「夢破れて “I dreamed a dream”」 の歌詞について – 絶対語感

昨年の紅白にスーザン・ボイルが出て歌った曲がこの “I dreamed a dream”であるので、もはや聞いたことが無い人はいないくらいだろう。イギリスの「スター誕生」的番組で一躍渦中の人となった女性がこのスーザンボイルである。実は筆者の妻も彼女の歌声に魅了されて、CDも購入し、車の中で聞くようになった。

もともとスーザン・ボイルのことを紹介したのは筆者だったが、実はあまり歌詞をちゃんと考えて聴いたことがなかったので、運転中にそれとなく耳を澄まして聴いていると、タイトルがひっかかるようになった。「夢 破れて」とはどういう意味か、と。 歌の背景をよく知らなかった筆者は正直(恥ずかしい話だが)最初は誤訳の可能性もあると思って、一度歌詞を読んで自分なりに研究してみようと思っていたのだが、今朝ひょんなことからそれをする時間が少しあったので調べてみたらネットでも歌詞の意味を気にしている人がかなり多いよう。(ちなみに紅白で歌われたのは歌詞が少し違うバージョンではないかという意見もあるがそこまで詳しく調べていない)

そこでまず英語の歌詞を実際に読んでみた。(下記はネットからとったものなので、ひょっとしたら間違っているかも知れないが)

There was a time when men were kind
When their voices were soft
And their words inviting.
There was a time when love was blind
And the world was a song
And the song was exciting.
There was a time …then it all went wrong…

I dreamed a dream in time gone by
When hopes were high and life worth living,
I dreamed that love would never die
I dreamed that God would be forgiving.

Then I was young and unafraid,
When dreams were made and used and wasted.
There was no ransom to be paid,
No song unsung, no wine untasted.

But the tigers come at night,
With their voices soft as thunder,
As they tear your hope apart
As they turn your dreams to shame

He slept a summer by my side.
He filled my days with endless wonder,
He took my childhood in his stride,
But he was gone when autumn came.

And still I dream he’ll come to me
And we will live the years together!
But there are dreams that cannot be
And there are storms we cannot weather.

I had a dream my life would be
So different from this hell I’m living
So different now from what it seemed
Now life has killed the dream
I dreamed.

? なんだか、様子が変である。本当に「夢」は破れているようにしか聞こえないし、しかも、内容は思っていたよりもなんだかむごたらしそうだ。
特に

But the tigers come at night,
With their voices soft as thunder,

のあたりが妙にひっかかる。何故 Tiger(S) と複数形なのか、そしてその後には shame という単語。これはもしかして。。。と思って今度は歌の背景を調べてみることに。そこでこの歌がもともとはレ・ミゼラブルの楽曲の一つであることを知った。(昔芝居を見たことがあるはずなのに。。。)
劇中でこの歌を歌っているのはファンティーヌという女性で、第一幕で歌われているようだ。

ちなみに筆者は自他共に認める国語人間である。将来の目標の一つにノーベル文学賞の受賞というのがあるくらい、文学だろうと詩だろうと俳句だろうと漢文だろうと、言葉というものにはこだわりがあるし、言葉に対する美的感覚というものには非常に敏感なものをもっている(と、少なくとも自分では思っている)。

そして、その観点から言うと、これはまさに言語を問わないことだと思うが、このレベルまで有名な詩になってくると一行一行の中に無駄というものが一切なく、全てに意味がある。まさに推敲に推敲を重ねられているはずである。時を超えて人々に愛され続けてきて名を残す作品というのはそういうものだ。
なのでこの詩が含む単語一つ一つ、一行一行の意味とそれぞれとの関連性、韻の踏み方などには全て意味がある。それが文学という芸術である。

筆者はここで虎を意味する Tigers が複数形になっている時点で、この詩は娼婦によって謳われたものではないかと気づいたのだが、恐らく英語に親しみのある人物なら同じようにパッと気づく方は多いのではないか。これは英語学習の際に文法を超えたところで生きた英語を学ぶために必要ないわゆる、「気づき」をもった者であれば察することができる『伏線』的な語感の話になるのだが、これは筆者が提唱するZEN (禅)ENGLISHのコンセプトを伝えるのに分かりやすい教材だと思ったのでブログで取り扱うことにした。

その背景として理解頂きたいのが英語と日本語がかなり違う言語であるということである。違う言語なんだから当然だと、いう声が聞こえてこないのだが、その「違い」の意味を正しく体得していないと英語上級者への道は開かれないと思う。

