対談 LAトークの返信を送りました

電子出版に関連したソーシャルメディア系ブログポータルでは最も権威と人気があるEBook2.0 Forumで連載されている鎌田氏との対談集「LAトーク」第三弾に対する返信を先程送りました。この返信では「パンドラの箱」という話から意外な結末が展開されることに。こういうのが対談ブログの面白いところですね。

もうすぐアップされると思いますので、お楽しみに。

LAトーク第三弾 鎌田氏のコメントを当ブログにて確認したい方は 

シリーズ「LAトーク」(3):教育という大市場

立入様

NBAファイナル第2戦。LAレイカーズには残念でしたが、セルティックスがガーネットの不調をカバーして勝てたのが信じられません。これで今年は面白くなりましたね。

それはともかく、前回の「パンドラの箱」のお話、有難うございました。このギリシャ神話のエピソードは、ふつうパンドラが慌てて閉めた箱の中に「希望」が残ったとされていますが、原典では、閉め込まれたのが「予知の災い」で、おかげで先が読めてしまうこと(→絶望)から救われた(→希望を持てる)というオチです。皮肉屋で逆説好きなギリシャ人らしい。さてゼウス(ジョブス)が、好奇心旺盛なパンドラ(アップルフリーク)に贈ったiPad。出版業界が浴びたのが災いか至福感かはともかく、「予知の災い」から免れたことは確かなようです。これも計算通りだと思いますが。

しかし、幸か不幸か、どうみてもiPadは本とは縁が薄いように見えます。グラフィックな雑誌は確実に惹きつけるでしょうが、仕掛けに知恵とお金がかかる。これまで目にした日本語コンテンツは、まったく価値を感じません。立入さんも同じだと思いますが、私が“EBook2.0” と名づけた最大の理由は、新しいコミュニケーション(読書体験)を実現したいということだったわけで、PCとWebでとうに出来ていたことでは話にならならない。しかしコンテンツのデジタル化が一定の量を超えないと、質に転化した新しいコミュニケーションも生まれません。とりあえず、出版社がブームに動かされてデジタルに関心を持ったことだけを肯定的に評価しています。

立入さんからは、

・電子出版が可能にする新しいジャンルのコンテンツ
・二強(アップル+アマゾン)に対する出版業界の姿勢

の2点について宿題をいただきました。どちらも重要なテーマです。後者については次回に回して、新しいジャンルについてお話ししてみたいと思います。日本では、小中学校向け電子教材の普及を推進する「デジタル教科書教材協議会」(DiTT) 準備会が発足しており、7月には正式に設立されます。これについては本誌でも取り上げましたが(5/28)、こういう社会的目的や機能が明確なジャンルの本については、相当に知恵を絞ってデザインを考える必要があると思っています。電子教科書の構想は、米国にもありますし、中国にもあります。おそらく世界共通のテーマとなるでしょう。これから勉強していきたいと思っていますので、米国の情報などを教えていただければ幸いです。とくに以下のような問題に関して、よろしくお願いします。

* 学生はどんなE-Book/E-Readerを必要とするのか
* 教育/教科書専用E-Readerに専用機は必要か
* 教育市場においてニッチは成立するか

そちらではすでにいろいろ議論されていると思います。私はこんなデザインアイデアを見つけました(下の図)。2年前のアイデアとしてはなかなかいい線ですね。

Papyrus, Future Electronic TextBook, by Ryan McIntire, 4/18/2008

教育市場と「ニッチ」の可能性

E-Bookとはコンテンツから可能性を引き出す技術だと思っていますが、そうした意味で、これから可能性が見えるようになるのだと思います。ゲームや拡張現実 (Augmented Reality)、知識ベースなど、本をダイナミックにしたり賢くしたりする技術や、本を中心としたコミュニケーションをより豊かに、深いものにする技術に注目していますが、個人的にもいちばん期待しているのが教育分野です。これを「教科書」と短絡したのでは何にもなりません。人間にとって必要な知識が得られる環境と道具が問題なわけで、原稿の国定教科書のたんなる電子化では、教育効果につながりません。

