第1章 紙と電子、プラットフォームの決定的な違いを理解しよう – 電子ブック開国論 (4)

電子出版について語る前に、まずは「紙」と「電子」の違いについてもう一度整理しておく必要があると思う。何をいまさら、という声が聞こえてきそうだが、これまで「電子書籍は日本では流行らない」としたり顔で言い続けてきた人が多い日本では、多くの人がこの根本的な違いにまだまだ気づけていないのではないかと思うことしきりなのである。話を誰にでも分かりやすくするために、ここで用いたい例が二つある。それは「郵便」と「電子メール」、そして「固定電話」と「携帯電話」の違いである。これだけ言って、「なるほど!」と勘づける方はセンスがある。そうでなければ、ぜひ続きの話をじっくりと読んで今一度ご自身で考えて頂きたい。

本書でも度々触れるが、「紙」と「電子」には決定的な違いがいくつもある。いうなれば次元が異なっているようなものだ。それくらい違う。それを理解せずに、同じ次元での思考を続けていたのでは痛い目にあうことになる。そういう言わば「発想の壁」の罠にかからないためには、まずは一歩後ろに下がってみて、自分が知らず知らずのうちにもっている前提条件を極力排除し、全体を俯瞰するように心がけてみることだ。そして、深呼吸をして目の前の状況をもう一度考えてみる。「ZEN」(禅)は世界でも流行している仏教的概念であるが、その根本は心を空にすること、つまり無心になるということだ。前提条件や過去のしがらみ、これまでの既成概念といったものを一度取り払ってみれば、驚くほど違う世界が見えるようになるのではないかと思う。(もちろん実際には言うほど易しくはないのだが)

では話を先程挙げた二つの例に戻そう。読者の多くは20歳以上だと思うので、ぜひインターネット以前の時代に遡って考えて頂きたい。誰かがあなたの前にきて、「電子メール」なるものを売り込みに来て説明を始めたとする。それにあなたは一体どう答えるだろうか?限られたイマジネーションの中で考えられることはいくつかあっても、ほとんどそれらはこの過去20年ほどの間に実際に起こった電子メールがもたらした変革を想定するに至らないだろう。なぜなら手紙やハガキなどの使い慣れた郵便物が物理的であるのに対して、電子メールは視覚的には質量も形ももたないからだ。いわば存在している次元が違うのである。この違いが郵便と電子メールを名前こそ似ていても全く非なるものにした。だいたい「切手」も「封筒」も要らないし、送受信者共に(地理的な)住所をもつ必要がない。大量送信も一瞬でできるし、言語の壁を超えて一気に世界に配信することだって可能だし、反対にまったく知らない国の誰かから迷惑メールが届いたりする。こんなことを電子メールを見たことがない人が考えつくはずがないのだ。それでも何とか知恵を凝らして考えようとする多くの人とそれを説明しようとする者同士がぶつかるのが流行語大賞にもなった「バカの壁」というやつである。(ちなみに筆者は養老教授に「敬意を表して」、大ヒットセラーの同名書籍は読まないことにしている)

もう一度言おう、「いくら考えてもわからないことを考えることほど無駄なことはない」のだ。またもちろんそんな状態であるにも関わらず、その考えで実際に何かを経験している他人に対して自分の見解を述べることも大きく間違っている。実際に今日本で電子出版について語る人の多くはまだ実際にキンドルを所有していなかったり、触ったこともなかったりするのが事実ではなかろうか。アマゾンが世界に出る前に地元アメリカで実験場及び主戦場として展開しているKindle Storeで出版してみてアマゾンと丁々発止のやり取りを繰り広げたことのある日本人あるいは日系企業などほんの一握りしかいない。ましてや、それが試行錯誤の上に制作されたオリジナルコンテンツであれば、もっと数は少なくなる。そういった経験を踏まない自称専門家の言うことはジャーナリズムとしては正しくても実際のビジネスのヒントを提供してくれるかというと、そういうわけではないのだ。それだけこの電子出版に関する議論は奥が深く、「次元を超えた二つの異なる物」を比較して未来を模索することが難しいということをまずは理解する必要がある。

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立入 勝義 (Katsuyoshi Tachiiri) 作家・コンサルタント・経営者 株式会社ウエスタンアベニュー代表 一般社団法人 日本大富豪連盟 代表理事 特定非営利活動法人 e場所 理事 日米二重生活。4女の父。在米歴20年以上。 主な著書に「ADHDでよかった」(新潮新書)、「Uber革命の真実」「ソーシャルメディア革命」(ともにDiscover21)など計六冊を上梓。

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