第6章 21世紀知の復興 – 電子ブック開国論  後書き (61)

何故電子出版の専門家がでてこないのか

日本はありとあらゆる専門家で溢れかえっており、多くはテレビや雑誌などのマスメディアに出ることで有名になっている。しかし、これまでのところ「電子出版」の専門家というか権威という人物はそうそうでてきていない。これはどうしたことか。新しいジャンルにおいて専門的知識と経験を基に「第一人者」や「先駆者」と呼ばれることは非常に名誉なことであり、メディアの脚光を浴びる絶好のチャンスである。にも関わらずまだまだこういう専門家が少ないのにはわけがある。それは簡単にいうとこの市場がまだまだ未知の世界であり、今後どう発展するか検討もつかないという人があまりにも多いこと、そしてもう一つはこの分野がデジタルとアナログというハイブリッドな知識と経験を要すること
である。(むしろデジタルが少し強いのは「電子」の部分からも見て取れる通りである)

これまでに数冊の電子出版に関する書籍がでているが、Kindle登場以前と以後では全く状況が違っているわけでいわゆる「電子ブック2.0」的な内容を語ろうとした場合にはこれらの多くが大した意味をなさなくなっている。そういう点では2009年以降に出版された書籍を書いた著者、そして日本で大々的に電子出版事業を手がけている方たちがいわゆる第一人者としての地位に一番近いかも知れない。しかし、実際には彼らの多くは実業を経験していないか、あるいはしていたとしても、肝心のKindleやiPadといったいわゆる垂直統合型モデルで構築されたプラットフォームでコンテンツを販売している者は少ない。筆者は2009年春頃から100以上のコンテンツ(申請したものはもっと多いがアマゾンに拒否されたものも数多い。理由は後ほど説明する)を販売してきているささやかな実績がある。

数量はもちろん既存の出版に比べると大したことはない。しかし、そこから得られた知識と経験というのはリアルなそれである。この本を書くきっかけの一つは、アメリカという遠い地から日本を眺めながら、実際の経験にあまりにも乏しい人たちがしたり顔で電子出版の今後について話すときに感じたどうしようもない違和感だった。例えばiPhoneの時もそうだったが、Kindleの時でも実際に購入して日常的に使用しているわけでもなければ、手に取ったこともない、ましてや自身でコンテンツを出版したことなどさらさらない、といった人物がネット上や雑誌などの媒体でコメントをするのが日本中に広まっていく。これ自体はこれまでにもよくあったことで、問題はないとされるかも知れないが、こういう世論が国土が狭く文化的にも人種的にも限りなく単一な日本という国を独裁するのに手馴れているマスメディアによって標榜され、実際のビジネスチャンスを損失し、ひいては国益を損失することにつながっていくという点を、筆者はこれ以上看過できないと思ったのである。

これが顕著に現れている例として、これだけ電子出版や電子ブック、イーブックという名前が騒がれるようになったのに、いまだに日本語対応の専用端末(電子ブックリーダー)が存在しないという事実がある。(*本稿はガラパゴスが出てくる前に書かれています) 筆者はキャリアの半分を製造業に、そして残りの半分をITとコンサルティングの世界に身をおいたものとして、この事実の背景とそれがもたらす中期・長期的な観点での機会損失を痛いほど理解できるのである。あまりに痛かったから、書かざるを得なくなった。というのが本音の部分だ。これまでのブログや雑誌への寄稿、ネット上でのコラムの執筆などとは異なり、本書は筆者にとっては書籍という形での処女作である。もともと出版業界の人間でもないし、特別な訓練を受けたわけでもない。しかし、一人の日本を愛する者として、そして国語をこよなく愛するものとしてできるだけの誠意を込めてかいたつもりである。

21世紀に求める「知の復興」
「紙」から「電子」に変わっても、やはり出版市場である限りは今後できあがる電子出版市場においても「コンテンツが王様」であり続けるはずだという論議を何度も繰り返させてもらった。しかし、どの王様を担ぐかを決めるのは実は市場であるという点で、ここでいうところの「王様」はいわゆる絶対王政の王様ではなくて、いわば「民主主義で担がれる王様」であるというのが筆者の一つの意見である。20世紀は戦争の時代だったが、その後に続く21世紀はその戦争の破壊から新たな価値観が生み出される「革新と再創造」の時代ではないかと思う。ヨーロッパで、中世にルネッサンスと呼ばれる文芸復興の運動が盛り上がった背景に、間違いなく活版印刷を通じて刷られた書籍が活躍したのと同様に、電子出版というのはこの新しい時代の大きな革新の波を支援する一つのツールと成り得る。

