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序章 ソーシャルメディアとジャーナリズム

2010年3月15日(月)
「まずいな。」柳田礼人は自分が書いているブログ「電子ブックレポート」のアクセス数をみながらこうつぶやいて舌打ちした。柳田は毎朝午前中の頭が元気なうちにブログを更新するようにしていた。場所はロサンゼルス郊外のトーランスという市にある彼の自宅。娘たちは学校に行っていた。裏庭では妻の恵子が洗濯物を干していた。

柳田は最近話題になってきた電子出版業を営みながら、アメリカの電子出版事情に関するニュースをブログで配信していた。アマゾンやアップルという競合が業界を賑わしているこの業界は去年あたりから、急に活気づいていた。それら競合の動きを逐一報告することで、彼は海外にいながらも日本の業界人の間で、それなりの地位を築きつつあった。いわゆるソーシャルメディアブロガーというやつである。

しかしである。矢継ぎ早に最新の動向を報告してはみても、所詮はニュース目当ての購読者を増やすだけに過ぎない。それを利用して収入を得るのは並大抵のことではなかった。柳田は自分で会員制のサイトも運営しており、そちらには独占的な情報を送るようにしていた。アグリゲーションサイトと呼ばれるこの手法はニュースサイトとしては新しく、マスメディアに代わるソーシャルメディアの流れを着実に反映させていた。

だが他のウェブビジネスと同じように肝心の収益が思うように伸びない。有料サイトはアメリカで話題になりつつある、Ningというシステムを使っており、管理が簡単なためウェブデザイナーを雇ったりする手間やコストがかからないことが、唯一の救いであった。が、会員数が200名を超えた数ヶ月前に有料制に変更してから、まだ新規の会員を20名しか獲得できていなかった。インターネットのユーザーはとにかく情報というものに対価を払う習慣がなく、多くのビジネスがこの壁を乗り越えようとしては失敗していた。ウォール・ストリート・ジャーナルやニューヨーク・タイムズといった大手新聞社とてまったく例外ではなかった。ましてや駆け出しのにわかジャーナリストである柳田は一般的な業界ではまったく無名の存在であった。

「どうしたものかな。」柳田は焦り始めていた。さっき舌打ちせざるを得なくなったのは、自分のブログへのアクセスがこの一週間で、どんどん低迷していたからだ。話題になりつつある電子出版をアメリカから伝えるという狙いは悪くなかった。昨年までは全く無名だった柳田の「電子ブックレポート」が短期間で有名になり、仕事の問い合わせが入ってくるようになったのもそのおかげだと思っていた。

ただ、予想外の展開というものは何にでもあるものだ。アップルが新しく出したiPadという画期的端末が日本でも話題になり、今まで後ろ向きだった風潮が一気に変わり、日本でも電子出版の気運が一気に高まったのだ。それ自体は勿論悪いことではなかったのだが、少し勢いがつきすぎていた。ガラパゴスと揶揄される、日本人特有の島国根性がここでも出てきているのは、柳田のような海外生活の長い人間には明白だった。結果、日本人の関心は先行しているアメリカの話題よりも国内の話題に急速に移行し始めた。これでは海外にいる柳田の出る幕がない。おかしなことを書いたら揚げ足を取られて折角築きあげつつある信頼が一気に水の泡となる、そんな状況を他のブロガーが体験するのを何度も見てきていたので、アクセス数を稼ぐためだけに下手に動くのは禁物であった。

庭での用事が終わった恵子が家に入ってきた音がした。最近家計をめぐるやりとりでちょっとした口論になることが増えていた。女性には安定が一番だと思っていた。十年前に起業した時にも散々迷惑をかけたのだが、ようやく収入が安定しかけていた事業を昨年末にたたんで、作家になると言った時、妻の顔に浮かんだ驚きと不安の入り混じった表情を柳田は今でもはっきり覚えていた。

しかし、男の方にものっぴきならない事情があった。以前会社の収益の大半を支えていた、一大プロジェクトが予定よりも三年も早く終わってしまったのである。散々考えた挙句、柳田は電子出版に注目するようになった。電子出版のメリットは誰でも作品を創り、出版ができるよいになることだった。小さい頃から書くのも読むのも大好きだった柳田は、自分でコンテンツを書いて出版すれば儲かると考えた。電子出版の市場は米国では急速に拡大しており、作家側にも読者側にもいわゆるロングテールが広がるであろうという読みがあった。それは取りも直さず、誰もが作家になるチャンスである。学生の頃からいつか作家として何か有名な賞を受賞したいと考えていた柳田は趣味と実益を兼ねて、自身が一番得意だと思う執筆と出版の世界へ乗り出すことを決意したのである。(続く)

ウィキペディアンの憂鬱 0 1 2

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