1 10月 2010
日本語以外にも英語や韓国語でも出版していきたいと考えている野心作「ウィキペディアンの憂鬱」はまだ始まったばかり。
ここでは番外編と称してこの作品を読み解くカギや執筆の裏話などを解説していきたいと考えている。
まずあらすじだ。
<あらすじ>
「柳田礼人はロサンゼルス在住のソーシャルメディアブロガーであり、本業は電子出版業と翻訳で食いつないでいるものの、早く執筆業だけで生計を立てていきたいと考えている。ブロガーとして「電子ブックレポート」を配信して、日本でも知名度が上がってきたものの、まだまだ執筆だけでは食っていけず、商業ブロガーというものが本当に成立するのかと懐疑的になりながらも、自身の才能を信じて日々苦闘している。
柳田はとあることから、インターネット上の「人類の集合知」と呼ばれるウィキペディアの編纂に携わるようになり、ウィキペディアン(ウィキペディアのボランティア編集者の総称)の一人となる。そのスキルを使ってちょっとした金儲けを思いついた柳田は霜田という現地コミュニティの有力者から金を受け取り霜田の項目作成に着手するも、これがきっかけで柳田は日本版ウィキペディアの深い闇に身を投じることになる。。。果たして柳田が目にした「ウィキ」の闇と65人の管理者を含むウィキペディアンの苦悩とは?ソーシャルメディアやWeb2.0の先駆けとして誕生した「人類の英知の結晶」とも言えるウィキの存在意義と本来のあり方を世に問う衝撃の話題作。
勿論「衝撃」も「話題」も筆者の脳内の話だが、それくらいのインパクトがある作品だと考えている。
ウィキペディアのトップにはこういう表記がある。
ウィキペディアはオープンコンテントの百科事典です。基本方針に賛同していただけるなら、誰でも記事を編集したり新しく作成したりできます。ガイドブックを読んでから、サンドボックスで練習してみましょう。質問は利用案内でどうぞ。
現在、ウィキペディア日本語版には約 706,941 本の記事があります。
サンドボックスというのはウィキの執筆をするに欠かせないタグ(HTMLみたいなもの)言語の構造を理解し練習するためのページである。
執筆に対してのガイドラインとしては Wikipedia:基本方針とガイドライン に詳しい。
ここで述べられている五本の柱というのがウィキペディアの全ての指針の基礎であるとされている。下記がその五つである。
ウィキペディアは百科事典です。
~ウィキペディアは、総合百科・専門百科・年鑑の要素を取り入れた百科事典です。すべての項目は、独自の研究を認めない方針に従う必要があり、正確となるよう努力しなければなりません。ウィキペディアは、個人の意見・経験・議論を書き込み、自説を披露する演説台ではありません。また、単なる情報やデータを無差別に収集する場所でも、雑学集やトリビアコレクションでもありません。自費出版の請負業者でも、無政府主義や民主主義の実験場でも、ウェブページのリンク集でもありません。
ウィキペディアは中立的な観点に基づきます。
~これは、どの観点に基づく主張もしないような項目を書くように努力することを意味します。時には、複数の観点を記述する必要もあるでしょう。その場合、各々の観点を正確に記述します。また、各々の観点の背景を説明することにより、その観点は誰の主張なのかを読者が理解できるようにします。そして、どの観点も「真実」や「最良の観点」と紹介しないようにします。中立的な観点に基づくということはまた、可能な限り検証可能で信頼できる出典を明記するということをも意味します。とりわけ論争となりがちな話題では出典の明示が求められます。
ウィキペディアの利用はフリーで、誰でも編集が可能です。
~すべての文章はクリエイティブ・コモンズ 表示-継承 (CC-BY-SA)およびGNU Free Documentation License (GFDL)下にライセンスされており、これらに従って配布したり、リンクしたりすることができます。項目は誰でも変更可能で、どの個人も特定の項目を支配できない、ということを受け入れて下さい。したがって、あなたが投稿したどんな文章も容赦なく編集される可能性がありますし、コミュニティによる再配布をとがめることもできません。著作権を侵害するようなものや、CC-BY-SAやGFDLと矛盾する方法でライセンスされているものを投稿しないようにしてください。
