起業当時の苦い思い出など

この日曜日に行くMSのプロジェクトNatalのイベントに際して、いろいろ予備調査をしていたらふと昔も同じような案件に携わったことに気づいた。
そう、それはリアクトリクス(Reactrix)というシリコンバレーの広告関連ベンチャー事業。
サモア人の巨漢と一緒に立ち上げたBWGというコンサル会社で手がけた案件で、当初一番大きな案件だった。2005年のことだ。

きっかけは近所のショッピングモールでこれを見かけて子どもたちがハシャイでいるのを見て、これは面白いと思ったこと。それから手を尽くして、ラスベガスに行ったり韓国に行ったり、東京にも行ったりして、紹介に次ぐ紹介(間の人はどんどんいなくなったが)で某大手ネット関連広告代理店に話がつながり、社長まで交えてMTGをした。結果、日本にも行くことになったのだが、いろいろ事情があって実はフィーはもらえずじまい。

本当は契約がされたらフィーがもらえるような形になっていたのだが、その後音沙汰がないのでボツになったかと思っていた。ある日一番最初にその代理店を紹介するきっかけをつくってくれた方から、当事業が日本にすでにいっているという連絡があり、「立入さん、フィーもらいました?」と言うので、調べてみたら某IRにも確かにデカデカと掲載されていた。当然フィーがもらえると思って連絡してみたら、ノラリクラリと交わされるだけ。その後も信じて待っていて、いい加減いいだろうと思って連絡したら既に計画はポシャった後(提案はいろいろしようとしていたのだが、あのままいったらそうなるのは当然だ)で担当者もどこかに消えていた。フィーを切り出したら弁護士が出てくるようになって、こちらも訴えようかと思って弁護士と準備していたのだが、結局コストのことやら他のことが忙しくなったりで今のところそのままになっている。

しかし、経営責任者であるその会社の社長さん(結構業界では有名人だ)はずっと最初からメールにもCCされていたし、事の顛末を知っているはずなのに完全にダンマリという無責任な態度が一番理解できず、気に食わなかった。まだまだ「過去の思い出」にするには自身の中でふんぎりがついておらず、上場会社が高々数万ドル(しかも内半分は経費精算だ)のフィーを払うのにそこまでゴネてくるとは思わなかった。(おかげで未だに天ぷらを食べるとその社長の顔を思い出す始末だ)

独立当初はいろいろあるトラブルの一つで、こちらの落ち度も指摘されても仕方ないとは思うが、それも含めていい勉強にはなったと考えるようにしている。しかし、この痛い教訓のおかげでこういう大手が(立ち上げ後すぐかどうかは別にして)零細企業をイジメるようなことがあちこちで横行しているのだと思うと、やはり弱者のお手伝いをしてあげたいという気持ちになる。大手には大手の言い分があるんだろうけども、ぶっちゃけ踏み倒された方からすると ” Who cares!”である。(向こうもこっちのことなど覚えてもないだろうが 苦笑)

愚痴っぽいエントリーになってしまったが、立ち上げすぐで右も左も分からないような時期に案件が大きくなって、結局何の儲けにもならなかったという経験をした方は多いはず。自分の失敗を共有することで、誰かの助けになれば幸いである。こういう悔しい思いを成功へのバネとするのも、そう悪くはあるまい。

立入 勝義 (Katsuyoshi Tachiiri) 作家・コンサルタント・経営者 株式会社ウエスタンアベニュー代表 一般社団法人 日本大富豪連盟 代表理事 特定非営利活動法人 e場所 理事 日米二重生活。4女の父。在米歴20年以上。 主な著書に「ADHDでよかった」(新潮新書)、「Uber革命の真実」「ソーシャルメディア革命」(ともにDiscover21)など計六冊を上梓。