日本のクリエーターよ立ち上がれ!

日本に滞在中に報道された下記のようなニュース。
出版大手21社が新法人 電子書籍化取り組み強める

内容の解説については今やそのコンテンツの豊富さのみならずアクセス数の上でも電子出版ポータルとしてはゆるぎない地位を築きつつあるEBook2.0 Forumの鎌田氏の記事に詳しいので、そちらに委ねたいと思うが、この大同団結が意図するところは明らかである。(これがいわゆる合従連衡の故事のような出来事に発生する可能性もあるのだが、それはアマゾンの動き次第だ)
マンガのデジタル直販を始めている佐藤秀峰氏がブログでこの件について言及している内容も話題になっている。いわく「漫画家が出版社を養ういわれはない」。

筆者が思うにこの問題のポイントはパワーバランスである。現状の出版業界ではこのパワーバランスが著しく出版社側に偏っている。(他によく似た例では歯医者と歯科技工士の関係があるそうで、これも日本ではかなり技工士側に厳しい待遇になっているが、アメリカではほぼ対等だそうな)戦後の日本の経済成長を支えてきたのはモノづくりであったが、自動車や家電と言った物品以外にも日本は「コンテンツ」をつくってきたのであり、この意味で工員的な体制で仕事を続けてきたのはある意味仕方がないかも知れない。しかし漫画家や作家がブルーカラーかというと、必ずしもそうあるべきではないし、分業や報酬といった観点でも、もっと違ったシステムもいくらでも考え付くはずである。

筆者は電子出版の力がとてつもなく大きなものであり、結果的にはそれが世界中の多くの人々のためになるということを信じてやまない。特に今経済力を失い、このままいくと世界3位ばかりか、7位(ドイツ、フランス、イギリス、イタリアに抜かれれば)、あるいはもっと下(その下の諸国は接戦である。Per Capitaだと中国とはまだまだ開きがあるが、こちらでは日本は20位以下である)の地位に甘んじなければならなくなるかも知れないという危惧間の中、日本はこれからアジア圏に対して文化的リーダーという地位を築き、他のアジア諸国が先進国の仲間入りをするのを先導する立場をキープすべきだというのが私の持論である。(アプローチや視点が若干異なるが、これは大学で専攻した環境政策学のコンセプトにも通じるものがある)

一方大手出版社の気持ちもよく分かる。この不況と、躍進しているチャイナパワーで揺れるグローバル経済の中、誰しもが先行き不安を感じている。誰だって将来が見えなければ怖いのである。特に日本の出版業界は寡占に近い状態が続いてきており、「大手」はめっぽう強かった。が、この「大手」があちこちの産業で崩れるのが今の社会である。航空業界、音楽業界、自動車業界など栄枯盛衰はどこにでも存在する。資本主義の中では競争力を失えば滅ぶしかない。そうなりたくなければ、生き残りに全力をかけるしかないのだが、そこでの生き残りというのは「適者生存」という言葉が示すように、変貌する市場において「適者」となるための行動をとり、実際にそうなることであり、これまで通りのやり方を維持する方法を必死に模索することではない
筆者は常々資本主義社会の次のステージは最適化社会であると考えているのだが、つまり、これまでにあった無駄が全て排除されていくということだ。今世紀の市場経済にはこのような「無駄」や「非効率性」を許容する余力がない、というか許容することをそもそも認めない。

マンガが日本の出版産業を支えている、ということはよく分かる。そしてその産業の育成に貢献してきたのは大手出版社であった。その功績は確かに多大なものである。しかし、時代は変わる。
思うに、今回の電子出版が入れようとしているメスはマンガ産業の構造そのものについてではないか。巷ではファーストフードの店長などに対する残業賃金が問題になっているが、本質的にはこういう問題に近いと思う。
この点で筆者は自分の弟という非常に身近な人物を通して、社会から悪くいうと「搾取」されてきている人物の生活を見ている。高卒の学歴しかない弟は漫画家を志望して、食いつなぐために某有名飲食FCチェーンでアルバイトを続け、その後店長になった。しかし、傍目にその待遇はひどいものであった。残業代ももちろん発生しないし、気まぐれなアルバイトが空ける穴を埋めるために急遽休暇を返上して朝5時に出社しなければならない。漫画家やアニメーターといった日本の一部の産業を底辺で支える人たちの生活もこれと同じかそれ以下であったりはしないか?勿論下積みが大切なのは分かる、が、クリエーターとて人間である。安い給料でひたすらこきつかわれ続けるのは人権問題であり、そのような立場の人間を想定しなければ成り立たない産業というのはそもそもビジネスとして破綻しているのではないか。搾取しているとかされている、といった問題ではなく、双方が歩み寄るか新しい線引きをすることでこの問題に向かい合わない限り産業自体が成り立たなくなり共倒れするという話だ。

