やしきたかじんに捧ぐ

たかじんnoばぁ~

やしきたかじん さま

今朝起きて最初のニュースがあなたの訃報でした。
それから通勤中の車の中で、ハンドルを握りながら頭のなかでずっとあなたの歌が流れてきて、口ずさんでいました。
もう長いこと海外に住む僕は、日本の芸能人や有名人が死んだからといって、悲しくはなれど涙を流すことは滅多にありません。
しかし今回は別でした。

生粋の大阪人の一人として、青春の一コマを彩ってくれた「お兄さん」のようなその存在が、大阪の街を、そして関西人を活性化するために叫んでくれたあなたのダミ声が、もう過去のものとなってしまったなんて信じ難いことです。闘病生活は大変だったのでしょう、したいこともできない生活はさぞや辛かったでしょう、でもただ惜しくてなりません。

高校生の頃、浪人生の頃に深夜番組の「たかじんnoばぁ~」を楽しみに見ていたことを思い出します。夜遅くまでアルバイトをしていて、帰って寝るまでにそれが唯一の楽しみという時期がありました。布団にくるまりながら、眠い目をこすって家族を起こさないように必死に笑い声をこらえながら見ていたことを覚えています。あんなに面白いトーク番組は後にも先にも無かったです。

あれは見始めの頃だったでしょうか、バーテンダー役のトミーズの雅と、その親友の赤井英和がゲストの回に僕の母校の住吉高校受験の話で二人が盛り上がったことがありました。確かその時には何もコメントしてなかったと思うのですが、後の回で実はたかじんさんも住高を受験して落ちてたことを暴露して「たかじん住高落ちてた」みたいなテロップが出たのは大爆笑でした。そして、元ボクサーの渡辺二郎や和泉修(だったと思う)、そして雅を前にして、自分の「裏拳」の武勇伝などをしてたのが何とも微笑ましかったです。あれからできるだけ欠かさず見るようにしたものです。

鈴虫の声をもったゴキブリ」という褒めてるんだか貶してるんだかよぉわからん、バカバカしさ満点のキャッチフレーズはまさに関西ならではですね。
でも歌は本当に素晴らしく、僕も下手くそながら「やっぱ好きやねん」と「東京」はよくカラオケで歌わせてもらっています。
男性なのに、「男にひたすら尽くす、あるいは騙され続ける女」の心を歌ったあなたの曲は、若い頃には正直あまり理解できてなかったと思いますが、40を前にした今では、それが徐々に肌で感じることができるようになってきました。同時に(自分のような)男の身勝手やバカバカしさも、痛いほど。

でも実は一番売れたのは劇場版ファーストガンダムの主題歌だった「砂の十字架」だったということは今でも関西圏外ではよく知られていないのではないでしょうか。そして、あまりそれを語られようとはしなかったのもたかじんさんらしいですよね。(ていうか、歌手とは知られてないことも結構あるとか言うてはりましたよね)

しぶしぶ承諾したはいいものの、同曲中に出てくる「ライリー、ライリー、ライリーリラ♪」の意味がどうしても分からず、情感が込められないからと作詞作曲の谷村新司のところに尋ねていったが、煙に巻かれた話とか、大笑いしました。

豪快に仕事をして、歯に衣着せぬトークを炸裂させて聴衆を爆笑の渦に巻き込み、よく呑み、よく遊び、全部のテレビ番組を見て、好きな人間と交遊し、関西圏に固執する。大阪に活力を与えてくれたという点では、稀有なロールモデルだったのでしょう。
あなたを知る全ての関西人は、悲しんでいるでしょう。なんだか胸にポッカリ穴が空いてしまったような気がしているのは、きっと僕だけじゃないはずです。

もう一度また元気な姿で、豪快にアホなことを言って欲しかったです。普段の声とはまったく違うあの甘い歌声をファンに聞かせて欲しかった。
そして、「あほんだら!」といって甘えたことをいう人や、自分勝手な人たち、立場のあるような人たちを叱り飛ばし続けてもらいたかったのです。闘う市井の代弁者として。

たかじん師匠、どうか安らかにお眠りください。

あなたの愛した大阪が泣いているのが聞こえてくるようです。。。「やっぱすきやねん」と皆言うてると思います。

慎んでご冥福をお祈り申し上げます。
合掌

立入 勝義 (Katsuyoshi Tachiiri) 作家・コンサルタント・経営者 株式会社ウエスタンアベニュー代表 一般社団法人 日本大富豪連盟 代表理事 特定非営利活動法人 e場所 理事 日米二重生活。4女の父。在米歴20年以上。 主な著書に「ADHDでよかった」(新潮新書)、「Uber革命の真実」「ソーシャルメディア革命」(ともにDiscover21)など計六冊を上梓。

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