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1月6日付けASCII.JPのコラム 池田信夫の「サイバーリバタリアン」 ― 第99回日本は電子ブック戦争になぜ敗れたのかにて池田氏がすでに日本の敗北を予兆するような論調で自説を展開しているのは、恐らくEbook2.0Forumの鎌田氏が述べるように、逆説的に日本の出版業界や家電メーカーに警鐘を鳴らしているということであろうと理解できるが、これはつまりそういう論を展開してでも恐らく日本の市場を取り巻く環境は変わらないという絶望にも似た思いが氏の中にはあるからであろう。電子出版の専門家を自認する筆者としてはこれについてどうしてもコメントをする必要がある。

ちなみに、まず言っておくと「日本語のコンテンツは現時点ではほぼゼロ」(筆者注:池田氏のコラム本文ではなくおそらく編集部のコメントである)というのは間違いで、少なくとも3桁のコンテンツは日本語であるのが立証できる。というのは当社がアップしているコンテンツがそれくらいあるからだ。ただ、もちろんこれとてキンドルストアのSKU全体である40万冊の中ではわずかであるという見方は可能である。が裏を返せば99%近いコンテンツがいわゆる(ISBNをもっている)出版本の焼き直しであるのに対して、オリジナルコンテンツが1万あるとしたらそのうちの3桁だと1%以上が日本語のコンテンツなわけで、この数字は無視することはできない。(ちなみに日系最大の電子書籍専門出版社であるLMDPでは年内に3000タイトルをリリースしたいという目標を掲げている)

全体的な論調として池田氏の言及する点には賛同できるのは確かだ。が、一部補足すべき点があるように思えるので下記に筆者のポイントを述べる。

 ただ懸念されるのは、Kindleが独自フォーマットで、そのファイルは他の端末では読めないことだ。Sony ReaderもnookもPDFであれば読めるが、Kindleのファイルは読めない。アマゾンはKindleを事実上の標準にして「電子ブックのマイクロソフト」をめざしているのかもしれないが、これは消費者にとっては迷惑な話だ。音楽配信ではアップルのiTunesが事実上の標準だが、日本で多い DRM付きのファイルはWindows Media Playerなどでは読めず、価格も1曲150円程度に高止まりしている。

キンドルのファイルが他の端末では読めないこと自体に何の問題があるのかはよく分からないが、そもそもの問題はキンドルが日本語を始めとする2バイト文字言語のフォントに対応していないことなのである。(何のためのUTF-8か)日本語のコンテンツが「ほぼ」無い、理由もそこにあるし、そもそもキンドルストアで出版するにはアメリカ国内に銀行口座を有している個人あるいは企業である必要があるので、最初から海外の企業は出版社(パブリッシャー)として迎えられていない。(しかしこの点でアマゾンが実はAppleのApp Storeよりも遥かに低い参入障壁を設けていて、実際にはアメリカ在住であれば一般ユーザーでも簡単に電子自費出版できてしまうことは大いに評価したい)
ただ、ここで言われている「電子ブックのマイクロソフト」という表現は今一つしっくりこない、いうなれば「電子ブックのiTunes(あるいはアップル)」を目指しているということなのだろうか。これはきっと筆者がマックユーザーの多いアメリカにいるせいなのかも知れない、が、MSは音楽メディアあるいは書籍をそもそも販売していないし、オフィスのパッケージ群はいまやOpen Officeでも利用可能である。大体アップルはDRMにはむしろ反対で外そうという動きで進んできているし、WMPで再生できない理由はフォーマット(AAC)の対応の問題でこれはむしろMSの都合ではないか?また値段が高いかどうかと言われると、例えば先日筆者が試しに某週刊誌の電子版を購入した際に払った1ページ105円とかに比べると安いようにも思えるのだが。むしろこれまでのように、好きな楽曲もそうでないものもまとめてアルバムで買うことを強要されていたのが、そうでなくなったことを喜んでいる消費者も多いのではないか。

 このように先行するメーカーが垂直統合型の規格を独自規格にするのは当然で、そうしないと投資の収益が見込めない。PCも最初は各社バラバラの規格だったし、通信プロトコルも1980年代までは各社バラバラだった。しかしPCの場合には、IBM PCによって(期せずして)オープン・アーキテクチャができ、通信の場合にはインターネットでオープン・スタンダードができたことによって爆発的に普及した。電子ブックが今のように「バルカン化」した状態では、市場の大きな発展は望めない。

