Sponsors

ソーシャルメディア革命のきっかけともなった、日本でソーシャルメディアが立ち上がらない10(+2)の理由というエントリーに対して、下記のようなコメントを頂いた。
最近は執筆に追われることが多くなり、まともに意見を述べるエントリーも少なくなっていたこともあるので、少し踏み込んで回答をさせて頂くことにした。
たまには感情的なエントリーもいいのかも知れない。

まずコメントの内容は下記。投稿主は佐々木裕一さんとある。

だいぶ前のエントリーに対するコメントで恐縮ですが、7にある次の部分があまりに異様だったもので、若干コメントします。
<本来は英語教育を(一時的に)捨ててでも言語としての親和性の高い韓国語や中国語を学ぶことで、もう少し国際感覚を身につければ隣国のニュースなどに興味をもつようなケースもでてくると思うし文化交流も深まるはずだが、人権の問題とも影響して日本人は隣国のアジア人に対する持ち前の人種差別意識を乗り越えようとはしていない。>
。。。<隣国のアジア人に対する持ち前の人種差別意識>?。。。文脈からして、<隣国>とは、中国と韓国のことを指すと思われますが、中国が、歴史をねつ造し反日教育をしていること、韓国も同様であること、それをご存じなんでしょうか?また、文化交流どころか、今、日本が、中国にあらゆる面で侵略されつつあることをご存じなんでしょうか?また、<人種差別意識>という表現も異様です。まず、日本人が、かれらを差別しているとしたら、それは、人種差別ではなく、<民族差別>というべきでしょうし、憎しみを植えつけられて<差別>しているのは、中国、韓国のほうです。また、<南京大虐殺>等をはじめとして、反日プロパガンダを彼らは行っています。欧米におけるそれは凄まじいものです。日本は、今、中国、韓国、そしてロシアによって、浸食されつつあります。日本は、軍事力を行使できない憲法をもっており、アメリカの力が弱まる中、力の<空白地帯>になっているのです。
以上について、どのようにお考えでしょうか?

まず、ご指摘の通り、「隣国」というのは極東諸国である中国、韓国、台湾のことを指し、北朝鮮や(国とするかどうかはさておき)香港も含まれる。(ちなみに、文脈からしなくても隣国のアジア人といったら、これくらいしかないと思うのだが、それは揚げ足取りになるからおいておく)

まず一問一答

Q. 中国が、歴史をねつ造し反日教育をしていること、韓国も同様であること、それをご存じなんでしょうか?
A. 「捏造」の定義にもよりますが、言わんとされる文脈を汲みとると、知ってます、が私の答えです。しかもそれなりに詳しく知ってます。(高校生の頃から世界史オタクと言われるくらい細かく勉強して、山川の教科書が書き込みだらけで耳なし芳一みたいになってたのは私の同級生ならみんな知ってると思います)

Q. また、文化交流どころか、今、日本が、中国にあらゆる面で侵略されつつあることをご存じなんでしょうか?
A. 「侵略」の定義にもよりますが、知ってます、が私の回答です。ただ「あらゆる面で」とは思いません。
ちなみに、2000年からPCハードウェア関連のバイヤーとして、中国や台湾の方たちとの取引を多くしまして、多い時には1年に7回中国出張してました。中国語もその時学びました。主に工場を視察してまして、マイクロソフトやロジテックといった大手メーカーのマウスやキーボードを製造している工場を視察したり取引をしたこともあります。
中国の進出を許していない業界というのも数は少ないですが存在します。そして、世界一の人口を誇る中国に侵されているのは日本だけじゃなく、世界各地で起きている現象ですのをご存知だと思います。

Q. また、<人種差別意識>という表現も異様です。まず、日本人が、かれらを差別しているとしたら、それは、人種差別ではなく、<民族差別>というべきでしょうし、憎しみを植えつけられて<差別>しているのは、中国、韓国のほうです。
A. これは質問じゃないと思うのですが、人種差別ではなく民族差別だ、というのであれば、それは言葉のあやという問題なので、どちらでもいいと思います。

