore it launched last December, the Android Marketplace Books is the first of a handful of new offerings expected to make the digital storefront more competitive with iTunes. Two more expected additions: music and movies.

本だけじゃなく、映画と音楽の配信も行い、iTunesと一騎打ちを目論んでいるようだ。
アマゾンが、すでに電子版の売上を紙版よりも大きくしているように、電子出版そのものは北米では伸長しており、日本では逆に混迷が深まっている様子。
もともとの紙本に対する需要とその質が日米では大きく違うということもあり、日本では今後もしばらく「是非」の議論が続くのだろうと見ている。ただ、真似をすればいいというものではないから、じっくり考えて頂きたい。もちろん、世界に打ってでる戦略も重要である。(世界に出るのにガラパゴスというネーミングは頂けないと、個人的には思っているが。発音しにくいし、みんなそんな小さな島のこと知らないし。)

サイトはコチラ

しかしこのサイト、見ればみるほど、どっかで誰かが企画した電子出版サイトとそっくりである(苦笑) シンプル・イズ・ベストと取るべきか、定評のあるグーグルのデザインセンスの悪さを考えて自戒すべきか、悩む (笑) 

ソーシャルメディア時代への移行に伴っては、佐々木俊尚氏がキュレーションに関連して指摘されるような「視座」が必要になってくる。これまで私たちはテレビのワイドショーや新聞、週刊誌に代表されるマスコミの報道ばかりが私たちにとって重要な問題だと思ってきた。

だが、例えばMixiやYahoo!のニュースヘッドラインに流れる情報の大半はゴシップニュースである。アクセスが集まるのだから仕方ない。
戦後日本人は経済成長の過程で多くのものを失ってしまったのではないだろうか。つい最近まで自分たちも貧しかったという事実を、忘れようとしているのではないか。

話はそれるが、これは、例えば今韓国が経済成長を遂げている過程で、彼らが本音はさておき、あまり日本をライバル視するような発言や態度を取らないことにも関係している。(いっぱい言ってるのは知ってるが)
つまり、韓国は日本との競争自体を「過去の遺物」とすることで、一つ先のステージに到達していると誇示しているかのように思える。

日本人(の多く)が世界の貧困や飢餓、紛争といった問題に対して無関心なことの原因はいくつもあると思うが、最も肝心なのは「つながり」がないことだ。いくら遠い国でも、自分の家族が関わっていれば自然と興味は湧くものだ。アメリカを見ていると、その移民政策がこの国の多様性をいかに支え、そして世界に関心をもたせているかがよく分かる。そして、日本に「視座」の多様性をもたらしてくれるのは、日本に住む外国人と海外在住の日本人だと思っている。

次に紹介するコンゴウィークのビデオでは日本の大学生を巻き込んで「外国人」が啓蒙に努めているのが伺える。


(*私が今携わっているコンゴ本の翻訳は、この中にでてくるフレンズ・オブ・ザ・コンゴにも関連しているものだ)

もともと発言するのが苦手な私たちは、自分で理解できない状況が眼の前で起こると黙ってしまう。そして、誰かが声を上げるのを待つ。
しかし、人間は理性的であると同時に感情的な生き物である。本を読んで主人公に共感して喜んだり、ワクワクしたり、憤ったりするのと同様に、目の前で死にそうな人がいれば悲しくなって当然である。それが誰かは関係ない話だ。現在起きている世界同時革命やコンゴの状態、あるいは中国のネット革命対策について、自身の見解を述べるのに、専門家の知恵は必要ない。そして、いまやネットでいくらでも調べ物はできるし、その気になれば論文や本まで書けてしまうくらいだ。

これから私たちが世界に向けて、個人の「視座」を確立するのと同様に、日本人としての「視座」も確立していく必要があるのではないか。
そう考える時に、今の日本の無関心、もっと直接的な表現をすれば「冷たさ」が妙に気になる。核家族化がもたらした弊害なのかも知れないし、敗戦から経済成長につながる過程でどうしても無視しなければならなかった感情があったのかも知れない。
日本の企業戦士、コーポレート・ウォーリアーとして頑張ってきた団塊の世代、彼らがいたのは戦場であり、そこでは個人の感情など無視されて然るべきだったのかも知れない。その犠牲と努力の土台の上で、今の日本の豊かさと平和がある。

平和とは何か、それは芸能人のちょっとしたゴシップでみんなが騒げることであり、世界で革命が起きてあちこちで死傷者がでてるのにも関わらずパンダがきたといってほんわかできる、そういう環境があるということだ。もちろん現代人として多くのストレスを抱えている部分の裏返しでもある。世界中で誰も乗りたがらないような満員電車に毎日乗って通勤する日本人は、それでも二酸化炭素を減らせと言われれば、海外からホットエアーを買ってでも、世界の基準に対応しようとする。世界一の経済大国であるアメリカが京都議定書を批准していなくても、である。