キンドルが今流行の垂直統合型ビジネスモデルの上に成り立っているということは疑う余地もないが、これはどちらかというと最近アップルのiTunesとiPodという画期的なビジネスモデルで確立された新しい概念であり、PCや通信プロトコル、あるいはSONYのメモリースティックや、ひいてはDVD規格などであったいわゆる規格競争は単純な規格対決によるメーカー同士の囲い込み戦略であるから、異質なものであると筆者は捉えている。筆者の観点では垂直統合型ビジネスモデルには「コンテンツ・ハード・プラットフォーム」が存在しなければならず、これがiTunesで言うと「音楽ファイル・iPod・iTunes」であり、キンドルでは「電子書籍・キンドル・キンドルストア」である。そして、これらをつなぐのはインターネットだ。この点では非常に近い形として家庭用ゲーム機(PS3、Wii、Xbox)や携帯電話コンテンツがあげられると思うが、どれも市場で独占的なシェアを築いていないという点では垂直統合型「志向」に留まっている状態であるといえる。
また将棋の陣形ではないが、垂直統合型が完成した際には市場を寡占よりもレベルが高い独占に近い形で占有できるパワーをもち、他のビジネスモデルや競合勢力に対して大きな影響を与えることが特徴だ。この点でiTunesは動画コンテンツも扱っているものの、こちらについてはNetflixやRedboxなどの競合やYouTubeという巨人がまだ存在するので、そちらでは型が完成していないと言える。(ただしビデオポッドキャスティングはそれに近いのかも知れない)
もちろんアップルもアマゾンも無料コンテンツにはそれほど興味はなく、「客寄せパンダ」程度の扱いである。App Storeでは無料アプリがそうだし、キンドルではアマゾンが販売している膨大なパブリックドメインコンテンツがそれにあたる。
また「アマゾン以外の」電子ブックが「バルカン化」しているというのはそうかも知れないが、これに向けて非アマゾン連合側が打ち出してきているのがEPUBフォーマットである。問題はDRM対応が統一されていないことと、買える場所(プラットフォーム)が統一されていないことであり、これは逆に言うと垂直統合型でないから仕方ない。(ちなみに筆者が考える電子ブック2.0ではこの問題をクリアーするソリューションは提供される)

 さらに問題なのは日本だ。かつてソニーは日本でも電子ブックリーダーを発売していたが、アイテムが増えなかったため撤退した。今回もGoogle Booksをめぐる和解で、事実上英米圏の本以外は除外されることになったため、日本での発売はきわめて困難になった。Kindleも日本では端末は売っているが、日本語の本は購入できない。その原因は権利者団体が異常にうるさいことと、流通機構が古いことだ。

先ほども述べたように「日本語の本が購入できない」、という事実は無いのだが、日本語の本がキンドルストアにあまりないということの本質的な問題は先ほど述べたように「フォントが対応していない」ことである。これは以前アマゾンのベゾスCEOが雑誌などの取材でも述べているように、「将来的には日本語のコンテンツにも対応していきたい」という方向性があるようだからそれに期待する他ないのだが、もしもアマゾンが日本の出版社がキンドルを支援する動きを期待しているとするとそれは大きな期待はずれに終わってしまうかも知れない。またCESでも展示されていたSONYの新型リーダー「Daily Edition」ですら日本語フォントに対応していないのはフォーマットを主導しているADOBEの方針に従っているからであり、そもそも現存する電子ブックリーダーはまだまだ電子出版に閉鎖的なアジアの出版社をターゲットとしていない。
これは逆に言うと、彼らですら欧米の出版社を納得させるのに並々ならぬ努力と交渉を続けてきたということかも知れず、同じ成果をアジアの出版社から得るためにはコストが合わないので市場を拡大させて先方の出方を伺っている、ということであろう。つまり日本のメーカーが日本の出版社を説得できなければ、誰が説得できるというのか、ということである。アマゾンが日本語フォントを出してこない理由も市場の価値をそれほど大きく捉えていないのか、それとも競合が出てくる可能性が少ないと考えているのか、ということだ。ただし日本の電子出版市場はアメリカのそれよりも大きいといわれているので、対応してくる可能性は十分にある。そのためには日本に大量にあるマンガのコンテンツがカギを握っていると思う。またリーダーとしての携帯電話の普及率も一つの要因であることは間違いない。