ウィキペディアには行動規範があります。
~他のウィキペディアンと同意できないときにも、彼らに敬意を払い、礼儀正しくしてください。個人攻撃や抽象論を振り回すことは避けて、編集が白熱しても冷静さを維持してください。Three-revert ruleを守って、無益な編集合戦に陥らないようにしてください。ウィキペディア日本語版には、編集・議論の対象となる項目が704,516もあることを忘れないでください。誠意を持って行動し、あるひとつの点を例証するためだけにウィキペディアを混乱させることのないようにしてください。他の人の言動を善意にとってください。寛大になって、受け入れるよう心がけてください。
この5つの原則の他には、ウィキペディアには、確固としたルールはありません。
~良い編集で満足を得るためにも、項目の編集や移動は大胆に行ってください。完璧さは要求されていません。また、台無しにすることについて心配しないでください。項目の過去の版は全部保存されているので、知らずにウィキペディアに損害を与えてしまったり、取り返しのつかないほど内容を破壊してしまう、といった心配はありません。しかし、あなたが書いたことは何であっても編集履歴上に後々まで残ることも忘れないでください。
また、一見矛盾するようだが、日本語版にはこれに加えて「ルールを無視しなさい」というガイドラインも存在する。
Wikipedia:ルールすべてを無視しなさい
もしも、ウィキペディアの改善や維持をしようとするときに、いまあるルールが邪魔になるのなら、(ケースバイケースで)そのルールを無視してください。
そしてこのセンセーショナルな追加項目については、本ページの裏側、編集者同士の意見交換の場であるノートで熱い議論が繰り広げられている。
そして、これらはウィキペディアの世界を理解するほんの第一歩に過ぎない。
<関連エントリー>
ウィキペディアンの憂鬱 はミステリ小説に
序章 ソーシャルメディアとジャーナリズム ~ ウィキペディアンの憂鬱 (1)
ウィキペディアは誰のものか? - ウィキペディアンの憂鬱 (0) 連載開始前のメッセージ
25 9月 2010
「理解しています」霜田もつられてやけに神妙に頷いた。霜田はITにはまったくうとかったが、ウィキペディアというものがネットの世界で有名で自分の権威付けにつながるというように理解していた。何より、自身が勝ち取った「ミスターすし」という称号を他の者に奪われるのはよしとできなかった。
商標と同じように、ウィキの世界で我こそは、と先に名乗りを上げるつもりであった。すでに著書も出し、数々の功績を上げてきた霜田には何故かまだウィキペディアの項目がなかったのだ。
「もちろん、登録されてすぐに削除される、いわゆる即時削除というやつの対象になった場合は半額を返金させて頂きます。まずはそうならないように、内容を組み立てるのが私の最初の仕事になります」
柳田の頭の中は、これから始まる戦いについて、考えを張り巡らせていた。霜田の経歴は立派なものだ。著作もある。恐らくは大丈夫だろう。しかし安心はできない。何せ敵はてごわい、いわばウィキのプロ集団だ。正直柳田の気は少し重かったが、目先の金も大事だった。もうすぐ長女の誕生日が近づいていたのだ。ひもじい思いをさせたくはなかった。子供達にも、愛する妻にも。ブロガーや作家として食べていく夢は捨てないが、まだそれは遠い目標だった。しかし、自分の執筆力と経験で対価を得られること自体は自身の夢に一歩ずつ近づいている、そういう気がしていた。それだけが柳田の後ろめたさを打ち消し、前進することの後押しをしていたとも言える。
(ウィキ事始め へ続く)
24 9月 2010