ちなみに人種差別撤廃条約では下記のように定義されているようです。

人種差別の定義を「人種、皮膚の色、世系又は民族的若しくは種族的出身に基づくあらゆる区別、排除、制限又は優先であって、政治的、経済的、社会的、文化的その他のあらゆる公的生活の分野における平等の立場での人権及び基本的自由を認識し、享有し又は行使することを妨げ又は害する目的又は効果を有するもの」と定めている。(ウィキペディア

表現が異様というのはご自身がお考えになる点であり、私は異様だとは思いません。

そして、次の
憎しみを植えつけられて<差別>しているのは、中国、韓国のほうです。
という点についてですが、それはそうかも知れないし、そうじゃないかも知れません。そういう人がいるかも知れませんし、そうじゃない人も多くいると思います。これは日本でも同じことです。

ただ、問題は
それと、私の発言と何の関係があるのか
ということです。相手がこちらを差別しているから、こちらも差別するんですか?それとも、だからこそ「協調と対話」の道を模索するために、歩み寄りを図るんでしょうか。差別を続けたからといって、ご指摘の「中国の侵略」が止まるんでしょうか、それとも日本はそのまま乗っ取られるんでしょうか?

Q. また、<南京大虐殺>等をはじめとして、反日プロパガンダを彼らは行っています。欧米におけるそれは凄まじいものです。日本は、今、中国、韓国、そしてロシアによって、浸食されつつあります。日本は、軍事力を行使できない憲法をもっており、アメリカの力が弱まる中、力の<空白地帯>になっているのです。
A. 反日プロパガンダが存在するのはもちろん知っています。欧米におけるそれが凄まじいものかどうかは知りませんが、少なくとも私が19歳の時に渡米して以来、アメリカの地でそれらしきものに出くわしたのは、「Rape of Nanking」が出版された時くらいです。(私の勉強不足かも知れませんが、一応英語でメディアチェックしてます)

>日本は、今、中国、韓国、そしてロシアによって、浸食されつつあります。
アメリカやイギリスの影響はないんでしょうか?「侵食」の定義がよく分かりません、イデオロギー的な話をされているのであれば、明治維新以降、とっくに日本人は日本人の魂を失ってしまっているという指摘をしている識者の方はたくさんいると思いますし、それは中・韓・露以前の問題だと思います。

Q. 日本は、軍事力を行使できない憲法をもっており、アメリカの力が弱まる中、力の<空白地帯>になっているのです。
A. 懇切丁寧にご説明頂き、有り難いのですが、一応私も憲法第9条については理解していますし、日本の国民はみなそれについて学校で学んでいるはずです。
ただ、
>アメリカの力が弱まる中、力の<空白地帯>になっているのです
これは、かなり主観的な意見だと思います。言わんとされることは理解できますが、軍事力と経済力の話、そして、文化の話を一緒くたにするのは詭弁というものです。もちろん影響があるのは分かりますが、そんなことは誰でも分かることなので、もう少し理路整然とした説明をしないと反論にならないと思います。

そもそも、私は今回のコメントの趣旨が理解できませんでした。私が指摘した内容は、「相互理解のために隣国の言葉を学ぶのも重要」だということと、「英語は難しいから、韓国語や中国語を先に学んでバイリンガルとしての感覚を養うのが重要」だという点でした。むしろ、指摘された内容を通じて、私は持節の正当性を強めるにいたりました。

孫子は言いました、「敵を知り、己を知れば百戦危うからず(第三篇 謀攻)」、と。
佐々木さんが指摘される内容は、これの裏返しに過ぎません。

ここで、みなさんに問うてみたいのです。

意力からの質問
あなたの周りで、日本語を話す中国系や韓国系の方々をこれまで何人くらい見ましたか?

次に
では、あなたの周りで中国語や韓国語を駆使してネイティブと対等にコミュニケーションをとっている日本人をこれまで何人くらい見ましたか?

そして最後に
では、あなたの周りで、英語を駆使して世界と対等に渡り合うコミュニケーションをとっている日本人の名前を何人挙げられますか?

