第2章 キンドルの衝撃とバカの壁 4 – 電子ブック開国論 (19)

では実際にiPadを使うのは誰か、となると未だに業界人や評論家家の間でも意見が分かれるところである。かくいう筆者自身もタブレット機には多くの不透明な要素があると思っており、ヒットするかどうかの判断がつきにくい。これはとりもなおさず、iPadがKindleのように完成されたコンセプトをもっているというよりはむしろ「発展途上」であるという印象を与えるからである。別の表現をするとiPadのスペックは良く言うと「オールラウンダー」であり、悪く言うと「中途半端」であるといえる。議論のポイントを分かりやすくするために、下記に筆者が考えるiPadのメリットとデメリットを箇条書きにまとめてみた。

○メリット
メールとウェブブラウジング、ゲームをするには最適の端末
多機能である
ノートPCよりも携帯しやすく、起動時間が短い
ユーザーインターフェースが簡単で使いやすい
画面が大きく見やすい
豊富なAppStoreのコンテンツを利用できる(iPhoneとアプリを共有でき
る)
バッテリーの駆動時間が長い

×デメリット
キーボードを接続しなければタイプしにくいので作業に不向き
大きくてカバンに入りづらい。(特に女性が携帯しているカバンのサイズに
は納まりづらい)
日本のような通勤環境には向いていないサイズ
盗難の恐れ
落下による破損や水滴などによる故障の恐れ(携帯端末にしてはかなり高価
である)
オフィスなどのビジネスアプリが搭載されていない
Windowsではないので、ビジネスで使うには互換性の問題が生じる恐れ
片手で持つには重い
iPhoneやネットブック、ノートPCなど他にもっている端末との利用環境の
線引きがひきにくい

筆者が特に頭を悩ませたのが、デメリットの最後の部分である「使い分け」についてである。Apple自身のMacBookなどを含むノートPCを殺すという意見とそうでないという意見が市場にはあるようだが、筆者が思うに少なくともiPadの登場はネットブック市場にとっては大きな脅威である。これはとりもなおさず、現在巷に溢れているネットブックなる製品が非常に中途半端な作りこみで製品コンセプトと対象ユーザーがミスマッチになっているために、市場から見て価値の無い製品になっているという事実によるものだ。そもそもネットブックというのはインターネットを介してクラウドサーバーなどにつながるシンクライアント(OSを搭載しないコンピュータ)、もっというならLINUXのようなシステムで動くことを前提とされている製品カテゴリであり、現状市場に出回っている多くのネットブックは常時インターネットに接続されないいわば「似非ネットブック」である。

日本の市場ではネットブックはあたかもエントリーモデルのようなふれこみでイーモバイルなどの通信プランと抱きかかえで安価で売られているが、これらは実際に使ってみるといわゆる上級者にも初心者にも使いづらいものとなっている。上級者にとって使いづらい理由は安価なネットブックに搭載されているCPUがAtomという脆弱なCPUであり、マルチタスクに不向きであるという点が挙げられ、初心者にとってはネットブックの多くが初期設定でマイクロソフトのオフィススイートなどの一般的なビジネスアプリと光学式ドライブ(DVD-ROMなど)を搭載していないことである。裏を返すと、初心者はマルチタスクをそれほど必要としないのでATOMのCPUでも十分だし、上級者はオフィスがなくてもオープンオフィスをネットからダウンロードしてインストールして対応でき、光学式ドライブがなくても必要なソフトをインストールする術を知っているし、脆弱なCPUとビデオカードをもったネットブックにゲームをインストールしようとはしないだろう。

そもそもネットブックというカテゴリー自体、消費の冷え込みに苦しむアメリカが自分達の製品をうまく売り出すためにつくったカテゴリーであり、いわば商業プロパガンダである。(残念なのは、日本ではこれよりも10年以上も前に、筆者が愛用していた東芝LIBRETTOなどの高機能なモバイラー用小型ノートPCが普通に販売され、ハイエンドユーザーを満足させていたという点である。しかし、当時は世界ではそのようなPCは非常に稀で、例えば「アメリカ人は指が大きいから小さなキーボードが打てない」などという非常に陳腐で正当性のない根拠でもって、市場に受け入れられなかったのだ。そのような主張がまったくデタラメだというのは、後にRIM社の携帯端末「ブラックベリー」が米国を初め西洋の市場で空前のヒット商品となったことからも伺える。ブラックベリーに搭載されているキーボードは俗に指先が器用であるといわれる日本人である筆者でさえ打ちづらく、一体どうやってみんな売っているのだろうと思うくらいだ。
本当にメディアは根拠のないでっちあげで何かを正当化する手法に長けていると感心させられるが、なんとかそれをポジティブな売り込みの部分で活用して頂きたいものだ)

iPadはこのような非常に中途半端なコンセプトしかもっていないネットブックを間違いなく駆逐するだろう。筆者に言わせればそもそも(3Gでネットに常時接続できる)iPadが正当な「ネットブック」であり、これまでのものは全て「似非ネットブック」だったのである。では次にノートブックやデスクトップPCはどうか。これも場合によってはiPadが駆逐してしまうのかも知れない。例えば筆者の妻はWindowsXPを搭載した少し古めのデスクトップPCのみをメインマシンとして使っているが、彼女の使用目的といえばその大半がオンラインショッピングなどのウェブブラウジングと電子メール(それもYahoo!のウェブメールを使っているからブラウザ上のみだ)、そしてFlashで動くカジュアルゲームである。よく考えればこれらは全てiPadで事足りてしまうのだ。その上iPadは画面がそれなりのサイズで家の中で持ち運びが出来るときている。我が家には4人の小さな娘たちがいるので、例えば子供たちにデスクトップでDVDなどを見せておいて、自分は寝室にこもってゲームをしたり、などということができてしまう。(ちなみに今は同じようなことをiPodTouchですでにやっているので、操作環境がほぼ同じで画面が大きいiPadを家の中で使うのに全く抵抗はないだろう)