 しかし電子ブックには在庫リスクなんてないのだから、こんな不合理なシステムを守る必要はない。それなのに彼らはアマゾンの参入を求めようとしない。ここで販売力の大きいアマゾンの参入を認めると、それをきっかけにして日本の書籍流通機構が崩壊することを恐れているのだ。そうこうしているうちに、世界の本の主流は電子ブックになるだろう。2009年は全世界で520万台だった端末は、2013年には2200万台になると予想されている。

確かに再販制度の存在が日米間の大きな違いであるのは間違いない。が、ここで二点補足すると
1)キンドルストアで購入するコンテンツは実際には書籍のように「購入」つまり完全に保有している訳ではない(先日の商品回収騒動を想起頂きたい)ということと
2)商品は1週間以内であれば簡単に返品ができてしまう

ということだ。日本では通常書籍は返品できないから、むしろこの点が脅威と感じる出版社はかなりの数に上るのではないか。マンガなどこれをされたら一溜まりもないのである。恐らく筆者でも新書本が簡単に返品できるのであれば、流行のものをとりあえず全部購入してみて、すぐに一通り読み終えて気に入らなければ返品してしまうかも知れない。つまり立ち読み、ということだが1週間は十分すぎる「立ち読み時間」だ。

数値に関して言うと表示媒体として主流のe-ink液晶の出荷台数は2018年には7700万枚を超えると言われているし、先日のエントリーでも記したiSuppliのデータでは世界の端末数は2010年で1200万台、2012年で1800万台になるという。世界の本の主流が電子ブックになることは間違いないが、これは逆にいうと市場そのものが大きくなる可能性も秘めているということだ。例えば電子メール以前に地球上に流通していた手紙の文字数と電子メールを含んだ現在のそれとでははるかに現在のほうが多いに違いない。つまり出版業界が生き残る道と考える手も十分にありうるのだ。

 このままでは、日本は置き去りだ。要素技術はすぐれたものを持ちながら企業に戦略がなく、既得権を守ろうとしているうちにプラットフォームを海外のメーカーに取られてしまう失敗は、音楽配信のときも経験したが、彼らは懲りていないようだ。そのときついた差が、今度の電子ブックでさらに大きくなるだろう。このままでは日本の家電メーカーは、アマゾンやアップルの下請けとして生き延びるしかない。

まったく同感だ。
怖いと言って脅威から目を背けたり、目を閉じたりしても脅威は立ち去っていかないばかりか、自身との距離を測ることができないので逆効果である。
筆者は高校時代にハンドボールのゴールキーパーや格闘技をしていた経験からも、ボールや突きから目を背けることでそれを回避できると思うのは大きな間違いだ。顔面めがけて飛んでくるあの硬いハンドボールに対応するキーパーの動きは目を閉じて顔面で受け止めることでもなければ、「キャー」と叫んでよけることでもない。じっくり凝視してそれを手で後ろに跳ね飛ばす(注:ハンドボールはサッカーと違いエンドラインの後ろに飛ばせばキーパーボールである)かキャッチすることだ。突きも同じくだ、しっかり見ないと避けられないし相手にカウンターを喰らわすこともできない。

今回のCESで明らかだったように、もはや世界市場での主役は先日世界一のIT・家電メーカーの座を勝ち取った韓国のSAMSUNGやそれに続くLGであり、大躍進している中国の企業である。アメリカでは昨年30社以上の中国系企業が上場したし、恐らく今年はそれ以上の数が新規上場あるいはM&Aによりオーナーが中国資本に変わるであろうと思われる。 (NHKスペシャル チャイナパワーより) が、彼らですら容易に成し遂げられないのが「垂直統合型」ビジネスモデルなのである。それを脅威と感じるのは日本だけではないのだ。が、中国のようにそれを頑として受け付けない、という姿勢を取るのも一つの考え方であろう。ただしその場合はこれまで日本市場を牽引してきた「内需」というものに依存し続けるという姿勢を保つ覚悟が必要であり、少子高齢化、多額の負債、低下し続ける国際競争力と流入し続ける海外資本という構図の中でそれにしがみつき続けるという態度を貫くには、覚悟だけでなくそれ相応の対価を支払わなければならない。日本ではNHKの大河ドラマ「竜馬伝」が人気のようだが、「鎖国か開国か」という議論をもう一度考えてみるのはいいことなのかも知れない。(もっとも、どれだけ考えても新たに鎖国をするという選択肢を国民がとる可能性があるようには思えないのだが)
(余談になるが、筆者は勿論男子なら誰でも一度はあこがれるといわれる坂本竜馬の大ファンである、が、一般的な竜馬ファンに対しては少し抵抗感をもつことが多い。その理由は坂本竜馬という人物を理解すればするほど、彼がいわゆるイコン(偶像)として崇拝されるなんてことを一番毛嫌いしただろうことがよく分かるからである。彼が必要としたのは彼を理解して共に志を叶えるために戦ってくれる者達、つまり「志士」であった訳で自分のことを誉めそやすだけで肝心の「開国談義」を傍観しているという者たちがいたら彼の視野にも入らなかったに違いない)