今回のクライアントは霜田という男だった。彼と会うのは二度目だったが、初老というには白髪が多い、そんな感じの印象を受ける。彼はロサンゼルスの食品メーカーに勤めながら、寿司をつくる機械を全米に売りまくった男で、日系コミュニティの人たちは彼のことをミスター寿司と呼んだ。
「これがご依頼のあった資料です。私の職歴から実績、できるだけ詳しく書いておきました。」書類を手渡しながら霜田は言った。
「ありがとうございます。拝見します。」霜田よりも、ふた回り以上若い柳田礼人は書類を受けとって、さっと目を通した。書類は十分なように見えた。
「内容の方はこれで十分だと思います。あと、画像の方はどうですか?お願いしましたよね?」柳田は確認した。
「はい。こちらに何枚か入れておきました。」小さなフラッシュドライブを預かった柳田はそれをノートパソコンに差し込んで、データをコピーした。
「確かに。5枚ありますが、こちらで選別させていただいてよろしいですね?」
「もちろんです、先生」霜田は恐縮するように言った。現地の日系コミュニティで、彼ほど有名な人物はいないと言うのに、霜田はまだ二回しか会ったことのない、年下の柳田に対して、かなり低姿勢だった。それはまさにこの相談ごとの特殊性を示していた。霜田は柳田にウィキペディアで自分の項目を作成しもらうように依頼していたのである。
ウィキペディアとはアメリカのウィキペメディア財団 (Wikimedia Foundation)によって運営されている、いわばインターネット上の百科事典である。財団は非営利団体であり、運営に必要な資金は寄付によって、膨大なコンテンツの執筆と管理はボランティアにより賄われている。ウィキペディアには数多くの言語が存在しており、日本語には65万項目が存在していた。ウィキペディアのことを短縮して、「ウィキ」と呼ぶ者もいる。ネットを日常的に利用する者でこの「ウィキ」という言葉を知らない者も、利用したことが無い者も少ないだろう。(*筆者注:しかしウィキペディアを「ウィキ」と呼ぶことは大きな物議をかもすことがあるのでご注意頂きたい。これはWikipediaの語源に関連するWikiwiki Webなどとの関係での誤解を避けるもの。これについてはウィキペディアンの方々から熱心なご指導を頂いたので、後ほど本文の中でも取り上げていきたいと思う)
柳田は、ふとしたことからこのウィキペディアの編集作業に加わることになった。過去にも何度か携わったことはあったが、本格的には昨年の11月頃に、いつもお世話になっている知人のページを修正したことがきっかけだった。ウィキペディアの世界は本当に奥が深く、そこにはさまざまな人間模様が交錯していた。まず、ウィキペディアは原則として誰でも編纂作業に関わることができるが、「本格的に」といった場合には匿名ではなく、固定のIDでの作業を続けることになる。これはハンドルとも呼ばれる。ウィキペディアでは誰でも内容をいじれるようになっているが、そこには数多くのルールがあり、実は素人が簡単に首を突っ込める世界ではない。ルールを守らないものには、死を、簡単に言うとそんな厳しいイメージを柳田はウィキペディアに対してもっていた。厳密に言うと、日本のウィキペディアに対してである。
「かしこまりました。ではお支払いの方は?」既にウィキの深い世界に頭を突っ込んでいた柳田はもとの世界に戻ってこようとするように、そう言った。
「はい、先生。こちらです」霜田は封筒を差し出した。中には何枚かの百ドル札が入っていた。中身を確認した柳田はさりげなくその封筒を自分の鞄にしのばせた。
「お伝えした通り、最善は尽くしますが、結果がどうなるかについて、私は一切責任を負いません。というか、誰も負えないんです。それが。。。」
柳田はもったいつけるように、少し間をあけてから神妙に言葉を継いだ。
「ウィキペディアの世界です」 (続く)
23 9月 2010
第一章 ウィキペディアとは何か
男は「どっちに行こうかな」と考えていた。オフィスに向かうか、近くでオフィス代わりに利用することのある近所のホテルのロビーに行くかだ。考えた挙句、男はホテルに車を向けた。時計は10時半を指していた。12時から一つアポが入っていた。最近始めたウィキペディアの編集作業に関するものだった。