私がPlaying for Changeやコンゴの問題に関わってから、いくつかの素晴らしい出会いをした。世界には、本気で世界の平和を願って行動している人たちが何人もいるし、日本の中にもそういう人はたくさんいる。憲法改正をするかどうかはさておき、現存する平和憲法と唯一の被爆体験を通じて、日本は独自の「平和」観を視座としてもってみるというのはどうだろう。

日本ではソーシャルメディアが普及しない、という観点でブログのエントリーをあげたのが「ソーシャルメディア革命」の執筆につながった。
そういう体験をもった著者として、日本に喚起したい「視座」がいくつかある、それがこの平和観である。平和ボケ慣れしてしまった、あるいはそう思わされてしまった日本だからこそ、ソーシャルメディアに移行するには大きな障壁がいくつもある。しかし、その移行、すなわち「革命」が達成された時にこそ今の日本は変われるのではないか。ソーシャルメディアと「世界の平和」についてぜひ考えて頂きたい。そして、その前にもう一度自身に問いかけてみよう、「果たして日本は平和な国なのか?」、と。
かつてのローマではないが、極度の平和を享受している日本はある意味世界に先駆けて、本当の平和とは何か、について学べる位置にいるのかも知れない。そして、今このブログやツイッターで起こっていることのように、海外在住の日本人が日本に向けて情報を発信するということが、その革命のきっかけになることを切に願いつつ、「ただ言いたいことだけ」言ってます(笑)。

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日本で起きる革命こそが、本当のソーシャルメディア革命かも知れない。。。

ステルス紛争

ステルス紛争
サイト管理者の紹介
ヴァージル・ホーキンス(Virgil Hawkins)氏はNGOの一員としてアジア、アフリカで合わせて5年間、社会開発の事業に関わり、現在、大阪大学の国際公共政策研究科(OSIPP)で准教授をしている。

昨年のTEDXTOKYO HIT RESET で人権尊重についてのすばらしい講演された日本ヒューマン・ライツ・ウォッチの代表土井香苗さんらが新たに募金運動を始められました。

JustGiving.jpというファンドレイジングサイトを通じての「チャレンジ」です。

リビアなど世界中の民衆デモに対する武力弾圧を止める!

早速、わずかながら寄付させて頂きました。第一号でした。多くの方にご参加頂けることを願います。

ヒューマン・ライツ・ウォッチ公式サイト

土井香苗さんのTEDXTOKYOでのスピーチの様子

意力は本気で世界を変えようとする方々とその志を応援します!

ソーシャルメディア革命の執筆のきっかけとなったと言っても過言ではない、BlogWorld & New Media Expoの今年度のスケジュールが発表された。
なんと場所はロサンゼルスのコンベンションセンター、ゲームのE3ショーが開催されているところと同じ会場である。

BlogWorld & New Media Expo Is Moving To Los Angeles

We have been hinting at big news for weeks now and we are glad to finally be able to share it with you. BlogWorld & New Media Expo West will be held in Los Angeles at the Los Angeles Convention Center this November 3 – 5 2011.

For those interested in the long version of why we decided to move to Los Angeles and leave Las Vegas you can read more at the bottom of this post. In short we love Mandalay Bay and Las Vegas. We never thought we would leave but the folks at MB just did not have the space we needed to hold the show there this year so we had to look at other options.

ロサンゼルス移動の決定理由のショート版は上記、そして、ロング版は原文(下記)を読んで頂きたいが、マンダレイベイが手狭になってきたことで、他の会場を探したところサンディエゴとロサンゼルスが二大候補地となり、ビジネス規模と最近会場近辺のダウンタウンが改修されてイベント後のサポートもしやすくなったロサンゼルスが見事競り勝った、ということらしい。

まぁ実際にビジネス規模を考えてみると、一大エンターテインメントシティのロサンゼルスが選ばれるのも頷けるというものだ。

We were blown away by our first site visit to Los Angeles. I have attended numerous events at the LA Convention Center including NAMM, E3 and the LA Auto Show. Honestly I always thought the convention center was great but there was nothing to do once you left the building. That has changed drastically! Downtown Los Angeles is being revitalized. The multi-billion dollar L.A. Live entertainment complex is directly adjacent to the convention center. Several of the downtown hotels have just undergone multi million dollar renovations in order to compete with the new J.W. Marriott and Ritz-Carlton hotels (they are beautiful btw). There are tons of new restaurants, shopping, parks and just cool city stuff that you (at least I) had never imagined of when I thought of Los Angeles. Oh and don’t forget the food trucks.
To sum it up we think all of you are going to find more business opportunities than ever and those of you unfamiliar with Los Angeles are in for a real pleasant surprise.

と、いうことで、Welcome to LA, Blog World!!
日本からお越しのみなさん、ぜひオフ会でも開催いたしましょう。日本食食べたい方は少し移動してトーランスにどうぞ(笑)

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