弟はその後転職したのだが、それまで10年以上(私の目には)「過酷な」というか「不条理な」労働を続けてきた。アメリカの労使の観点からすると完全に違法な行為であることがまかり通っている。勤務そのものが過酷であるということよりは、前提とする雇用のルールが捻じ曲げられているのである。しかし弱者はそれに気づかなかったり、泣き寝入りすることを余儀なくされたりするのである。特にこの稀に見る大不況ではそうなっても仕方ない。が、それは「他に選択肢が無い」場合である。筆者が日本のクリエーター達に声を大にして言いたいのは、電子出版がそういうこれまで日の目を見なかったクリエーター諸氏に明るい光を見せることができるかも知れない、ということである。

もちろんこの為には、クリエーター側でも変わらなければならない。変わることも、その変化に慣れることも痛みを伴う。この場合には、例えば大手出版社に対する依存心を捨てることがそうだし、狭い日本の文化の中でしか受け入れられないコンテンツや描写手法というものを、より世界で受け入れられるものに変えていくということがそうなのかも知れない。しかし、市場はそこにあるのだし、日本の漫画家は世界には類を見ない高度な文化的生産者であると信じて疑わない。新しい出版パラダイムの中では例えば漫画家と編集者、漫画家と原作者といったこれまでの関係の中でもダイナミックな変化が必要とされるのかも知れない。が、逆をいうとそこには大きなビジネスチャンスがあるということだ。日本では有名な漫画家でも(一部の例外を除き)世界ではほとんど無名である。日本では誰もが知ってるTVアニメでも、海外で誰もが知っているTVアニメなんて実際にはほとんどないのが現実だ。(日本のマスコミ「大本営」がどういう報道をしているかは知らない)これはつまり、「チャンス」である。日本のプロスポーツ選手の多くが世界を経験して強くなり、それを日本に持ち帰ったように、これから日本のクリエーターも世界でどんどん武者修行をして強く、逞しくなって欲しい。そうすることで閉鎖的な現状に変革をもたらすことができるというのは、スポーツにとどまらずビジネスや研究の世界では証明されている。

クリエーターよ大志を抱け!と筆者はエールを送りたい。
そしてたくさん儲けて自身の夢をどんどん叶えていって欲しい。もちろん前提条件は”NO PAIN, NO GAIN”であるから痛みを伴うのは覚悟して欲しい、がそれは単なる使役労働を課せられるのとはまったく異なる次元の痛みであり、全て後の自分のためになる痛みである。何度も言うが電子出版という市場はまだ始まったばかりの市場であり、その市場規模がどれくらいの大きさになるかは計り知れない。

(上述の弟の話に戻ると、実は単純な勤務時間や作業環境、従業員を抱えることのプレッシャーなど鑑みるともちろん筆者を含む起業家のそれのほうが、はるかに厳しいものなのである。時にはまったく見通しが立たないような状況に身を追いやられることもある。が、それはまったく異質のものであり、そこには大きな喜びが並存するのである。だから続けられるし、無理もできる。その喜びが何であるかをぜひ独立したクリエーター諸氏の目で確かめて頂きたい)

立入 勝義 (Katsuyoshi Tachiiri) 作家・コンサルタント・経営者 株式会社ウエスタンアベニュー代表 一般社団法人 日本大富豪連盟 代表理事 特定非営利活動法人 e場所 理事 日米二重生活。4女の父。在米歴20年以上。 主な著書に「ADHDでよかった」(新潮新書)、「Uber革命の真実」「ソーシャルメディア革命」(ともにDiscover21)など計六冊を上梓。