「電子」教科書は、資源節約にはなるかもしれませんが、紙の本を取り上げると体験が貧しくなる(例えば落書きができなくなる)ので、電子教科書のデザインはゼロから徹底的に考えるべきです。ところで、立入さんがお住まいのカリフォルニア州では、破綻した州財政を立て直すために、「ターミネーター」知事が学校教科書の電子化方針を打ち出して話題になりましたね。しかしこれまで大学を中心に行われたE-Reader(Kindle DX)導入実験では、学生の評判が悪かったと聞きます。米国の、とくに大学生にとって教科書や副読本の負担は重たい(年間千ドル以上)ので、安い電子テキストが供給されたら無条件に歓迎されそうなのですが。KindleよりましなI/O機能を持ったiPadだったらどうか、とも思うのですが、立入さんはどう思いますか。お子さんに持たせるとしたら、どんな教科書(コンテンツ)とデバイス、サービスの組合せが必要でしょうか。

教科書は膨大な「知識」を扱います。日本のこれまでの教育では、効率よく情報として吸収することが重視され、様々な意味や価値(応用)まで知ることは求められませんでした。しかし、現代では既存の「知識」そのものは検索可能になったので、人間に求められるのは、もっぱら思考力と応用力、多くの人間と協調して仕事ができるコミュニケーション能力だと言われています。小回りのきくフィンランドはそうしたコンセプトで教育改革をやって成功したのですが、その点では日本はもちろん米国もあまりもうまくいっているようには思えません。E-Bookは、応用(実現)可能な知識を伝えることができるか、あるいはそのための刺激を与えることができるか、というのが私の問題意識です。できればそうしたプロジェクトに関わってみたいと考えています。

例えば、教科書では多種多様な記号や単位とその意味を扱います。数式を実行して2Dや 3Dでプロットする機能があれば、様々なケースを通してその価値を知ることが容易になるでしょう。グラフィック表示が必須な統計や、化学式、論理式などについても、動的な機能が活かされるでしょう。もちろん技術的には数式処理や数値計算、可視化の機能をどう連動させるかという課題がありますが、これらを実行するために専用機が必要になるとすれば、新しいニッチとして期待できます。世間が「汎用書籍端末」ばかりに目を向けるのは、あまりに想像力が乏しすぎる。その昔、ヒットした関数電卓のようになれば、アップルもアマゾンもないでしょう。欧米の学術系出版社(マグロウヒルやエルセヴィアなど)は、大手の汎用プラットフォームよりも専用のプラットフォームに関心を持っているようです。これは十分に理解できます。

私が教育に注目するのは、それが最もコミュニケーションを必要とする分野だということでもあります。何よりも知るべき知識とその内容、レベル、獲得手段、共有方法、評価方法などが、デジタル技術で柔軟に定義でき、硬直した世界から一転して最も活発な世界に変えられます。これは人間が知りたいこと、知るべきことに限界はなく、知識にはそれを持っている人間と伝えられる人間がいること、また知識は必要とされる機会と適合してこそ意味を持つ、といった教育に関するコミュニケーションの性格からきています。それによって社会的な問題(たとえば失業)から個人のパフォーマンス(スキル/キャリア)までを改善できる、という意味で潜在的な経済効果は莫大なものとなるでしょう。(鎌田、06/07/2010)

立入 勝義 (Katsuyoshi Tachiiri) 作家・コンサルタント・経営者 株式会社ウエスタンアベニュー代表 一般社団法人 日本大富豪連盟 代表理事 特定非営利活動法人 e場所 理事 日米二重生活。4女の父。在米歴20年以上。 主な著書に「ADHDでよかった」(新潮新書)、「Uber革命の真実」「ソーシャルメディア革命」(ともにDiscover21)など計六冊を上梓。