私が本やブログの中で訴えている「開国論」の趣旨は上記を考えてもらえれば一目瞭然です。結果はみなさんが毎日新聞で目にしている通りです。
原因があるから結果があるのです。

そして、私は日本のために、これを書いています。右翼とか左翼とかいうつもりはありませんが、海外在住の日本人は逆に愛国心を強めることがよく知られています。私は祖国である日本を愛していますし、日本人は世界でも最も優秀な民族の一つだという自負をもっています。しかし、それを単に主張するだけというのはただのエゴというものです。世界はそんなの相手にしません。

「顔が見えない日本人」、「出る杭は打たれるという文化をもつ日本人」 いずれも的を射た批判だと感じています。
大事なのは、日本人はいったいこれを改めるつもりがあるのか?ということです。 
世界でこれだけ有名な経営者がでてくる中で、日本の経営者の何人が知られているんでしょうか?総理大臣の名前を何人のアメリカ人が覚えているでしょう?私が思うに、一般的なアメリカ人は日本の首相の名前なんて一人も言えないと思います。「世界二位の経済大国」というキャッチコピーを何十年も謳歌してきた日本は、世界的なブランドをいくつも育ててきた割には、「個人」を売りこめなかった。チームプレイに徹してきた日本は球団としての地位を高めたけれども、スター選手や監督の名前はそれほど育てることができなかった。もちろんそれが悪いなんて言ってません。私が一貫して主張してきてるのは「開国論」であり、それは単に外国勢の進出を許すだけじゃなく、対等に世界とわたり合っていく方策を練ることです。政府自体がまともな外交をできていない状況で、それを国策に頼るのは大きな間違いです。(だいたい毎年首相が変わる国でまともな外交政策なんて練れるわけないでしょう)
国民一人ひとりの意識変革がそれをもたらします。だから、今フェイスブックがもたらした「実名制の壁」論争が非常に重要だと思い、それに対する意識を喚起しているのです。(私自身は自分の見てくれがいいと思ってるから顔出ししてるわけでもなく、まったく正反対です。本当は人前で話すのすら抵抗が大きいのですが、それを自身に対するチャレンジだと捉えています)

もう一つ言っておくと、日本は「世界平和」に対してもっと真摯に取り組むべきです。自分たちの生活が豊かで平和だからといって、そうじゃない他人に対する意識をもたないでいると、いつか大きなしっぺ返しを喰らいます。戦後の焼け野原で生活した私たちの親戚や、水呑百姓として暮らしてきた我々の先祖を思い出す時、感謝の念が湧いてきます。ペイ・フォワードという言葉がありますが、今を生きる私たちはそれを未来の子孫に託すという重要なミッションがあります。
やれ、政治が不安定だ、不況だということで、それをおろそかにしていると大きなツケを払うことになります。「ゆとり教育」という大失敗のために、何百万人という子弟に影響がでましたし、ひいては国際競争力の低下につなげてしまいました。しかし、それを国のせいにして終わるのはお粗末というものです。何故なら教育の根本は家庭にあるからです。私たちは子供たちに「世界平和」についての教育を施せているでしょうか?コンゴでは600万人というような規模での虐殺が続いています。それを「対岸の火事」だからといって放置していると、逆の立場に陥るかも知れません。(受験国語で頻出した、「権利の上に眠る者」という丸山眞男氏の言葉が今でも耳について離れません)

今インターネットがもたらしているソーシャルメディアの革命の意義は、ちっぽけなものではなく、新しいグローバル規模での「基本的人権の尊重」についての意識です。世界は間違いなく、そちらの方向に向かっています。