この意義を理解しながら、これまで起こったデジタル化の波に続くものであるという理解は正しい理解であるかも知れないが、電子出版には電子出版の意義があり、デジタルコンテンツだからといって、毎回同じ方程式を適用すれば成功するというような考えに傾倒しないようにも注意する必要があるのかも知れない。(それほどまでに書籍というのは精神を支えてきたし、革命を支えてきたものであるというのは世界のベストセラーの一位と二位が世界宗教の経典で第三位にランクインしているのが「毛主席語録」であることからも伺い知れる。「ペンは剣よりも強し」という言葉は取りも直さず本や「言葉」がもつ大衆への影響力の強さを示す言葉でもある)

特に本書で用いたような「次元が変わる」という形容がぴったりの革新的な変化については、従来の発想ではまったくついていけない事態に陥る。これはビジネスをするものとしては致命的な落とし穴がそこに仕掛けられているのを知らずにその上をためらいもなく歩くようなものだ。筆者は本書を執筆する際に、単なるジャーナリズムとしての観点というよりも実業を手がけるビジネスマンとしての観点を常に忘れないように筆を走らせたつもりである。これは何よりも私自身が「気づいているつもり」の落とし穴に陥らないようにするためである。サブプライムから始まり、リーマンショックで拡大したこの未曾有の世界恐慌の中、多くのビジネスが指針と自信を失い、これまで安心しきっていた大企業の従業員は大きな不安を抱えているが、同じように一人一人の経営者もそのような暗中模索の不安を抱えている。

筆者自身も5人の扶養家族と少数の従業員を抱える身であるし、この不況をどう乗り切るかということについて真剣な試行錯誤を繰り返し、また多くの経営者との討議を重ねてきた。私の見通しが甘いせいで、周囲に多大な迷惑をかけたことも多く、この場を借りて周囲の方々に篤くお礼を申し上げたい。特に私のワガママを受け入れて、支え続けてくれた妻には誰よりも感謝しているし、訳も分からずガムシャラにサポートし続けてくれたスタッフにも同様だ。本当にありがとう。またこの機会に改めてアメリカに滞在できるきっかけを与えてくれた両親と、それに近い存在の二人、リチャード藤田氏さんと小出次人さんにも改めてお礼を言いたい。またいつも適切な助言と支援をしてくれる吉田宣也さんと経営者仲間の秋山昌也さん、大学時代からの腐れ縁で、電子出版についてもリサーチなどをヘルプしてくれたり、ブログを書き続けることを応援してくれた竹内康浩(ヤス)君の三人にはこの過去一年間心の支えになって頂いたことに、心からお礼を言わせて頂きたい。

そして、最後になったがこの大層な名前の本を私の処女作として世に生み出すきっかけを与えてくれたメディアタブレットの皆様、何より編集と出版の重責を引き受けて下さった山田順さんと、彼を紹介してくれたスマイルメディアの高橋誠さんに大きな感謝を捧げたいと思います。何よりの恩返しは私自信が成功することであるという思いで、時折挫けそうになる勇気と信念を何とか維持しながら、自身が信じるところの電子出版の可能性を徹底的に検証しながらやれることをこつこつと積み重ねてきた。この不況を乗り切ることができる経営者というのは、きっと創業者マインドをもった者だけなのではないだろうか。松下幸之助や盛田昭夫など日本を代表する起業家たちは戦後の焼け野原の中、パナソニックやソニーという世界的な大企業の地盤を築き上げてきた。

彼らにとっての当時の世の中はきっと今と同じようにまったく将来についての見通しが立たないような暗い時代だったに違いないと思う。しかし、彼らは希望を捨てなかった。そこにあるのは揺ぎ無い信念と人類に対する希望だったのではないか。筆者は電子出版元年といわれる今年に本書を上梓することができたことに感謝すると同時に同書が社会的に大きな意義をもち、このいわば戦国時代に乗じてあちこちで「下克上」が起きることを期待している。何を隠そう決して経済的に恵まれたとは言えない環境で生まれ、19歳という若さで渡米し、その後独立して限りない挫折と失敗を経験してきた、私自身のリアルな立身出世の物語である。そのような一人一人の織田信長や坂本龍馬たちに貢献することができたら、という思いが辛く楽しい執筆作業を支えてきたのは厳然たる事実である。だから、この電子出版開国論をそんな志士たちに捧げたい。

(電子出版開国論 草稿 終わり)

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立入 勝義 (Katsuyoshi Tachiiri) 作家・コンサルタント・経営者 株式会社ウエスタンアベニュー代表 一般社団法人 日本大富豪連盟 代表理事 特定非営利活動法人 e場所 理事 日米二重生活。4女の父。在米歴20年以上。 主な著書に「ADHDでよかった」(新潮新書)、「Uber革命の真実」「ソーシャルメディア革命」(ともにDiscover21)など計六冊を上梓。