では、要旨に戻ると日本は本当に電子ブック戦争に敗れ「た」のだろうか?筆者の結論は「NOT YET」である。リーダーの戦争ではすでに敗れかけているのは事実である、が、まだまだ日本には他の市場に存在しない宝の山がごっそりある。それがコンテンツだ。日本に埋没する宝の山をどう発掘して、世界に向けてそれをお金に変えていくのか、そしてそれを成し遂げるために必要なデバイスの開発を誰がどう行い、業界に対してイニシアチブを取っていくのか。それが筆者にとって重要な着眼点である。日本ではよく「秋葉系」と揶揄されるいわゆる「オタク文化」の底は深く、それが世界の一部のファンを魅了してやまないのは周知の事実だ。そして、「にちゃんねる」に代表されるオンライン掲示板でも数々の名作やドラマが生まれてきており、これはなんといっても成熟した市場と民度の高さが織り成す文化である。他のアジア諸国に先駆けて「世界第二位の経済大国」という誉を堪能してきた日本の地位は他のアジア諸国から羨望の的であった訳であり、その間に日本の中に培われてきたものはいわゆる「付け焼刃」のものとはまったく異なる高次のものである。今後はその経済的地位をどんどん下げていくとしても、日本はアジアの文化リーダーとして文化圏を牽引していくことができるはずだ。課題は多いが、そんなものに煩わされている時間があればしっかり課題の本質を見据えて対処方法を考えるべきだ。例えば躍進する中国市場を考えて欲しい、日本は中国以外で漢字を母国語の中に取り入れている唯一の民族である。つまり、日本人ほど中国語を学習するのに有利な立場にたっている人はいないのである。これは中国の地位が向上すればするほど有意義になってくるではないか。
敢えて苦言を呈すれば何年勉強してもモノにならない英語の勉強に労力を費やしすぎずに、比較的学びやすい中国語や韓国語の学習も並行させてみるなどしてみるのもいいかも知れない。過去にSFC(慶應湘南藤澤キャンパス)で試みられていた実験がうまくいったのかどうかは知らないが、多言語を同時に学ぶことは思考を柔軟化させ、発音の学習にもよい相乗効果を生むなど、効果的であることはよく語れることである。

(誤解なきよう補足すると、これは英語を10歳の時に少人数制英会話教室で学び始め、その後25年間に渡って尋常ではない努力をして英語を学んできた筆者が、韓国語や中国語を学んだ際に感じた「費用対効果」に対する実感を端的に述べたものである。逆に言うとそれくらい日本語と英語はかけ離れた言語であり、いわゆる「ペラペラ」という幻想的状態に達するのは英語学習者の1%にもはるか満たないという私的観測に基づく意見を述べているだけであって、決して英語を話せるようになるメリットを否定したり英語をマスターするのが不可能だと言っている訳ではないことにはしっかり留意頂きたい。ZEN ENGLISHという英語学習論がこのブログのメインテーマの一つであり、日本人の英語能力向上に対して私が軒並みならぬ情熱をもっていることは周囲の方には理解頂けていると思う)

この意志に賛同して頂ける有力なパートナーがいれば、きっとまだまだ日本は形勢を逆転できるはずである。が、その前にもう一度「鎖国か開国か」の議論を考えて頂くことをお奨めする。結果は火を見るより明らか、であったとしてもである。

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