誰がベビーブームを殺したか(4) 少子化の観点から見た「社蓄」論争

(本文に入る前に一言。将棋の格言に「玉は包み込むように寄せよ」というのがある。当連載でもそのようにじわじわ真犯人に迫っていく予定なので、結論を焦らずいましばしご辛抱いただきたい)

前回からの続き)
留学時代、環境学の授業で某教授が「学会全体で無難にコンセンサスが得られるような環境問題は、(私が知る限り)一つしかない」という発言があり、驚いた。そしてそれは当時すでに話題になっていた地球温暖化ではなかった。
この「一つの問題」というのは「生物多様性減少」の問題で、この「多様性」の欠落というのは日本が抱えている社会問題の根幹にも通じていると思う。(詳細は後ほど)

さて、相次ぐ過剰編集ややらせの発覚が原因でフジテレビの人気番組「ほこxたて」(タイトルは矛盾の故事に由来)が放送中止になったという。
私自身も好きで何度か見たことがあり、残念だ。視聴者を喜ばせようと思うあまりに製作者側が過剰演出に走ってしまう気持ちは理解できるが、やはり視聴者の期待を裏切る行為はよくない。

日本は見る限りでは温暖化の影響を受けてゲリラ豪雨や大型台風の襲来頻度が増えているように思うのだが、その真偽は別として先日の大型台風26号襲来時に、この「ほこxたて」になぞらえた「最強の台風vs絶対休まない社蓄」というスレッドが某掲示板にあがっているというニュースを見て思わず失笑してしまった。見た方も多いに違いない。

この社蓄という言葉、ツイッターで過激、というより率直な物言いをすることで話題の@May_Romaこと谷本真由美さんの書籍タイトルとしても近頃話題に。(筆者含め)国内のしがらみとあまり関係のない海外在住邦人だからこそ言えることというのもあり、「半沢直樹」の高視聴率が裏づけするように、時に過激な物言いが支持を集めるのは、それだけ日本の社会がストレスとしがらみでがんじがらめになっていることの表れだろう。
言葉の是非はともかく、傍から見るとまるで会社の奴隷に見えるくらいに日本の社会はストレスと拘束だらけで人権が無視されているということなのだろう、そのストレスを発散させるために「癒し」系サービスやグッズが売れる。しかし、これらは対症療法なので、結局ストレスはなくならず、またサービスや商品を買うことになる。こういうのをマッチポンプという。(漫画「カイジ」の地下労働現場の描写はこの点で秀逸である)

このストレスの元は何か?そしてそれが少子化にどう関係しているかを少し考えてみたい。今回は退屈にならないよう、グラフなしで説明。

前回までで首都圏を巡る少子化について数字が示しているのは:

*男性の20%が生涯独身、女性はその半分(どんどん上昇中)
*女性が希望する年収をもった男性はごくごく少数(でも収入気にしない人も多い)
*東京では婚姻率は高く、離婚率と出生率は低い。特殊出生率は日本最下位。
*第一次ベビーブームの際には東京の人口は増えていたが、第二次では人口はさほど増えていない。
*日本には非正規雇用を含めて5000万人超の労働者がいる。その多くが首都圏在住。

語弊を恐れずこれを簡潔にまとめると
「東京にはたくさん独身男女がいるのだが、男性は諸々の事情でなかなか結婚に腰が重く、女性は結婚したいが理想の男性にめぐり合えない。結婚しても、今度は出産を思いとどまらせる要因が複数あり、出生率は伸び悩む。が、みんな仕事があるので東京から離れられない。」

となる。

誰の目にも明らかに東京都は飽和している。
コストも高いし、狭い。マイホームなんて都内に住んでいると夢のまた夢なので、多くはより快適な居住空間を求めて都心から離れたところに居を構える。ここで誰もが直面する大きな過密化の弊害が通勤である。以前石原前都知事が、道路が混みすぎているのが問題だと言っていたかと思うが、人口の大半を占める一般市民、「サラリーマン・OL」(そして学生)にとっては朝夕の満員電車のほうがはるかに問題じゃなかろうか。

