第5章日本はどう立ち向かうべきか 2 – 電子ブック開国論 (43)

 このままでは、日本は置き去りだ。要素技術はすぐれたものを持ちながら企業に戦略がなく、既得権を守ろうとしているうちにプラットフォームを海外のメーカーに取られてしまう失敗は、音楽配信のときも経験したが、彼らは懲りていないようだ。そのときついた差が、今度の電子ブックでさらに大きくなるだろう。このままでは日本の家電メーカーは、アマゾンやアップルの下請けとして生き延びるしかない。

まったく同感だ。
怖いと言って脅威から目を背けたり、目を閉じたりしても脅威は立ち去っていかないばかりか、自身との距離を測ることができないので逆効果である。
筆者は高校時代にハンドボールのゴールキーパーや格闘技をしていた経験からも、ボールや突きから目を背けることでそれを回避できると思うのは大きな間違いだ。顔面めがけて飛んでくるあの硬いハンドボールに対応するキーパーの動きは目を閉じて顔面で受け止めることでもなければ、「キャー」と叫んでよけることでもない。じっくり凝視してそれを手で後ろに跳ね飛ばす(注:ハンドボールはサッカーと違いエンドラインの後ろに飛ばせばキーパーボールである)かキャッチすることだ。突きも同じくだ、しっかり見ないと避けられないし相手にカウンターを喰らわすこともできない。

今回のCESで明らかだったように、もはや世界市場での主役は先日世界一のIT・家電メーカーの座を勝ち取った韓国のSAMSUNGやそれに続くLGであり、大躍進している中国の企業である。アメリカでは昨年30社以上の中国系企業が上場したし、恐らく今年はそれ以上の数が新規上場あるいはM&Aによりオーナーが中国資本に変わるであろうと思われる。 (NHKスペシャル チャイナパワーより) が、彼らですら容易に成し遂げられないのが「垂直統合型」ビジネスモデルなのである。それを脅威と感じるのは日本だけではないのだ。が、中国のようにそれを頑として受け付けない、という姿勢を取るのも一つの考え方であろう。

ただしその場合はこれまで日本市場を牽引してきた「内需」というものに依存し続けるという姿勢を保つ覚悟が必要であり、少子高齢化、多額の負債、低下し続ける国際競争力と流入し続ける海外資本という構図の中でそれにしがみつき続けるという態度を貫くには、覚悟だけでなくそれ相応の対価を支払わなければならない。日本ではNHKの大河ドラマ「竜馬伝」が人気のようだが、「鎖国か開国か」という議論をもう一度考えてみるのはいいことなのかも知れない。(もっとも、どれだけ考えても新たに鎖国をするという選択肢を国民がとる可能性があるようには思えないのだが)

(余談になるが、筆者は勿論男子なら誰でも一度はあこがれるといわれる坂本竜馬の大ファンである、が、一般的な竜馬ファンに対しては少し抵抗感をもつことが多い。その理由は坂本竜馬という人物を理解すればするほど、彼がいわゆるイコン(偶像)として崇拝されるなんてことを一番毛嫌いしただろうことがよく分かるからである。彼が必要としたのは彼を理解して共に志を叶えるために戦ってくれる者達、つまり「志士」であった訳で自分のことを誉めそやすだけで肝心の「開国談義」を傍観しているという者たちがいたら彼の視野にも入らなかったに違いない)

では、要旨に戻ると日本は本当に電子ブック戦争に敗れ「た」のだろうか?筆者の結論は「NOT YET」である。リーダーの戦争ではすでに敗れかけているのは事実である、が、まだまだ日本には他の市場に存在しない宝の山がごっそりある。それがコンテンツだ。日本に埋没する宝の山をどう発掘して、世界に向けてそれをお金に変えていくのか、そしてそれを成し遂げるために必要なデバイスの開発を誰がどう行い、業界に対してイニシアチブを取っていくのか。それが筆者にとって重要な着眼点である。日本ではよく「秋葉系」と揶揄されるいわゆる「オタク文化」の底は深く、それが世界の一部のファンを魅了してやまないのは周知の事実だ。そして、「にちゃんねる」に代表されるオンライン掲示板でも数々の名作やドラマが生まれてきており、これはなんといっても成熟した市場と民度の高さが織り成す文化である。

他のアジア諸国に先駆けて「世界第二位の経済大国」という誉を堪能してきた日本の地位は他のアジア諸国から羨望の的であった訳であり、その間に日本の中に培われてきたものはいわゆる「付け焼刃」のものとはまったく異なる高次のものである。今後はその経済的地位をどんどん下げていくとしても、日本はアジアの文化リーダーとして文化圏を牽引していくことができるはずだ。課題は多いが、そんなものに煩わされている時間があればしっかり課題の本質を見据えて対処方法を考えるべきだ。例えば躍進する中国市場を考えて欲しい、日本は中国以外で漢字を母国語の中に取り入れている唯一の民族である。つまり、日本人ほど中国語を学習するのに有利な立場にたっている人はいないのである。これは中国の地位が向上すればするほど有意義になってくるではないか。

敢えて苦言を呈すれば何年勉強してもモノにならない英語の勉強に労力を費やしすぎずに、比較的学びやすい中国語や韓国語の学習も並行させてみるなどしてみるのもいいかも知れない。過去にSFC(慶應湘南藤澤キャンパス)で試みられていた実験がうまくいったのかどうかは知らないが、多言語を同時に学ぶことは思考を柔軟化させ、発音の学習にもよい相乗効果を生むなど、効果的であることはよく語れることである。

(誤解なきよう補足すると、これは英語を10歳の時に少人数制英会話教室で学び始め、その後25年間に渡って尋常ではない努力をして英語を学んできた筆者が、韓国語や中国語を学んだ際に感じた「費用対効果」に対する実感を端的に述べたものである。逆に言うとそれくらい日本語と英語はかけ離れた言語であり、いわゆる「ペラペラ」という幻想的状態に達するのは英語学習者の1%にもはるか満たないという私的観測に基づく意見を述べているだけであって、決して英語を話せるようになるメリットを否定したり英語をマスターするのが不可能だと言っている訳ではないことにはしっかり留意頂きたい。ZEN ENGLISHという英語学習論がこのブログのメインテーマの一つであり、日本人の英語能力向上に対して私が軒並みならぬ情熱をもっていることは周囲の方には理解頂けていると思う)

この意志に賛同して頂ける有力なパートナーがいれば、きっとまだまだ日本は形勢を逆転できるはずである。が、その前にもう一度「鎖国か開国か」の議論を考えて頂くことをお奨めする。結果は火を見るより明らか、であったとしてもである。

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立入 勝義 (Katsuyoshi Tachiiri) 作家・コンサルタント・経営者 株式会社ウエスタンアベニュー代表 一般社団法人 日本大富豪連盟 代表理事 特定非営利活動法人 e場所 理事 日米二重生活。4女の父。在米歴20年以上。 主な著書に「ADHDでよかった」(新潮新書)、「Uber革命の真実」「ソーシャルメディア革命」(ともにDiscover21)など計六冊を上梓。