環境会議 2011年秋号に寄稿しました ~匿名社会の時代からデジタル村社会の時代へ

環境会議2011年秋号

環境会議2011年秋号

匿名社会の時代からデジタル村社会の時代へ という題で寄稿をしました。

先日来ブログやツイッター上で話しているように、サイバースペース上の環境問題という視点を専門的に扱っていきたいと考えるきっかけとなった寄稿でした。日本的には環境社会学(検定まであるんですね 笑)という分類になりそうなので、日本での思想的潮流も理解しておきたいとは考えていますが、特にソーシャルメディアに関してはアメリカの方が議論が進んでいるので、主にそちらから情報を取って私なりに分析していきたいと考えています。現在ウィキペディアをテーマにしたものが一冊、そして「資本主義とTOKYO文化」をテーマにしたものが一冊執筆予定。(後者は版元が決まってませんので、ご興味のある出版社の方はぜひご連絡を)

環境学を考える時の主要テーマは「持続可能な発展」と「多様性」であり、これはサイバースペースでもソーシャルメディアの世界でも変わりはありません。先日読み終わった稲葉振一郎氏の「経済学という教養」で結論の一つに挙げられている「知的分業」はウィキペディアに直結する内容です。そして、全体的な教養の底上げをするにあたり各自が専門分野を持つこと、という意見には全く同感。
ここからさらに現代の日本が抱えている「TOKYO文化」の内情と課題についても深く突っ込んでいきたいと思っています。
各自が専門分野を持つ必要性についての最大の理由を稲葉氏は「他人の「専門知識」に対する尊敬の念を持てるようになること」と指摘しています。ここに秋葉系と草食系の決定的な違いを見るのは私だけでしょうか?

(奇しくも世界で一番最初にインターネットがつながった大学である)UCLAを99年に卒業した後、2000年に帰国した私は英語を使う仕事が少なかった大阪で就職活動をするうちに縁あって、コンピュータ・ハードウェアの業界にバイヤーとして入ることになり、強烈な「秋葉系」の洗礼を受けました。しかし、それは後の私自身にとって大変貴重なスキルと「視点」をもたらしてくれたと思っています。
(初日にパーツの箱を目の前に積み上げられて自分でPCを組み立てろと言われた時にはびっくりしましたが)

その他にもアニメやゲーム、アイドルなど複数のジャンルを抱える秋葉系はその後も日本の一部の消費社会をサポートしてきました。
実際に「Dパラ」や「Jぱら」というお店でも働いてみて思ったことは、彼らの中にある「スキルと知識」に対するレスペクトでした。
そこは年齢も肩書きも外見も、そして下手をすると社会的常識すらも関係ない、ただ力だけが支配する「弱肉強食」の世界だったのです。「知ったかぶり」はある程度は許容されても、「嘘」は通じません。そして各自が自分の専門分野(コア)を持っていて、それを名乗るのが重要だったりします。「私は○○オタクです」と名乗ることにより、自身の素性を明らかにし、互いの専門分野に対しては敬意を表するという世界であるように思いました。(もちろん互いの専門分野が被った場合には激しい会話のやり取りの中で、互いのランクを見極めるみたいです。まるで戦国時代みたいです 笑)

しかし、最近「植物系」に転化していっているとも言われる「草食系」の世界にはこの競争の概念が存在しません。(草食なんだから当たり前ですが)秋葉系を支えていたのは飽くなき向上心だったと思います。そして、互いがスキルや知識に敬意を表することで得られる満足感がそれを支えていたのではないでしょうか。「スゲェ~」とか「さすが~」って言われるのは多くの人にとって快感です。草食系にはそれがありません。これは逆に言うと相手に対して敬意を評していないどころか、単に無関心であるということを指すのかも知れませんし、更に突っ込めば単に「傷つきたくない」という思いからきているのかも知れません。

私の中でTOKYO文化とは、土着の東京の文化ではなく、その一極集中により活性化した人口集中の中で生まれた現代的日本文化のことを指します。それが良いとか悪いということではなく、在外邦人の立場でそれを客観的に分析して、(日本に住んでいる)日本人には見えにくい視点を提示していきたいと考えています。うまくまとまればいいんですが。

立入 勝義 (Katsuyoshi Tachiiri) 作家・コンサルタント・経営者 株式会社ウエスタンアベニュー代表 一般社団法人 日本大富豪連盟 代表理事 特定非営利活動法人 e場所 理事 日米二重生活。4女の父。在米歴20年以上。 主な著書に「ADHDでよかった」(新潮新書)、「Uber革命の真実」「ソーシャルメディア革命」(ともにDiscover21)など計六冊を上梓。