自分探し – 縞馬たちへの伝言2

(このシリーズはティーンエージャーを対象に書かれているため、文章が平易になっていたり会話文が使われていたりするなど他のエントリーとは表現が異なります)

また来てくれてありがとう。

さて、よく「自分探し」っていうコトバを聞くだろう?自分探しの旅にでた、とかいうやつだ。でもそんなことするのはムダなことだと僕は言う。
何故かって?それは「自分」はどこかにいるものじゃないからだ。どこかに行ったら自分が見つかった、なんてことあるわけない。自分は自分だ。どこにいっても、ふだんと同じ自分がいるだけだ。そんなの誰でもわかってることだ。「自分探し」ってのはそういう意味じゃない。

探すモノを間違えてはいないか?僕は、探すのは「自分」じゃなくて「先生」だと思う。別にそれは学校の先生じゃなくてかまわない。というか、学校の先生であることのほうがめずらしいだろう。せっかく旅にでるなら、「先生」や「師匠(ししょう)」を探しにでかけたらどうか。僕も旅が好きで、10代の時はいろんなところに行った。僕は大阪出身だけども、よく自転車で京都にいった。高校生の時には春休みに自転車で九州を一週間で縦断したこともあるし、能登(のと)半島というところを歩きにいったこともある。野宿もしょっちゅうで、奈良の国立公園で野宿した時には蚊にさされてたいへんだった。そして、10代最後にバックパッカーとしてカバン一つに下着とTシャツだけをつめこんでアメリカに行った。40日間の旅の予定で、もっていたお金は8万円だった。一日2000円だ。

でも、どこにいっても、そこにいるのは自分だった。変わらない自分。「自分探しの旅」に出たって自分なんかちっとも変わりはしない。むしろ、自分がどんなやつか分かって嫌になるだけのことも多い。旅はすばらしいし、(生命の危険が伴わない限り)ぜひおすすめしたい。だけど、そこで自分を探そうなんて思わないでいい、探すなら自分を変えてくれるきっかけを与えてくれる「先生」を探すことだ。そして、その先生は人間じゃないかも知れない、大自然だって、物音だって、石ころだって、自分の人生を変えるきっかけを与えてくれるかも知れない。大事なことは心の耳をすますことだ。

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立入 勝義 (Katsuyoshi Tachiiri) 作家・コンサルタント・経営者 株式会社ウエスタンアベニュー代表 一般社団法人 日本大富豪連盟 代表理事 特定非営利活動法人 e場所 理事 日米二重生活。4女の父。在米歴20年以上。 主な著書に「ADHDでよかった」(新潮新書)、「Uber革命の真実」「ソーシャルメディア革命」(ともにDiscover21)など計六冊を上梓。