全米展開している有名チェーンの系列であるいきつけのホテルの快適なロビーに到着した柳田はビジネスセンターで、ラップトップを取り出してまた執筆にとりかかる。ソーシャルメディアはマスメディアといわば対極にあたるコンセプトの草の根メディアだ。インターネットという万能な情報インフラは世界を急速にフラットなものとしていった。結果的に、誰もがニュースを配信できるようになった。そもそもニュースというものは鮮度が命であり、中身は客観的な情報さえ間違っていなければ、誰が書いても大差なかった。例えば、交通事故に関する記事を書くとしたらいつどこでどういう事故が発生したのかを書けばよい。またいうまでもなく、デジカメの存在がソーシャルメディアを後押ししていた。百聞は一見に如かずというように、一般人にとってニュースの肝は写真だった。勿論記事によっては、内容が大事なものもある。しかし、多くの読者にとって、深い内容はどうでもよくいつどこで何が起きたのかの方が大事だった。というよりそもそも大事ですらないのかも知れない。
「いかん、またまとまらなくなってきた」柳田は背伸びをして、おもむろに立ち上がりロビーに置かれている果実水の容器に向かい、隣のプラスチックカップを取って水を注いだ。雑事が始まる午後になる前にいくつかエントリーを上げておきたかった。ブログはエントリーを入れれば入れる程検索エンジンに引っかかる可能性が高くなる。単に知名度が欲しければ、できるだけ多くのエントリーを入れることだ。しかし、ただ書けばいいというものではなく、質を維持しなければならない。ゴミだらけになれば、必然読者は離れていく。またあまり多くの時間をかけ過ぎるのもやはり問題なのは明らかだった。とにかく書くだけでは儲からないのだから。今柳田が書いているエントリーはまさにそれを指摘していた。だが、やはり結論を出すのは容易ではなかった。一体どうすれば、ソーシャルメディアブロガーとして、執筆だけで家族を養っていくことができるのだろうか。柳田家の蓄えは日増しに少なくなっていった。しかしこの深遠な問題は今のところ日本はおろか、ソーシャルメディアの先行しているアメリカにおいてですら明確な答えが出ていない問題に見えた。
ふと目にしたロビーの時計の時刻は11時50分を指していた。
「おっと、そろそろ来客の時間だな」
手早くパソコンを片付けながら柳田礼人は頭を作家モードからビジネスモードに切り替えようとしていた。作家として食べていけるようになるまでは、とりあえずまだまだ時間がかかりそうなので、何とか他の仕事をしながら日銭を稼がなければならない。これまでセールスや購買、翻訳にシステム開発と色んな仕事をこなしてきた柳田はとかく器用貧乏になってしまう傾向があるので、最近はこれまでの何でも屋ではなく、書く仕事に注力するようにしていた。 (続く)
22 9月 2010
実際、最初はもの珍しさも手伝って、柳田が元従業員たちと工夫して作ったコンテンツはそこそこ売れたが、従業員を支えたり、柳田自身の家計を支えたり、というレベルからは程遠かった。これには柳田自身の知名度も勿論影響していた。「何とかして名前を売らないと」、そう思った柳田はブロガーとしての活動を精力的に行うようになった。ブロガーというのは文字通りブログを書く人のことだ。ブログには有料のものと無料のものがある。有料にして儲けたいという気もあったが、全く無名の柳田のブログがお金を取れる訳もなく、無料を選択せざるを得なかった。大体世に溢れるブログの大半は無料である。柳田は必死に業界の情報を毎日書き綴った。結果的には、アメリカで先に発売される電子ブック端末を日本に先駆けてレビューをする手法が功を奏し、比較的短期間で柳田のブログは知名度を上げていった。
「今日は何時に出かけるの?」ふいに後ろから声が聞こえてきた。恵子だった。最近家で仕事をする時間が増えてきた夫のことを好ましく思っていない訳ではなかったが、彼女も家で一人いる時間を必要としているらしかった。夫が四六時中自分の生活を見ているというのは、何となく落ちつかないのだろう。