私自身も東京のラッシュアワーの片鱗を少しだけ体験することができた。(前回は徒歩通勤だった)
中でも一番大変だった時は通勤にバスと電車を乗り継いで片道100分かかった。往復実に200分、3時間超である。(しかも座れる200分ではなく、すし詰め状態の200分、地下鉄では唯一の頼みの綱のスマホも途切れ途切れでニュースすらろくに読めない)たまに早く帰ったと思ったら駅発の終バス発車時刻が午後8時15分だった。これじゃ急いで帰っても間に合わない。結局タクシーに頼るようになり、何をかいわんや。お金と時間があまりにもったいなくて、1ヶ月でギブアップしてしまい、職場の近くに引っ越した。(ある日帰りの電車の中で、あまりの眠さにうっつらしたら両膝がカクンと落ちてとても恥ずかしかったが、周りの人は笑ってなかったので、逆にぞっとした)

日本での社会人経験は少ないが、一応5年以上は大阪と東京で普通のサラリーマンを経験した。だからその観点からしか話せないが、東京でのサラリーマン生活のストレスや推して図るべしである。

こちらによると、平均通勤時間のランキング上位は千葉、神奈川、埼玉、東京と上位5位までに首都圏がランクイン。東京でも88分なので、最低1時間半(往復)となる。

1年だと単純計算で360時間、実に年の二週間以上は通勤に費やすということになり、24年勤めると丸1年を通勤に費やすということになる。これは空恐ろしい。出産というのはあくまでも健全な夫婦生活があってのものだが、これでは夫婦間のセックスレスにも影響しているかも知れない。その上痴漢や痴漢に間違われるなどというリスクもあるので、とにかく疲れ方が半端じゃない、年を取ってくるともっとそうだろう。定年退職まで続けるなんて、正直言って敬服に値する。20代ならともかく、家に帰って子作りする余力や気力が失せると言われたら確かに頷いてしまうだろう。

サラリーマンというのは和製英語だが、実にうまく実情を説明している。この言葉はサラリーマンの形容詞としてよく用いられる「働き蜂」より「ミツバチ」のほうを連想させる。せっせと家族にサラリー(語源は塩)を運んでくる男性ということだ。同じ和製英語でも女性版サラリーマンのOL(英語版のウィキペディアには「昇進の可能性は滅多にない」と解説がつけられている 苦笑)にはこのニュアンスはない。

しかしこれはもちろん日本に限られたことではなく、団塊世代が熱狂したビートルズの名曲「Hard Day’s Night」にもそのような男性の心理描写があるように、万国共通で共感と同情を誘う。男性の遺伝子には「働く」ことや「戦う」ことが組み込まれているのだろう。
“You know I work all day to get you money to buy you things” と、犬(Dog)のように働き、丸太(Log)のように眠る。まさに大都会でのサラリーマンの生活を象徴していると言える。多くの人はお金のために時間を費やす。お金持ちは時間がお金を稼いでくれる。。。

*非正規雇用は少子化をもたらすか
ツイッターでの反論で少子化の原因は「非正規雇用が増えたから」というのがあった。反論というか、まだそこに至るまでだったのだが、ここでそれに触れてみよう。バブル経済崩壊以降、終身雇用が崩壊し、派遣や契約社員などの非正規雇用が増加した。正規社員に比べると雇用が安定せず、サラリーも低く、福利厚生なども適用されないなど不利な条件が多い。これを少子化につなげる根拠は、収入が安定しないということだろう。しかしこれからは正規社員であっても、安泰はないと考えるべきだろう。

しかし、ここで一つ疑問を提起したい。「非正規雇用は本当に結婚や出産を制限するのか?」という点である。
少し脱線して、「パートタイム起業」に関する優れたブログ投稿を引用してみたい。アメリカの某ベンチャー起業家の台詞である。

僕はHBOの番組「ボードウォークエンパイア」の大ファンだ。(アメリカに人気のドラマ。禁酒法時代のアトランティックシティを舞台にしている) その番組の中で有名なせりふに「パートタイムのギャングはありえない」というのがある。。。(中略)

