親友をもつ喜び – 縞馬たちへの伝言11

(この連載はティーンエージャーを対象に書かれているため、他のエントリーとは文章表現が異なります)

とある読者から文章があまりにも平易すぎるというコメントを頂いた。ちなみにTeen Ager(ティーンエージャー)という言葉は英語圏では13歳~19歳までを言う。これに対して日本ではティーンというより10代という事が多い。13歳からをティーンと呼ぶ理由は13歳からThirteenという風に”teen”という文字がつくからで、12歳まではこうじゃない。日本では10代というと10~12歳も入るので、できるだけ易しいコトバを使っていたつもりだったけども、やりすぎはよくないので今後は少し注意していきたいと思う。こういう風にコメントというのは聞く側に直接影響(えいきょう)を与える手段なので何か言いたいことがあったら、君たちにもどんどん発言して欲しい。歴史はいつも若者の力で動いてきた。

さて、今日は親友をもつ喜びについて話したいと思う。君たちの中には友達が多い人も少ない人もいるだろう。でも、僕はただの友達じゃなくて親友が何人いるかによって人生が大きく変ると思う。例えば僕は今年36歳になるけれども、一番古くからつきあっていて今も親交がある友人とは10歳の頃からのつきあいだ。だからもう25年もお互いを知っている仲ということになる。これ以外にも中学、高校、大学時代からそれぞれつきあっている仲のいい友達がいて、僕の人生にとってかけがえのない存在になっている。

長くつきあえる親友を持つことは本当にいいことだ。気兼ねなんかする必要はまったくないし、お互いの人生で浮き沈みがあってもそれに影響されることなく常にお互いを支え合い、励まし合って生きていける。だからうわべじゃなくて、深いつきあいのできる友達をたくさんもつことだ。今は周りに友達がたくさんいても、時間が経ったり、学校が変わったりするとどんどん減っていくのだから、数じゃなくて質が大事だ、と僕はいいたい。たとえば十年ぶりに連絡がついたとしても、またすぐに昔みたいに仲良くつきあえる。そういうのが本当の友達だ。

本当の友達っていうのは自分にとってかけがえのない記憶を残してくれる友達でもある。例を挙げよう。
僕が中学校の頃だ。小学校の時からつきあっていた親友がいた、仮にT君としよう。ある日彼が運動場で少し粗暴な僕のクラスメイトと喧嘩しそうになっていた。僕は急いで走っていって、そいつの顔面をいきなりぶん殴った。でも一発殴って、相手の顔をみたら急にかわいそうになってきて、そこから何もできなくなってしまった。でももちろんいきなり殴られた方は怒ってるから、その後返り討ちをくらってボコボコにされた。下に押し倒されて今度はこちらの顔を蹴らている時に、もう一人の僕の親友(K君としよう)が、僕のことをかばいに助けにきてくれた。K君はとてもおとなしいやつなんだけど、その時僕は彼のことをとても頼もしく思った。僕はこの時のことを一生忘れないと思うし、もちろんK君とも深くつながっていると自分は思っている。20年以上前の話だ。そんな風に、親友っていうのは、君たちの人生の中でとても輝く瞬間を与えてくれる存在だ。だから、大事にしてやって欲しい。

伝言10 11 12

オマケ
孔子という中国の古代の思想家は友達についてこんな風に述べている。参考までに載せてみる。続きを読みたい方は

『原文』
孔子曰、益者三友、友直、友諒、友多聞、益矣、友便辟、友善柔、友便佞、損矣。

『書き下し文』
孔子曰わく、益者(えきしゃ)三友。直きを友とし、諒(まこと)を友とし、多聞を友とするは、益なり。便辟(べんへき)を友とし、善柔を友とし、便佞(べんねい)を友とするは損なり。

『現代語訳』
孔子曰く、「有益な友達が三種、有害な友達が三種。正直な人を友達にし、誠心の人を友達にし、物知りを友達にするのは有益だ。体裁ぶったのを友達にし、うわべだけのへつらい者を友達にし、口達者なのを友達にするのは、害だ。」

立入 勝義 (Katsuyoshi Tachiiri) 作家・コンサルタント・経営者 株式会社ウエスタンアベニュー代表 一般社団法人 日本大富豪連盟 代表理事 特定非営利活動法人 e場所 理事 日米二重生活。4女の父。在米歴20年以上。 主な著書に「ADHDでよかった」(新潮新書)、「Uber革命の真実」「ソーシャルメディア革命」(ともにDiscover21)など計六冊を上梓。

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