第5章 世界を狙うならこのコンテンツだ!1 – 電子ブック開国論 (51)

クリエイターが創る未来
筆者はここで日本が電子出版という大きな次代の波にうまく乗って、世界に向けて大きな成果を残していくために一つ重要な提起をしてみたい。筆者にはまがりなりにもIT業界の片隅に身を置くものとして常に肝に銘じている格言があるのだが、それは「温故知新」という言葉である。これまでのIT業界やゲーム業界の動きと同様に、電子出版においてもこの「温故知新」がさまざまなブレイクスルーを産み出すことになるだろうと考えているのだが、それを日本から起こすとしたらそれは(日本を含んだ)世界文学の名作を現代風にアレンジしてしまうことだ。つまりリメイクということである。もちろん並大抵のことではないが、世界に日本のマンガの底力を見せて「クール文化大国日本ここにあり」と世に知らしめることのできる一大プロジェクトである。リメイクというと例えばレオ様ことレオナルド=ディカプリオが主演して話題になった「ロミオとジュリエット」などハリウッドが得意な分野であるが、これをマンガでやる。しかも世界最高水準のクオリティで。

この時マンガは単なる日本のマンガという次元を超えて世界に飛躍することができるようになるし、ヴィジュアルノベルという異なるカテゴリーの文学作品として世に知られるようになるかも知れない。これは未だにマンガ=コミックというイメージがアメリカを始めとする世界では強く、一般的にはコミックブックは子供が読むものと相場が決まってしまっているからである。しかしマンガの本当の魅力は世界に十分に伝わっているとは言いがたく、こうしたイメージを変える作品が世にどんどん生み出されることで大衆のイメージもどんどん変化していくに違いない。

この話が筆者自身にとっても重要であることを説明するために少し筆者の幼少期に触れてみることにする。他の同世代の男の子たちと同様かそれ以上に筆者も幼少期をマンガ少年として過ごしたことは疑う余地もない。特に我が家には周りの子供たちよりもマンガが多くあったのは、一つには筆者が小学校を卒業した時点からアルバイト(今ではどうか知らないが、筆者が育った当時の大阪の一部の地域ではごく当然に小学生や中学生が新聞配達などのアルバイトをして家計を支えたり、小遣い稼ぎをしたりしていた)をしていて自分の小遣いを稼いでいたので曲がりなりにも「可処分所得」を有していたこと、もう一つは筆者と学年が一つ下の弟が(当人いわく夢はまだ諦めていならしいが)マンガ家志望であったことによる。

当時の兄弟での約束は筆者がマンガの原作を書いて、それを弟がマンガに描き起こすことであったが、これは未だ実現していない。この頃から筆者は文学作品を多く読むのと同じくしてマンガも大量に購読していた。単行本の発売日は大体月の特定の日に決められていたので、その時には小遣いを握り締めて近所の書店に行き、発売された
ばかりのマンガの新刊本を買い漁ったものである。(中学生の頃までの小遣いのほとんどは本かマンガ、あるいはファミコンなどのゲームソフトに消えていったが、これは当時ごく一般的な現象だっただろう)

その後マンガブームはアニメや日本のゲーム、それらをモチーフとしたコスプレなどに便乗して世界に進出していき、今や筆者の住むロサンゼルスのバーンズ・アンド・ノーブルズやボーダーズにも大きなマンガのセクションがあるのが日常的な光景となった。しかし、これらはほとんど全て日本のマンガの一部を苦労しながら翻訳したもので、売れるものも少なくないが、その多くは未だにアメリカ社会一般での支持を受けているとは言い難い。これは日本人ならそのほとんどがマンガを読むのとは到底違う次元のできごとだ。筆者はオンラインゲームの翻訳や映像字幕の翻訳などを手がけるものとして、ローカライズの難しさを身にしみて感じているものの一人である。ローカライズ一つで大ヒットする商品もあれば、たった数行の翻訳違いで一生コケにされてしまっているゲームもあるほどだ。(翻訳者の名誉を重んじて作品名には敢えて触れないようにするが、何のことを言っているか分かる方も多いに違いない。YouTubeなどの動画に音楽まで付けて再生されている例のゲームのことである)

その立場からコメントするとこのマンガの翻訳という事業は本当に難しいのだ。何よりマンガの多くは、というかほとんど全ては最初から日本人をターゲットにして書かれており、マンガの主題となる主人公のキャラクターや生活習慣、舞台などが全て日本限定の地で書かれていることが多い。例えば中学生の制服一つにとってみても、日本人が見るとごく普通の話だが、アメリカでは一部の私立学校などを除いて基本的には学生服という統一された衣装が存在しない。学園モノではスポーツなどの部活が一般的なテーマでありしょっちゅう登場するが、海外におけるクラブ活動というのはだいぶ赴きが異なるものである。いきおいコンテンツの理解度も変わってくる。そもそも前提条件がまったく異なるのだから当然である。一方男女間の恋愛や家族の人間関係などはかなり普遍的なものが多いのも事実なので、作品によっては理解され得るものも当然ある。

だが、逆に日本でも先ごろ話題になってきたが、依然規制の緩やかないわゆる「児童ポルノ」に該当するとされるコンテンツについては、相応の配慮をしないととんでもなく大きな問題に発展することがある。しかし実際には例えばアメリカで強く支持されているタイトル、例えば「NARUTO」や「ドラゴンボール」、「犬夜叉」や「ONEPIECE」といった作品のほとんどは和製ファンタジー作品であり現代劇ではない。ファンタジーは和の東西を問わず人気があるカテゴリーなので、これらがウケるのも頷けるのだ。また、アメリカにおいては特に「ニンジャ」や「サムライ」といったテーマは普遍的に人気のあるものであるので、「るろうに剣心」や「犬夜叉」がヒットするのも理解できる。しかし、これ以外で日本のコンテンツがサポートを得られるというジャンルはあまり多くない。

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立入 勝義 (Katsuyoshi Tachiiri) 作家・コンサルタント・経営者 株式会社ウエスタンアベニュー代表 一般社団法人 日本大富豪連盟 代表理事 特定非営利活動法人 e場所 理事 日米二重生活。4女の父。在米歴20年以上。 主な著書に「ADHDでよかった」(新潮新書)、「Uber革命の真実」「ソーシャルメディア革命」(ともにDiscover21)など計六冊を上梓。