第2章 カギを握るゲームとIT業界 – 電子ブック開国論 (27)

かつて大手CPUメーカー「インテル」の創業者であるゴードン・ムーア博士によって提唱された「ムーアの法則」で知られるCPUの急速成長によって支えられてきたIT業界とゲーム業界は密接な関わりがある。そして、ここに常に時代の先端を走る産業が大きく関わってくるが、それがアダルト産業である。インターネットというインフラを通じてこれら3つの業界はすでに熾烈な競争を続けてきて、昨日までの敗者が今日の勝者になるというような、まさに日進月歩の世界で揉まれてきた彼らはこの時代のビジネスを生きていくのに最も必要な要素の一つに「スピード」があることを決して疑わないだろう。つまり、裏を返すとこれらの産業の(そう遠くもない)過去と出方を伺えばこれから電子出版市場で起きてくるであろう事象も予測することができる可能性が大きいということだ。

ここで少し話はそれるが、筆者の分析についての見地を説明する上で、私が日本で初めて経験した社会人体験について少し触れさせていただく。筆者はアメリカの大学を卒業してからしばらくニューヨークでOPT (Optional Practical Training – 職業訓練) の期間を経て2000年の春に日本に帰国したのだが、郷里の大阪には筆者がそれまでに培った唯一のスキルといってもいい英語力を活かせる職場というのがあまり多くなかった。その後登録した人材バンクを経て記念すべき日本で(アルバイト以外での)最初の就職先となったのが、サードウェーブという秋葉系の自作PC用パーツショップを運営する会社だった。大阪は19歳まで筆者が生まれ育った土地であり、土地勘などの勝手はもちろんあったが社会人というのはこうも勝手が異なるものかと混乱することしきりだった。特にいわゆる帰国子女として日本に戻った際には就職活動中に、それが余計な偏見や本当ではない印象を与えているという実感があったが、もちろん私自身もアメリカの合理主義は自由な考え方に大きく影響を受けていたので、久しぶりに経験する日本の保守的な環境に自身を適応させることの難しさを感じながら生活を続けていた。

しかしこの最初の職場で本当に多くのものを得ることができたし、後に米国に帰ってくることができるようになったのもここの職場でできた人間関係によるものであるので、当時若い筆者を世話してくださった先輩や上司の皆さんには頭が上がらない。当時はまだインターネットもフレッツISDNが普及し始めていたところで、秋葉系という言葉も今ほどは認知されていなかった。しかしながら、この時代にはすでにビットバレーに代表される後の日本のIT系を支えるような人材が確実に育ちつつあったのである。この職場では購買職として貿易の仕事を学んだ後に、職場が閉鎖されて以後それぞれ新品と中古品を扱う別の店舗に移籍となり、それぞれの現場でかなりハードコアなメンバーに囲まれて研鑽の日々であった。この時に筆者の現在の知識を支える下地ができていたということはいうまでもないが、それ以外にもこの時にはすでに増殖中であった技術志向でよく言えば実力主義、悪く言えば「弱肉強食」的な論理がまかりとおる秋葉系の人たちについて学び接し方を覚えたというのが大きな収穫だった。その後転職したのは日本でも最大手にあたるPC周辺機器およびアクセサリーメーカーであるエレコムであったが、入社するまでにはすっかり周囲の目には自身がその「秋葉系」のカテゴリに属していたようだ。

話を元に戻そう。ムーアの法則は主にCPUのチップ性能についての理論であるが、コンピュータのスペックを作用する重要なチップの一つにグラフィックカード(あるいはビデオカードとも呼ばれる)のスペックがある。一般的にコンピュータ用語で「重要品」と呼ばれるのはCPU、マザーボード(基盤)、HDD(ハードディスク)といった代表的なパーツである。最近でこそ主流は省電力のCPUがもてはやされるようになってきたが、筆者が製造業に従事していた時はCPUではインテルとAMD、グラフィックカードではnVidiaとATIが熾烈なスペック向上合戦を繰り広げている時期だった。(もちろんこれは今でも続いている)

しかし消費者も徐々に事情が分かってくるようになり、新規にPC(マックでは自作が一般的ではないのでここではPCとするのが妥当だろう)を購入する際にはできるだけオーバースペックにならないように配慮するようになってきた。そうなるとメーカー側はできるだけ、スペックが過度ではないということを証明できる材料を準備するようになり、その売り込みに最適だったのがゲーム産業だった訳である。日本ではゲームというとコンソールと呼ばれる家庭用ゲーム機が主流であり、現在ではWiiやPS3、XBOX360がそれにあたるのは皆さんもご存知のとおりだ。これが欧米になるとPCゲームの比重が高くなり、特にアメリカにおいては実際に日常で起きている戦争についてのネガティブなイメージが少ないのか、それを支援するために敢えて支援的なムードを醸し出しているのか知れないが、FPS(FirstPersonShooter)という一人称視点型のシューティングゲームが盛んである。(かつてはカウンターストライクというのがその代表的な作品であったし、今ではコール・オブ・デューティやバトルフィールドなどが人気)

また部品のスペックが向上するとそこには必ず熱問題が発生するので冷却産業も大きな市場へと成長した。(筆者が後にアメリカに戻ることになった時も英語のKAMIKAZEと社名をもじってネーミングされた鎌風(カマカゼ)という独自のCPUクーラーを売り込むのがミッションだった。この時にいたサイズという会社は今では秋葉原系自作パーツメーカーの最大手の一つである)CPUにはソケットと呼ばれる独自のインターフェースがあり、ブランドによっても同ブランドのCPU世代間によってもこれが異なるため、常に研究開発を余儀なくされる。したがって製品寿命も非常に短い。アメリカで販売しようと思って下準備をしていたら、船便の貨物が到着する前に次のCPUがでて製品が陳腐化してしまったというような笑えない話が日常茶飯時の世界である。このただでさえ競争が激しい世界で、PCのスペックを恒常的にアップする必要があるためにパーツ業界から篤い支持を受けているのがこのFPSとMMORPG (Multi-Massive Online Role Playing Game)に代表されるオンラインゲームであった。 (続く)

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立入 勝義 (Katsuyoshi Tachiiri) 作家・コンサルタント・経営者 株式会社ウエスタンアベニュー代表 一般社団法人 日本大富豪連盟 代表理事 特定非営利活動法人 e場所 理事 日米二重生活。4女の父。在米歴20年以上。 主な著書に「ADHDでよかった」(新潮新書)、「Uber革命の真実」「ソーシャルメディア革命」(ともにDiscover21)など計六冊を上梓。

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