ギャングと同じように、“パートタイムの起業家もありえない”。これはシンプルな真実だ。自身で起業したいと思うなら、全ての労力を注ぎ込む必要がある。自分の時間の半分だけを使って、会社を立ち上げる事は出来ない。

(出典:パートタイム起業はありえない イノーバブログ)

ここでも、分かるのが「起業」というのがなまはんかな努力や決意では成し遂げられないということである。
起業コンサルタントとして講演する際によく、自分の会社は「子供」のようなものだと説明することがあるが、そうして作られた会社の50%は潰れてしまう。だからといって、リスクばかりを考えていたらいつまでも先に進めない。起業するのに最後に必要なのは、独立に踏み込む勇気と決断力である。
これは結婚に似ていないか?「結婚」に本来求められる決意はそれはもちろん大変なものだった。(ちなみに全米の離婚率は50%以上、再婚の度に離婚率は高くなる)そしてその実情は今もまったく変わらないのである。簡単になったような気がするのは「幻想」であり、離婚に対する敷居が低くなったに過ぎない。

また結婚を文化的側面から考えると、日本社会がお見合い結婚から自由恋愛による結婚になった過程で、離婚率が上昇するのはいたしかたないように思える。(こちらに1947年と2010年を比較すると倍である)例えば我が家の祖母は兄弟・姉妹揃って大半がお見合い結婚だった。知る限り離婚したところはゼロである。
(奇しくもベビーブーマーの父と年上の母のもとに生まれた筆者の両親は離婚している)
特に日本でそうなのは、日本型村社会では「ピアプレッシャー」の影響が絶大だからだ。まさに恥の文化である。腰が重いことに着手する際には、誰かに背中をポンと押してもらいたくなる。昔は職場の上司や親族が、身内が適齢期になれば「お前もそろそろ」みたいなのがあったのだろう。(もちろん、離婚が進んだ背景には女性の自立というのもあるだろう。戦後「靴下(ストッキング)と女性は強くなった」といわれたことや、北海道での離婚率の高さの背景に女性の自立心が強いことが挙げられているということからも、離婚率の上昇はある意味女性の自立と社会的地位、経済力の向上でもあった)

非正規雇用だろうと、アルバイトだろうと、本当に当事者同士が結婚したければ、結婚するのではないだろうか。あるいは、結婚を前提にした人生設計を組もうとするはずだ。しかし、昨今の晩婚化と生涯未婚率上昇を見ると、根本のところでこの「結婚神話」が揺らいでいるとしか思えない。腰が重い本当の理由は、本当にそれが自分にとってプラスかどうか分からなくなったからだ。成功させる自信もない。周りに成功例もないし、小遣いや自分の自由な時間がなくなる、子供ができると身動きできなくなる云々リスクばかりが目についてしまう。こう考えると未婚率の上昇と日本に起業家が少ない(=サラリーマンが多い)ことにますます関連性があるように思える。自信もなければ、きっかけもない。震災婚が契機になったのもうなづける。
昔の日本には「甲斐性」という言葉があった。家族を養うのが立派だという価値観だ。「器」の大きさの例としてよく戦国武将や起業家などリーダーシップがもてはやされた。それらが一つのロールモデルを形成していったことを考えると、団塊ジュニア世代にはそれが弱くなっていたように思う。(同様に貞操観念という言葉も死語になり、「失楽園」以降、不倫も文化になってしまった。こちらについても後述)
また、社会も昔ほど従業員の家庭生活を尊重していないのではないか。独身のアルバイトやパートタイマー、契約や派遣社員を使い捨てにする風潮がないかを疑ってみたい。

