第一章 ウィキ事始め ~ ウィキペディアンの憂鬱 (7)

「おはよう。ごめんね、ちょっと遅くなった」
ぼぉっと考え事をしていた柳田の背から若い男の声がして柳田は振り返った。
「あぁ、いえいえ、こちらこそ悪いな。朝から呼び出したりして」
柳田は立ち上がって男と握手をした。
男の名前は武内安彦、柳田よりは三つ程年上で、大学時代からの親友である。すでにつきあいは15年以上にも及ぶ気のおけない仲間、色んな人生の分岐点を共に通過してきたという点ではむしろ「戦友」に近かった。
「じゃー早速やろうか。」そういいながら柳田はノートパソコンを立ち上げた。
「そうそうタグの理解はどうだった?そんな難しくないだろ。」
「そうだね、そんなに難しくはなさそうだ」
武内はラウンジから水を二杯もってきて、二人が座っているテーブルに置いた。

「そうなんだよ。ウィキの執筆自体はそう難しくはない。問題なのは執筆に関するルールだ、そして管理者の存在。特に新規項目を作成するのは並大抵のことじゃない」
ブラウザを立ち上げて早速昨日作成したばかりのウィキの項目を表示して見せた。
幸いそこには「即時削除」の文字は表示されていなかった。

「よし、どうやら即時削除は免れたらしい。これがでなければ後は更新するタイミングで下手なことさえしなければ管理者の目に触れることはない」
柳田は頷きながらつぶやいた。
「でも、そこまで管理者のことを気にしないと作成できないなんてなんかおかしい気がするんだけどな」武内は思っていた疑問をぶつけた。
「まぁね。しかも問題はそれだけじゃない、即時削除なんてのはルールの問題でそれ自体には良いとか悪いとかはない、誰がそれを行使するかという点でのポリシーの方がむしろ問題だ。何てったって管理者なら誰だってその権限を行使できるんだから。」
「だけど、管理者ってのはウィキペディア側から認められた人たちのわけだから、そんなに変なことしたりしないんじゃないの?」武内は水を少し口に含んだ。

柳田は少し面倒くさそうに首を横に振りながら、答えた。
「それがそうじゃない、ウィキペディアと管理者というのは別に信任されてる関係とか、そういうのじゃない。ウィキペディアにはそういう存在がほとんどいない。」
「ウィキが続いているのを単純に人間の良心だとか、ウェブ2.0だとか知ったかぶりして話す連中は多いが、ウィキが成功している最大の理由はそのシステムだと俺は思ってる。 オープンソースっていうのがあるだろ?ソフトウェアなんかでライセンスをフリーにしてみんなで開発するやつだ。簡単にいうとウィキはあんな風に、「ルール」だけを決めてそれを徹底的に遵守することで成り立っている。そして、ウィキの管理者というのが」
柳田はコップの水を一気に飲み干した。
「このルールを最大限に熟知してる連中だってことだ」
(続く)

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立入 勝義 (Katsuyoshi Tachiiri) 作家・コンサルタント・経営者 株式会社ウエスタンアベニュー代表 一般社団法人 日本大富豪連盟 代表理事 特定非営利活動法人 e場所 理事 日米二重生活。4女の父。在米歴20年以上。 主な著書に「ADHDでよかった」(新潮新書)、「Uber革命の真実」「ソーシャルメディア革命」(ともにDiscover21)など計六冊を上梓。