「あと三十分ほどしたら、これ書きあがるから、そしたら行くから」、そう夫が言うと妻は納得したらしく、台所に向かった。昼食の準備にでもかかるのだろう。最近妻の様子がおかしいことに夫は気づいていた。恐らく不安が限界近くに達しているのだろう。
「さてと、さっさとこれを書いちゃわないとな」柳田は書きかけのブログのエントリーを仕上げ始めた。
タイトルは「ソーシャルメディアと収益性について」。まさに柳田自身が直面している話題だった。中学生時代からワープロを活用していた柳田の指はとても器用に活字を叩きあげていた。妻からはこの音がうるさいという苦情を受けることが度々あったが、そればかりはどうしようもなかった。しばらくしてなかなかの長さのエントリーを明確な結論なしに仕上げた柳田はさっさと身支度をして、ノートパソコンを携帯して玄関をでた。今日は月曜日、また愛する家族のために身一つで稼ぐ孤独な自営業者の一週間が始まろうとしていた。
21 9月 2010
序章 ソーシャルメディアとジャーナリズム
2010年3月15日(月)
「まずいな。」柳田礼人は自分が書いているブログ「電子ブックレポート」のアクセス数をみながらこうつぶやいて舌打ちした。柳田は毎朝午前中の頭が元気なうちにブログを更新するようにしていた。場所はロサンゼルス郊外のトーランスという市にある彼の自宅。娘たちは学校に行っていた。裏庭では妻の恵子が洗濯物を干していた。
柳田は最近話題になってきた電子出版業を営みながら、アメリカの電子出版事情に関するニュースをブログで配信していた。アマゾンやアップルという競合が業界を賑わしているこの業界は去年あたりから、急に活気づいていた。それら競合の動きを逐一報告することで、彼は海外にいながらも日本の業界人の間で、それなりの地位を築きつつあった。いわゆるソーシャルメディアブロガーというやつである。
しかしである。矢継ぎ早に最新の動向を報告してはみても、所詮はニュース目当ての購読者を増やすだけに過ぎない。それを利用して収入を得るのは並大抵のことではなかった。柳田は自分で会員制のサイトも運営しており、そちらには独占的な情報を送るようにしていた。アグリゲーションサイトと呼ばれるこの手法はニュースサイトとしては新しく、マスメディアに代わるソーシャルメディアの流れを着実に反映させていた。
だが他のウェブビジネスと同じように肝心の収益が思うように伸びない。有料サイトはアメリカで話題になりつつある、Ningというシステムを使っており、管理が簡単なためウェブデザイナーを雇ったりする手間やコストがかからないことが、唯一の救いであった。が、会員数が200名を超えた数ヶ月前に有料制に変更してから、まだ新規の会員を20名しか獲得できていなかった。インターネットのユーザーはとにかく情報というものに対価を払う習慣がなく、多くのビジネスがこの壁を乗り越えようとしては失敗していた。ウォール・ストリート・ジャーナルやニューヨーク・タイムズといった大手新聞社とてまったく例外ではなかった。ましてや駆け出しのにわかジャーナリストである柳田は一般的な業界ではまったく無名の存在であった。
「どうしたものかな。」柳田は焦り始めていた。さっき舌打ちせざるを得なくなったのは、自分のブログへのアクセスがこの一週間で、どんどん低迷していたからだ。話題になりつつある電子出版をアメリカから伝えるという狙いは悪くなかった。昨年までは全く無名だった柳田の「電子ブックレポート」が短期間で有名になり、仕事の問い合わせが入ってくるようになったのもそのおかげだと思っていた。