iPadはWiiがゲームでやったように、これまでPC(あるいはMac)を積極的に使うことのなかった、あるいは使えなかった層のユーザーを取り込むことに成功するかも知れないという風に指摘する評論家は多い。多くの場合、これらの評論家は真っ先にITリテラシーの低い自身の母親を想定するらしいが、Kindleの場合も実は同じ意見があった。筆者が発売日当日にiPadを購入するために並んでいた際に前後にいたのがドイツ人とイギリス人で、たまたま出張か何かでアメリカにいたのでタイミングを合わせてiPadを予約し、まだ発売されていない自国に持ち帰るということだったのだが、その際にも彼らと私、そしてその周りの数人という全く異なる国籍の人間同士でiPadの理想の利用環境を協議したのだが、合意した点の一つがiPadは家のソファなどの落ち着いた空間か、あるいはスターバックスなどのカフェで一息つく際に使うだろうということだった。彼らが後に発売される予定の3G搭載版ではなく、WiFi版を購入するためにその時列に並んでいたこともうなずけるわけである。というのも彼らの多くはすでにiPhoneを持っていたからだ。(ちなみに4月に総務省は海外版のiPadを日本に持ち込んで日本の無線につなぐことは違法であると表明したらしいとの噂がツイッター上で話題になった)

iPhoneとiPadの機能が重複しているというのはiPadの利用目的を考えた際に非常に重要なポイントである。発売当初の不評はどこにいったのか、というくらい日本でも最近は行く先々でiPhoneユーザーを見るようになったが、それでもアメリカにおけるiPhoneの普及率は半端ではない。かくいう筆者自身もすでにiPhone無しでの生活というのは考えられなくなるくらい日常にこの便利極まりない端末が溶け込んでいるのだが、それはとりもなおさずiPhoneの多機能性と3G回線を通じたインターネット常時接続環境の実現のおかげだ。ここまで言っておいて、勘が鋭い方はお気づきかも知れないが、実はこの点でiPadの市場普及の最大の障壁はいわば身内であるiPhoneなのではないかという指摘をする評論家も多く、筆者も全く同感である。iPadの3Gプランは年間契約を必要としない単月(Month-to-Month)契約であるとは言え、つなぎ放題用の価格である月額30ドルはすでにiPhoneで100ドル近い月額料金を支払っているユーザーにとってみれば大きな負担である。しかもその上機能の多くが重複してしまうのだから、余計に考えてしまうのも無理はない。こうして、どうみてもiPadよりも携帯しやすいiPhone
(しかもそもそもiPadには電話の機能がない)を携帯する可能性がより高いという現実的な結論に達した者の多くは価格が安いWiFi版の購入を選択したのだろうと思う。またこれにはもう一つの側面がある。例えば筆者のようにiPhoneの通話機能をほとんど利用せず、もっぱらPDAとして重宝しつつ、普通の携帯電話(いわゆる専用端末だ)を通話用に使用しているユーザーも多いと思うのだが、そのような場合にはもう一つの選択肢が見えてくるのだ。それは最近何かと話題を提供してくれるもう一つのスマートフォンであるアンドロイド端末である。

アンドロイド携帯端末は今やIT業界では泣く子も黙る存在である検索エンジンの雄グーグルが開発したオープンソース型のOSを搭載した携帯端末のことで、2010年4月時点では日本でも三機種が販売されている。IT業界、特にソフトやハードのデベロッパーという位置にいるものにとっては、ユーザーエクスペリエンスをもつということが何よりも重要な時がある。すでにiPhoneの機能については多くが熟知しているはずなので、これを機に今後の成長株と言われているアンドロイド携帯をもってみようと思うユーザーも少なくないはずだ。このようにiPadの発売はiPhoneユーザーを競合他社に譲り渡す可能性も秘めているのである。(電子メールはどこでも見れるのが便利なので、運転中は危険すぎるとしても車社会のアメリカにおいて片手で作業できるiPhoneよりも大型のiPadを携帯端末として利用するという向きは少ないだろうから、携帯電話をキープしたままiPhoneをiPadに乗り換える人は少ないだろう)このようにiPadはこれまでのスマートフォンやPCの市場の派生的商品であるという点で、全く新しい製品カテゴリーに属するKindleが抱えていない問題を有しているということがお分かり頂けると思う。

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立入 勝義 (Katsuyoshi Tachiiri) 作家・コンサルタント・経営者 株式会社ウエスタンアベニュー代表 一般社団法人 日本大富豪連盟 代表理事 特定非営利活動法人 e場所 理事 日米二重生活。4女の父。在米歴20年以上。 主な著書に「ADHDでよかった」(新潮新書)、「Uber革命の真実」「ソーシャルメディア革命」(ともにDiscover21)など計六冊を上梓。

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  1. […] 第2章 キンドルの衝撃とバカの壁4 – 電子ブック開国論 (19) | 立入勝義の意力(いちから)ブログ - 北米発IT情報・電子出版・ソーシャルメディア 2010.07.16 at 11:52 AM 1 […]

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