ではその心は…

この歌詞を理解する上でのポイントは「時制」と「複数形」である。英語はこれらの使い方について日本語よりもはるかに厳密である。これは中国語、韓国語、日本語の中では共通していることかも知れない。日本語も中国語も名詞を複数扱いする必要があまりない言語であるし、時制については日本語と韓国語は非常に似た部分をもっている。

具体的にいうと例えばここでは、男性を意味する言葉でも Man と Menのように両方使われているし、表題のDreamも a dream, the dream, dreams と名詞だけでも表現が分かれていて、さらに動詞としても使われている。韻を踏みつつ全ての意味をきっちりつかいこなすというすばらしい英詩の典型的な作品とも言える。それを理解しながら読むとこの詩からは悲壮感というか絶望的な悲しみしか伝わってこないのだ。

ではなぜ Tigers が筆者に娼婦を連想させたのか。それはこの単語が複数形になっていて、さらに現在形の動詞 comes を伴っているからである。動詞の現在形がでてくるときには要注意だ。動詞の現在形は恒常的に発生する動作・あるいは事態であることを意味する。つまり「虎は毎晩やってくる」のである。この点で日本語的な「虎は夜来る」という表現ではその意味十分伝わらない。筆者はこの時点でここでの 「Tigers」というのは悪夢のことか、男性の集合体であると認識した。夜やってくる男性の集合体といえばそれは娼婦を目当てに訪れてくる顧客のことである。彼らは乱暴に彼女に声を発しながら、彼女が昔抱いていた(集合体としての)「男性」に対する淡い夢を粉々に打ち砕いていくわけである。恥を意味する shame という単語からもそれは感じ取ることができる。

この詩の中で登場する複数形を伴う名詞というのは彼女にとっては「不特定多数の」あるいは「観念的な」存在であり、単体で出てくるのは彼女自身も含めた「実在」つまり価値のある現実の存在である。単数形で出てくる Man は彼女が本当に愛した人物であり、彼女のことを捨てて消えていった人物(劇中で出てくるコゼットの父、フェリックス・トロミエスのこと。フェリックスとは年の差があったので、彼女の childhood を受容し軽くあしらってくれた訳である)のことを指す。ちなみに夏が来て秋が、という表現は人生のステージを表現している訳で一夏だけを過ごした訳ではないことは物語から読み取れる。
また最後の dream は定冠詞 the がつくことで、彼女が人生に対して描いた夢の全てを一まとめにしているということで、何とも悲しいメッセージが伝わってくるわけである。 ここまで理解して、(一応筆者も翻訳会社を経営し、自身も翻訳を生業とすることがある者として)「夢 破れて」という邦訳はまさに名訳だと実感するに至ったわけである。きっと翻訳されたのは大家の先生であろうから、その方から見てみれば失礼千万な話かも知れないが。。。

が、では筆者が訳すとしたらどうするかというと、「夢は彼方へ」という訳の採用を検討したかも知れない。これは何故かというと、物語の中ではファンティーヌが描いた人生に対する夢の多くは、その娘で劇中の悲劇のヒロインでもあるコゼットによって叶えられたからである。ファンティーヌ自身は失意の中で命を失うのだが、その後ジャンバルジャンによって命を助けられて、最愛の人までを得るにいたったコゼットの姿を天から見届けていたファンティーヌは自身の夢が、川の向こう側で果たされたことを喜んでいたに違いないからである。(地獄という表現があるので、日本語訳もそこまでかけたものにしてみても良かったのではないか、そう思ったという訳だが)

立入 勝義 (Katsuyoshi Tachiiri) 作家・コンサルタント・経営者 株式会社ウエスタンアベニュー代表 一般社団法人 日本大富豪連盟 代表理事 特定非営利活動法人 e場所 理事 日米二重生活。4女の父。在米歴20年以上。 主な著書に「ADHDでよかった」(新潮新書)、「Uber革命の真実」「ソーシャルメディア革命」(ともにDiscover21)など計六冊を上梓。

3件のコメント

  1. kuni shimizu
    2010 年 2 月 7 日

    ミュージカルを見ているとこの歌詞は、なるほど、ということになりますね。
    There is a house in New Orleans they called “the rising sun”…という歌も娼婦に関したものです。

  2. will
    2010 年 2 月 8 日

    いつもコメントありがとうございます!
    背景を理解することで情景が思い描かれ、歌詞にも歌にも感情移入できますよね。

  3. 「夢破れて “I dreamed a dream”」 の歌詞について – ZEN ENGLISH | 意力 “Ichikara” Will’s Blog

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