ただ、予想外の展開というものは何にでもあるものだ。アップルが新しく出したiPadという画期的端末が日本でも話題になり、今まで後ろ向きだった風潮が一気に変わり、日本でも電子出版の気運が一気に高まったのだ。それ自体は勿論悪いことではなかったのだが、少し勢いがつきすぎていた。ガラパゴスと揶揄される、日本人特有の島国根性がここでも出てきているのは、柳田のような海外生活の長い人間には明白だった。結果、日本人の関心は先行しているアメリカの話題よりも国内の話題に急速に移行し始めた。これでは海外にいる柳田の出る幕がない。おかしなことを書いたら揚げ足を取られて折角築きあげつつある信頼が一気に水の泡となる、そんな状況を他のブロガーが体験するのを何度も見てきていたので、アクセス数を稼ぐためだけに下手に動くのは禁物であった。
庭での用事が終わった恵子が家に入ってきた音がした。最近家計をめぐるやりとりでちょっとした口論になることが増えていた。女性には安定が一番だと思っていた。十年前に起業した時にも散々迷惑をかけたのだが、ようやく収入が安定しかけていた事業を昨年末にたたんで、作家になると言った時、妻の顔に浮かんだ驚きと不安の入り混じった表情を柳田は今でもはっきり覚えていた。
しかし、男の方にものっぴきならない事情があった。以前会社の収益の大半を支えていた、一大プロジェクトが予定よりも三年も早く終わってしまったのである。散々考えた挙句、柳田は電子出版に注目するようになった。電子出版のメリットは誰でも作品を創り、出版ができるよいになることだった。小さい頃から書くのも読むのも大好きだった柳田は、自分でコンテンツを書いて出版すれば儲かると考えた。電子出版の市場は米国では急速に拡大しており、作家側にも読者側にもいわゆるロングテールが広がるであろうという読みがあった。それは取りも直さず、誰もが作家になるチャンスである。学生の頃からいつか作家として何か有名な賞を受賞したいと考えていた柳田は趣味と実益を兼ねて、自身が一番得意だと思う執筆と出版の世界へ乗り出すことを決意したのである。(続く)
5 7月 2010
現在電子ブック開国論を連載中だが、改めて読み返してみると考えさせられることも多く、時流を読むことの難しさに唸らせられることもあれば読者のコメントにはっとさせられることもある。こう考えるとやはり「作品」というものは世に出してなんぼなんだろう。襟元を正して受け入れるべき批判は積極的に受け入れたいと思うし、逆に声を大きくすべき点についてはどんどん発言していきたいと思う。
さて、以前のエントリーでも少し触れたのだが電子ブック開国論の編集作業を待っている間にどんどん次の作品の執筆にも取り掛かっている。もう紙で出すのか電子で出すのかということについては、あまり深く考えずにとにかく時を逃さないように自身の創作意欲に任せて筆を進めることにしている。現在執筆中の作品は「Ning 一から」というNingのガイドブックだが、もう一つ温めてきている企画に「ウィキペディアンの憂鬱 (英題:The Melancholic Wikipedians) がある。「憂鬱」は日記形式のストーリー仕立ての作品であり、モキュメンタリーっぽい仕上がりにしたいと考えている。
ウィキペディアは今や世界で最も読まれているネット媒体の一つだと思う。これは検索結果の上位に位置することが多いことや引用をあちこちで見かけることからも伺える。インターネットを活用した(半)双方向メディアとして人類の知を結集する「集合知」たることを目標としているオンライン百科事典(筆者はこの百科事典という言葉にもうウィキはこだわるべきではないと考えているが)であるウィキは非常に便利な媒体である一方で、いわば「闇」あるいは「裏」とも言える一般人の目に触れない部分が非常に大きい。筆者も趣味でウィキペディアの執筆・編集を手掛ける「ウィキペディアン」の一人であるが、実際に作業にかかってみて初めて分かる部分があまりにも大きく驚かされた。 あまり知られていないウィキの裏側はコチラで
1 5月 2010
しかし今年は例年よりもさらに時が過ぎるのが早い気がする。子どもたちはどんどん大きくなり、7月には我が家の双子が七歳になるし。(7月に二人揃って七歳になるなんて縁起がいいかも)
ブログのいいところは毎日何かを形に残せるところだと思う。(ちなみに、もともと日記なんて大苦手の僕がそんなことをできるようになったのはタイピングのおかげだ)