私は幸せを維持するために、重要な要素がいくつかあると思っています。一つは、それに感謝すること。そして、もう一つはそれをシェアすること。
シェアすることの発展形は、「自分の幸せを削る」ことだと思っています。どういうことかというと、幸せじゃない人のことを考えて、祈ったり、手助けをしてあげたりすることです。私は過去2年間ほど、ビジネスでとんでもない苦労をしてきまして、周囲の方の多大なサポートにより、立ち直ろうという段階にあります。
「他人の情けが身に染みる」という言葉がありますが、この意味を本当に理解することができるようになったのは、つい最近のことです。経済的なことですらそうなのですから、生命の危険に脅かされている人たちが抱えている悩みや困難というのは想像を絶するものがあります。コンゴでは、システム的なレイプが繰り返され、見せしめのために親が子供をレイプさせらりたり、女の子たちは穴の中に閉じ込められ、性的な苦役を日常的に強いられるわけです。男性はみな鉱山で採掘の強制労働をさせられます。「強制労働」と「慰安婦」、どこかで聞いた話じゃないですか?
今日本が、本当に意味で彼らと「つながり」をもつことができれば、それは本当に感謝されると思いますし、きっと、それはまた日本に返ってきます。

私は日本の歴史についても学びました。そして、隣国との様々な問題があるのも理解しています。捏造という問題もありますし、一方的にどちらかの肩をもつというのも難しいことがあるのはよく分かっています。しかし、数百時間を費やした世界史の勉強の中で私が学んだことはたった一つです。

それは
「人類は同じ過ちを繰り返してはいけない」
ということです。その為以外に歴史を学ぶというのは歴史や先人、犠牲者達を冒涜する行為だと考えています。
選挙権について軽んじる若者がいたら、私はいつも古代ギリシアの話をします。なぜアテネでは男性にしか参政権が無かったのか、それは女性を蔑視していたからではなく、男性だけが従軍したからです。つまり投票権は命がけで得るものだったのです。一票はまさに人の生命の重さだったのです。

平和な世界を望まないものがいるとしたら、私は徹底的に戦おうと思います。「必要悪」という概念を主張する人がいますが、それにも合意できません。
クラスのみんなが楽しい人生を過ごせるように、誰か一人がいじめられっ子の役割を果たさないといけない、
そういうことですよ?
私は7歳の頃両親が離婚したことがきっかけで、母の郷里であった大阪市の生野区というとんでもなくバイオレントな地域の、しかもその中でも最もガラが悪いので評判の中学校に通いました。東野圭吾さんが「あの頃ぼくらはアホでした」で語っている中学校の隣のその学校は、(少なくとも私の世代近辺では)彼の学校よりも悪いくらいでした。彼が本の中で語った内容は、全て私にとっての現実です。
例えば、体育のサッカーの授業で負けると、運動神経の悪い太った男の子たち、優等生たちが教室の後ろに並べられて、謝罪させられ、ぶん殴られます。
先輩がでてきて、後輩の中でも番長クラスの連中を呼び出しては、机や椅子を投げてボコボコにして、忠誠を誓わせます。

そんな環境で育つと、子供たちは強くなると同時に「平和」や「秩序」を求めるようになるのです。私たちの中学校では「弱肉強食」がルールでした。弱さイコール存在感の無さであり、発言権の無さです。「必要悪」を主張するなら、一度そういう環境に身を置いてみてください。あるいは自分の子供がその中で「いじめられっ子の役割」を演じるとしたら、どう思いますか?

もっというと、この生野区という町は在日韓国人が日本一多い町です。実に区の人口の25%以上が在日の方たちです。だから、「隣国」というのは私に取っては現実以外の何者でもありません。さらにいうと、上記で同級生をボコボコにしていた大半は在日の同級生でした。そんな体験をした私が「隣国」の文化を理解しようと言ってるのは、まともに文化を理解していない知識人がいうのと訳が違うと思ってください。それでも私は大学時代に韓国語を勉強したことで、理解を文化し、彼らの中の良い部分、言動の原因のような部分についても理解を深めることができました。(もちろん暴力はよくないことです) 私は彼らについての「違い」を理解できているつもりですが、「差別」するつもりは毛頭ありません。差別をしたらされるんです。(同じく地元の大先輩の梁石日先生の作品でも読んでください) Playing for Changeが世界を音楽でつなぐという時、そこには人種や民族の間の線引きなんてないんです。あったら、それは騙しです。

