第5章 マンガ家は日本の財産だ – 電子ブック開国論 (45)

マンガは言うまでもなく、日本が世界に誇ることのできる文化だと思う。しかし、世界で日本のマンガが大流行しているかというと、そういうわけではないので勘違いは禁物だ。確かに世界で着実に日本のコンテンツは流行してきているし、宮崎駿作品なんかは海外でもそれなりの興行収入を得ている。ドラゴンボールもNARUTOもONEPIECEも大人気で登場キャラクターのコスプレをするほど熱狂的なファンも多い。だからと言ってこれらの作品の成功を日本のマンガの普及とすぐに結びつけるのは少し早い。何故ならこれらの作品が流行している背景にはマンガではなくマンガを原作としたアニメの存在があるからだ。

しかもアニメといっても、世界のアニメ市場の中における日本アニメのシェアというのは実はほとんど存在しない。宮崎アニメが流行しているのをご存知の方は不思議に思うかも知れない。アニメの主要マーケットといえばまず北米であり、次に南米、そして欧州の順番となるのだが、アニメ市場で最も大きいシェアをもつのはやはりテレビであって映画ではない。日本のアニメが日常的に海外のテレビでオンエアされているかというと、決してそうではなくやはりそれぞれの国で制作されたアニメが主流を占めている。これは当然のことだといえる。例えば日本のキー局で現在放映されているアニメの中に海外のものがどれだけあるだろうか。いくつかの例外はあるかも知れないが、そう多くはないだろう。実はこれは日本だけでなくどこでもそうだ。またテレビアニメの製作にはとんでもない予算がかかっており、それだけ視聴率をめぐる競争が激化しているということだ。広告主もこの不況下では広告予算を削らなければならないし、かと言って宣伝しないわけにもいかないので必然的に視聴率の高い作品に集中することとなる。

ところで筆者は一度LAの音楽業界で活躍している備(そなえ)耕庸氏という友人の案内でカルバーシティというところにあるソニーのスタジオにいったことがある。ソニースタジオの中でも一番大きなスタジオに案内された我々はそこでAlf Clausen氏がBGM音楽の総監修を手がける「ザ・シンプソンズ」の収録現場を目にすることになる。会場には演奏者としてオーケストラの奏者が40名ほど配置されていて収録に臨んでいた。(多いときには60名以上の奏者と20名以上のスタッフが収録を手がけるそうだ)この場で収録されていた4時間の間終始会場はピリピリした雰囲気に包まれていたが、なんとこの週1回の録音のために毎回10万ドルを費やしているというから驚きだ。それくらいクオリティが要求される作品の影には見えないこだわりと努力があるということだ。備氏の談によればこの規模の予算を使える作品はアメリカの全TV作品の中でもごく限られているそうで、おそらくこのメガヒット作品と「FamilyGuy」という作品くらいではないかとのことだった。よく耳にする大ヒットTVシリーズでもそれだけの予算を消費していないということで驚きだ。(もちろん俳優陣にかかっている費用がその分アニメよりは高いとは思うが)
我々を心よく迎えてくれたClausen氏はこの世界中で人気のTVアニメのBGMをシリーズ第二弾からずっと連続して監修している。傍目に見る彼の存在はまさしく録音スタジオ内の『神』だった。

このように人気を長期間保つにあたって要求される努力や投資は並大抵のものではない。しかし、質の高いコンテンツを産み出したり、それを長続きさせるものとするには妥協を許さないモノづくりの姿勢が必要である。それはマンガとても同じことだ。マンガは幸い執筆するのに映画や音楽ほどの予算を必要とせず、「書き手」と「原作者」(同じ場合も多い)がいれば基本的に成立する。漫画家をサポートするアシスタントたちももちろんこの書き手に含まれる。また「書き手」しか要求しないマンガのメリットはその柔軟性にある。何せ、たとえ海外をテーマにしたマンガを描こうとしても、映画のように海外にわざわざスタッフ総出で出かけていってロケをしたりする必要はなく(せいぜい取材くらいだろう)、時代や背景などの考証がきっちりしていればどんな壮大なストーリーでも描けてしまう。これは本当にすばらしい点だと思う。しかしながら、世界に通用する作品作り
をしようとした場合には日本人なりの「発想の壁」にぶつかってしまう。筆者の弟を見ていてもそうだが、多くのマンガ家は自分の作品を売るのに必死に描きつつ食っていくためにアルバイトやしたくもない仕事をしてお金を稼がなければならない。そしてメジャーへの道を目指すのだが、それは狭き門である。いわゆる同人作家というのがその通過点である場合も多いと思うが、彼らの中でメジャーになれるのはごくわずかで作品づくりを続けるためにコミケなどにでて作品を売るなど涙ぐましい努力をしている。こういう生活自体は何の問題もなく、むしろ音楽や映画、そして作家などの他の業界にもあてはまることではあるが、想像を膨らませる必要があるマンガの世界ではマンガ家本人の人生観や哲学、生き方と経験がコンテンツづくりにそのまま影響を与える。例えばアメリカに行ったことも住んだこともない人間がアメリカでのビジネス成功の物語を描こうと思っても、あちこち不自然な点がでてきてまともな作品には仕上がらないだろう。

この点で日本のマンガをこのまま海外に輸出し続けるのには大きな問題があると筆者は指摘したい。実際に翻訳業を手がけていた観点からしても、マンガ一冊の翻訳にかかる手間とコストというのは莫大なものであり、しかももともとの生活慣習が日本と海外ではまったくことなるようなことも多く、多くのマンガは世界に普及しうるコンテンツをつくるには素地が足りなすぎる恐れがある。そう考えた時に我々が想定しうるソリューションは二つだ。一つは外国人あるいは外国の事柄に精通した人物に原作を描かせ、それをもとにマンガを製作すること。もう一つはコンテンツクリエイターである作者自身が海外に出て見聞を広めることである。(続く)

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立入 勝義 (Katsuyoshi Tachiiri) 作家・コンサルタント・経営者 株式会社ウエスタンアベニュー代表 一般社団法人 日本大富豪連盟 代表理事 特定非営利活動法人 e場所 理事 日米二重生活。4女の父。在米歴20年以上。 主な著書に「ADHDでよかった」(新潮新書)、「Uber革命の真実」「ソーシャルメディア革命」(ともにDiscover21)など計六冊を上梓。