4月は初めて本を一冊書き終えたという意味で、人生に残る一つの大きなベンチマークだった。5月15日には編集も終わり、いよいよ自分の書いた作品が店頭にならぶのかと思うとワクワクするし、ドキドキもする。これを機に社名の変更も近々行おうと考えていて、執筆や電子出版、そしてNing関連の事業に集中していきたい構え。これは一重にまずはこの不況下で自分でできる事業に集中していきたいから。手を広げすぎて痛い目に遭うのが怖いわけではないが、何かで大きな成果を達成することの喜びを得るにはやはり得意なことに注力したほうがいい。一冊の本を書き上げたことで、不思議にそう素直に思えるようになった自分がいた。そして、その得意なことは小さい時から好きだった書くことだった。なんだか随分遠回りをしたような気もするけれども、きっと必要な回り道だったんだろう。
と、いうわけで今は6月に日本で立ち上げる予定の画期的な電子出版ポータル兼販売サイトの開発に注力しつつ、ソーシャルメディアの変遷の狭間で揺れ動くウィキペディアとそれを支えるウィキペディアンたちの話をブログ風のストーリー展開で描き上げる「ウィキペディアンたちの憂鬱」(仮題)の執筆を続けている。そして、この本は最初は日本語で出しても自分自身の手で英語版に仕立て直して世界に向けて売り込みたいと思っている。ウィキペディアは世界ブランドだから、誰でも興味があるはずだし、その裏側の事情はあまりにもその知名度に相反して誰にも知られていないことが多い。例えば日本のウィキには60万項目くらいのエントリーがあるが、それを執筆しているウィキペディアンの上層に位置している「管理者」はたった61名しかいない。そして、自らの信念と社会正義のためにウィキペディア上で戦う彼らを襲うとんでもない誹謗中傷の嵐(荒らし、ともいう 笑)、本人たちの葛藤。管理者を辞めていくものも多い。また背後にどんな事件が実際に起こっているのかは誰にも分からない、何故なら多くのウィキペディアンは匿名だからだ。
「ウィキペディアンたちの憂鬱」あらすじ
物語はあるソーシャルメディアブロガー(記者)がウィキペディアとソーシャルメディアの将来についての関心から、独自の調査を開始するところから始まる。本家のアメリカでの動きに準じながらも、日本独特の文化を何とか組み入れようと悪戦苦闘するウィキペディアンの努力を知ったブロガーは、底深いウィキの世界にどっぷりとその身を漬けていくことになるのだが、そこには想像すらしなかった世界が広がっていたのだった。匿名にすることを前提に実際に姿を表した5人の管理者たち、欝による自殺、謎の失踪。。。ちょっとした興味がきっかけで足を踏み入れた世界で彼が体験していくバーチャルと現実の狭間で起こる様々な事件。そしてブロガーが自らの信念で下した決断とは。。。
てな具合で。なんだか面白そうじゃないですか?(自画自賛です)
年明けにはCESにブロガーとして参加したが、6月のE3ゲームショーと10月にラスベガスで開かれるブログワールドメディアエキスポとに参加する予定。できたら7月のWikimania 2010にも「憂鬱」の取材で参加したいけども、ポーランドっていうのが。。。飛行機代高そう(苦笑)
あと、Blogger’s Choice AwardのBest Foreign Language部門に自己ノミネートしてみました。ドメインを超えたブログ検索ディレクトリは有益だと思います。よろしかったら投票をお願いします!お好きなブログをノミネートしたり投票したりという形で参加できるようです。こういうブログのイベントやコンファレンスがたくさん増えていけばソーシャルメディアも華々しくなるんですが、まだまだ影が薄いですよね。(大手のスポンサーという存在がないので仕方ないんですが、そこに意義があるので)
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<P R>
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