*社蓄は負け組か?
仮に正規雇用だったとして、普通に結婚できたとする。それで幸福を感じられたのだろうか?
サラリーマンのことを社蓄と揶揄するような風潮は、高度経済成長期を通過していた日本では存在しなかった。サラリーマンではなく、「ジャパニーズ・ビジネスマン」とリゲインのCMも歌っていたが、キャッチコピーは「24時間戦えますか?」だ。サービス残業どころではなく、家庭もへったくれもない。一部の女性はうんざりしてたことだろう(笑)
世界に打ってでた、トヨタやホンダ、ソニー、任天堂、パナソニックなど大手メーカー、そして旧財閥系に代表される商社マンがまさに24/7のスピリットで世界の前線で大躍進して経済を躍進させた。サラリーマンこそが日本を引っ張っていたのだ。しかし、バブル以降、親方日の丸的、あるいは寄らば大樹の陰的な大企業志向の考え方は終身雇用の崩壊により滅びてしまう。そこに残ったのは実力主義である。
長年忠誠を尽くしてきた会社に使い捨てにされた、騙された、と感じた人は多かったろう。

ここで日本とアメリカで大きな違いがでてくる。同じ実力主義といっても、日本の場合は転職に適応するようなスキル重視の実力主義ではなく、いかに会社で生き残ることができるか、のスキルが重要だ。また東京にあまりにも仕事が集中しすぎている。ここに日本のホワイトカラーがもつ大きな課題がある。日本の雇用市場にはもっともっと柔軟性が必要ではないか。ビジネスライクな実力主義が蔓延するアメリカでは非正規雇用の割合もかなり多い。またパフォーマンスが悪いとすぐにクビになるし、組織的なリストラやレイオフも多い。

しかし日本の企業はよほどのことが無い限り社員をクビにすることはできないのが実情だ。ここに「社蓄」が登場する所以がある。そして社蓄は必ずしも雇用者側にとって都合がいいものであるとも限らない。

この社蓄という概念、私も企業への依存度が極端に高いのはよくないという点では、同調する。大企業に働いているからといって、嵩にきるような高慢な態度で偉そうな発言をする人も多くみてきた。成功者を妬み、「出る杭を打つ」側の典型に映るときがある。自身が多くのものを犠牲にしてストレスまみれの生活をしているからか、どうも独立している人やわが道を行く人に反発する傾向があるのではないか。未来の労働者像としてノマドを標榜するイケダハヤトさんや安藤美冬さんを巡るやり取りの中にも、そういうものが見えてうんざりすることもある。(一方ノマド論に対しても他の「大人」と同様言いたいことはあるが、それはまた別の機会に)

が、こと少子化に関する議論の中では、「社蓄」と揶揄されようとも、結婚して子供を養っているのであれば、それは勝者である。子供はお金では買えない。日本の少子化を立派に食い止めている。その点は評価されるべきではなかろうか。
思えば社蓄という陰惨な言葉の前にも、健気に頑張る父親を揶揄する表現はたくさんあった。「ダメオヤジ」というアニメを子供の時に見たときは笑ってたが、今では到底笑えないストーリーだ。せっかく家族のために身を粉にして働いてきた父親を蔑み、隅に追いやる。熟年離婚される。そんな話を聞いて育つ若い世代に結婚の何を期待せよというのだろう。

というわけで、次回はこの企業体質の周辺問題として、日本の経済活動を支えてきた「お父さん」の役割を巡る意識の変化について考えながら、次の犯人の検分を開始したいと思う。

独身に晩婚化、既婚者に少子化をもたらすものの本質は何なのか。それが第一次ベビーブームと第二次ベビーブームでどう違ったのか。逆にいうと、なぜ第一次ベビーブーマーの団塊世代はあれほど子供を産みたがったか。そこには「家庭」を巡る価値観の大きな変革があるというのが筆者の見解である。少し長くなってきたので、男女の性意識を巡る変革の背景にある「真犯人」を追及する前に、次なる容疑者として家庭価値観を崩壊させた「メディア」の功罪、とりわけテレビ番組について、番外的にやや「ゆるめに」解説してみたい。
(続く)

立入 勝義 (Katsuyoshi Tachiiri) 作家・コンサルタント・経営者 株式会社ウエスタンアベニュー代表 一般社団法人 日本大富豪連盟 代表理事 特定非営利活動法人 e場所 理事 日米二重生活。4女の父。在米歴20年以上。 主な著書に「ADHDでよかった」(新潮新書)、「Uber革命の真実」「ソーシャルメディア革命」(ともにDiscover21)など計六冊を上梓。

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