親孝行したい時に親はなし – 縞馬たちへの伝言7

(この連載はティーンエージャーを対象に書かれているため、文章が平易になっていたり会話文が使われていたりするなど他のエントリーとは表現が異なります)

人生を生きるということはとっても難しいことだ。算数みたいに簡単な答えがあるようでないのが人生だからだ。だけど、僕はいろいろ考えごとをして、行き詰まった時には、より本質的(ほんしつてき)なことに立ち返るようにしている。本質的っていうのは、例えばある特定の人にだけ当てはまることじゃなくて、誰にでも当てはまることっていうことかな。例をあげると、どれだけその人が偉くても、ご飯を食べたり水を飲んだりしなければその人は死んでしまう、食べていても年をとるとみんな死んでしまう。これには例外がない。若い君たちはまだまだ死ぬってことを考えたことない人が多いかも知れないけど、僕は小さい頃から死ぬのがとっても怖かったんだ。それを考え始めるといつもとても寂しくて怖い思いをしてしまう。これは後にちょっとした考え方の変化によって何とか克服することができたけれども、今でもそれは続いている。一つの克服(こくふく、のりこえること)方法としては、「今を生きる」というのがある。僕が若い頃流行った映画にそういう題名の映画があったけども、今考えても仕方ない先のことじゃなくて、今目の前にある現実をどう生きるか、それに集中することが大事だ。今が変われば未来が変わる。未来を変えて今を変える、という方法もあるんだけど、これはまた別の機会に話そう。

つまり悔いの無い人生を生きる、ってことだ。後悔(こうかい)っていうコトバがあるけど、これが多い人生なんて何も面白くないとは思わないか?人生は一回きりしかない、誰もその一回きりをいっしょうけんめい生きている。「親孝行したい時に親はなし」というコトバがある。僕の母親は女手一つでとても苦労して僕と弟を育ててくれたから、僕はとても感謝しているし尊敬(そんけい、うやまうこと)している。ある日そんな母が死ぬ夢をみた。その夢を僕は今でもはっきりと覚えていて、黄色いジャケットを着て僕に手を振ってくれてた母の笑顔が忘れられない。その時僕は夢の中でとても後悔したんだ、「もっと親孝行しておけばよかった」って。だからその夢から覚めた時に、すごく単純に「じゃあ母親が死ぬ前に親孝行しよう」と思えた。親といっしょにいて恥ずかしいなんてのは、思春期(ししゅんき)にみんなが経験(けいけん)することだけど、そんなのバカらしいと思った。だって、人間なんてホントにいつどこで死ぬかわからないんだから。「悔いを残さない」そっちのほうがより本質的なわけだ。

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立入 勝義 (Katsuyoshi Tachiiri) 作家・コンサルタント・経営者 株式会社ウエスタンアベニュー代表 一般社団法人 日本大富豪連盟 代表理事 特定非営利活動法人 e場所 理事 日米二重生活。4女の父。在米歴20年以上。 主な著書に「ADHDでよかった」(新潮新書)、「Uber革命の真実」「ソーシャルメディア革命」(ともにDiscover21)など計六冊を上梓。

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