では、中国はどうでしょうか? 
そんな中学校に通っていた立入少年は中学三年生の時に隣の旭区の区役所で行われた「731部隊展」に行って、人生が変わる程の衝撃を受けました。
実はその前年、やはり同じ場所で行われた「アウシュヴィッツ展」に行って、人生が変わる体験をした彼は、「悪魔の飽食(森村誠一)」などの話をしっていながらも、半ば責任感として731部隊展にいきました。自分の先祖たちがどういうことをしたのかを知っておこうと思ったからです。(ちなみに彼の父方の祖父は太平洋戦争に従軍しており、母方の祖父は醤油を本当に飲んで兵役を忌避していました。彼は父方の祖父とは面識がないですが、母方の祖父は大好きでした)

捏造については、浪人時代に通っていた河合塾の(「世界史講義の実況中継」で知られる)青木裕司先生についても授業で聞きました。(彼は私の知る限り日本一の歴史の先生だ)例えば日本兵らしき兵隊が刀をもっている写真で、握り方がおかしいとか、生首の写真が、実は同じ中国の馬賊によって殺された人たちのものだった、とか云々。
しかし、そんなことのずっと前に私は731部隊展で、実際に731部隊展、あるいはその周辺で活動していた元兵隊さん(もちろん日本人)の涙ながらの証言に心を打たれたのを生涯忘れられないのです。

例えばこういうものです。
「ある日、部隊がとある村を通りがかったら、民家から女性がでてきて、泣いて頼みごとをしてくる。それはどういうことかといえば、頼むから旦那の死体を下ろさせてくれ、というものだった。部屋の中に入ったら、旦那の首吊り死体が居間の真ん中にかかっており、とんでもなく腐乱していた。そして、そこには張り紙があり、「無断で下ろしたら一族郎党皆殺しにする」というものだった。」
こんな話を涙ながらにした、この元兵隊さんは何度も繰り返しました。「私だって、こんな話をしたくないんです。できたら黙ってそのまま棺桶まで持っていきたいんです。だけど、歴史を繰り返さないために恥をしのんで、こうやって話して回ってるんです」、と。
彼は罪滅ぼしのために日本中をそうやって講演して回っていたのです。

人類は歴史を通じて、数多くの戦争を繰り返してきました。私に取って、その瞬間から、戦争というのはただの言葉じゃなくなりました。犠牲者の一人ひとりの背後には家族や愛する者がいたわけです。また、戦争という極限の状態の中では、どうしようもないことだって起こりえます。

私は最近四人の娘たちが大きくなるにつれて、自問自答することがあります。

「もしも家族を守るために、誰かを殺さなければいけないとしたら、どうするか?」
もちろん、極限の状態の話です。
そして、答えは残念ながら、きっと命がけでも守ろうとするだろう、ということです。
後は、ひたすらそういう状況が眼の前で起こらないように、祈って、あらゆる手段を使って回避するしかありません。
そういうことを考えながら、コンゴやアフリカ、中東について思いを馳せると、重みが全然変わってきます。彼らに取っては眼の前にある現実がそうなのですから。

フラット化した世界、世界はつながっている、本当にそうなんでしょうか?インフラや貨幣が流通するのではなく、人間としての根本的な部分、つまり「気持ち」が通じなければそんなもの意味ありません。

だから私たちは本気で「世界平和」や「人権」といった概念について取り組まなければなりません。それは宗教的な理念でも、偏った理念でもないのです。
それは人類としての責任だからです。もちろん環境についても同じことです。環境問題はその字のごとく、本気で解決しようと思えば国境を超えた合意が成されなければならない分野だからです。自分だけがよいという考えでは先に進みません。
こういうビッグワードには対応できないが、「コミュニケーション」や「フレンド」、「リレーションシップ」なら対応できるというのなら、それでいいでしょう、「いいね!」や「ツイート」でしかそれを理解できないなら、そこから始めましょう。(でも他の国々では子どもですら人権について学んでいることを忘れないでください。何でもカタカナにしたらいいってもんじゃありません)

日本人が国際競争力を失った、ということを話す人は多いです。しかし、「日本人は世界平和に対して意識をもっていない」と日本人に語りかけてくれる人はそういません。海外の人はそれほど日本に対する理解ができていないし、分かっている人は言ってもあまり意味がないと思っているかも知れません。
愛とか平和とかを語るのは宗教だけだと思っているとしたら、それこそ大きな偏見です。(日本人の宗教嫌いについては、またチャンスがあれば触れたいと思いますが、世界第一の経済大国であるアメリカの建国背景と理念が純粋に宗教的なものであることを忘れないでください)

ネットで、匿名をいい事にいろんなことを言う人がいます。もちろん言論の自由は保障された人権ですので、それはいいことです。
しかし、肝心の部分から目を背けて知ったかぶりをする癖をつけてはいけません。日本が世界から取り残されつつあるのは、日本が世界のことを気にかけていないからです。これまで内需があるのをいいことに、自分たちのことばかり考えてきたからです。(もちろん、全員ではありません)
一方、近隣諸国は日本のことを羨ましく思いつつも、自分たちの生き残りの道を世界戦略に託しました。台湾や韓国が成功したのは徹底的に努力したからです。どれだけの台湾人や韓国人が日本語を流暢に話すでしょうか、ものすごい数です。アフリカ人に中国に対するイメージを聞いてみてください。驚くほどポジティブなコメントをする人が多いのです。彼らは「中国がアフリカを侵略している」と取っているでしょうか?それとも、何世紀にも渡ってさんざん略奪され続けてきたアフリカ大陸の救世主だと捉えているでしょうか。JICAやODAを通じて、献身的な努力をしてきた日本との違いは何だったのでしょうか?(私はエチオピアにいた時にJICAの方々の献身的な苦労や天然痘の撲滅に協力したPEACE CORPSのボランティアの話を聞いて、感動しました)

日本はアジアにとって、ヒーローでした。あんなちっぽけな島国なのに戦争をしては中国やロシア、アメリカという世界の大国に勝負を挑み、時には勝利を収めました。そして、世界で唯一原爆を、しかも二度も落とされ、焼け野原のボコボコの状況に成りながら、世界第二位の経済大国に上り詰めるという飛んでもないウルトラCをやってのけたのです。これは本当にすごいことであり、私たちの世代の多くはこれに一切貢献していません。
疎開や闇市といった、昔の話を母がよくしてくれました。戦後ロシアから還ってきた人々は、ほぼ例外なく、口を閉ざしたままです。想像を絶する経験をしてきたからです。もしかしたらアメリカのベトナム・シンドロームなんて比べ物にならない体験をしてきたのでしょう。

フェイスブックだ、ツイッターだ、と騒げる日本はどれだけ平和な国なのでしょう。もう一度よく考えてみてください。

日本は、世界一かも知れない、そのネットインフラにのっかったソーシャルメディアを通じて、これから何を世界に発信していきたいんでしょうか?

世界でも賞賛される民族性をもった日本人、平和憲法をもった日本人だからこそ起こせる「革命」があるのだと私は信じています。
しかし、それは外的な方向に向かうのではなく、各自の内面に向けられていくべきだと思います。その変革が日本の未来を支える日本人の心に起こらない限り、きっと数十年後の国際社会で日本の立場はないことでしょう。しかし、それでも私は日本を愛し、誇りに思うことでしょう。
だけど、そうじゃない日本の未来を信じて、私はメッセージの発信を続けます。それが「インフルエンサー」だと思っています。

私のブログの読者のみなさんに敬意を表して、そしてこの発言の場を与えてくださったことに感謝しつつ。

立入勝義 拝

Share on Facebook
[`tweetmeme` not found]
Post to Google Buzz
Bookmark this on Hatena Bookmark
Hatena Bookmark - コメントに対する返信 近隣諸国を巡る問題について 日本にとってのソーシャルメディア革命とは何か
Share on LinkedIn
Bookmark this on Yahoo Bookmark
Bookmark this on Livedoor Clip
Share on reddit
Share on FriendFeed
Newsing it!