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やしきたかじん さま 今朝起きて最初のニュースがあなたの訃報でした。 それから通勤中の車の中で、ハンドルを握りながら頭のなかでずっとあなたの歌が流れてきて、口ずさんでいました。 もう長いこと海外に住む僕は、日本の芸能人や有名人が死んだからといって、悲しくはなれど涙を流すことは滅多にありません。 しかし今回は別でした。 生粋の大阪人として、青春の一コマを彩ってくれた「お兄さん」のようなその存在が、大阪の街を、そして関西人を活性化するために叫んでくれたあなたのダミ声が、懐かしくてなりません。闘病生活は大変だったのでしょう、したいこともできない生活はさぞや辛かったでしょう、でも惜しくてなりません。

遅くなりましたが、新年明けましておめでとうございます。 いつも当意力ブログをご訪問頂きありがとうございます。 今年は初渡米から20年にあたります。当時19歳で今年は不惑の年を迎えるということで、個人的にも意義深い年にしたいと感じております。

さて、そんなトム・ハンクスが主演し、ここロサンゼルスを舞台にした映画が全米で今月20日より公開される。 世界的名作「メアリー・ポピンズ」(*映画はメリー・ポピンズ)の映画化をめぐる舞台裏のエピソードをテーマにした”Saving Mr. Banks"(邦題:ウォルトディズニーの約束)がそれだ。クリスマス映画興行の目玉であり、ウォルト・ディズニー自身をテーマにした映画自体が極めて稀である。 昨夜Disney Parks Blogが主催するこの映画の招待制試写会イベント"Practically Perfect Preview”がダウンタウンディズニーであり、参加してきた。 ちなみにこのイベントの1日前にはLAでレッドカーペットイベントが開催されている。 日本では来春公開予定らしい。

実は私自身、長野県の意見にはまったく共感できる内容がある。 母子家庭で貧しかったので、小学校卒業と同時に新聞配達を始めたのだが、身体を鍛えたかったので部活も同時にやっていた。(中1では野球部、中2-3では陸上部)しばらくは朝夕刊を配りながら、部活の朝練・夕練も同時にこなしていた。今から考えても無茶である。。。

Tweet (本文に入る前に一言。将棋の格言に「玉は包み込むように寄せよ」というのがある。当連載でもそのようにじわじわ真犯人に迫っていく予定なので、結論を焦らずいましばしご辛抱いただきたい) (前回からの続き) 留学時代、環境学の授業で某教授が「学会全体で無難にコンセンサスが得られるような環境問題は、(私が知る限り)一つしかない」という発言があり、驚いた。そしてそれは当時すでに話題になっていた地球温暖化ではなかった。 この「一つの問題」というのは「生物多様性減少」の問題で、この「多様性」の欠落というのは日本が抱えている社会問題の根幹にも通じていると思う。(詳細は後ほど) さて、相次ぐ過剰編集ややらせの発覚が原因でフジテレビの人気番組「ほこxたて」(タイトルは矛盾の故事に由来)が放送中止になったという。 私自身も好きで何度か見たことがあり、残念だ。視聴者を喜ばせようと思うあまりに製作者側が過剰演出に走ってしまう気持ちは理解できるが、やはり視聴者の期待を裏切る行為はよくない。 日本は見る限りでは温暖化の影響を受けてゲリラ豪雨や大型台風の襲来頻度が増えているように思うのだが、その真偽は別として先日の大型台風26号襲来時に、この「ほこxたて」になぞらえた「最強の台風vs絶対休まない社蓄」というスレッドが某掲示板にあがっているというニュースを見て思わず失笑してしまった。見た方も多いに違いない。 この社蓄という言葉、ツイッターで過激、というより率直な物言いをすることで話題の@May_Romaこと谷本真由美さんの書籍タイトルとしても近頃話題に。(筆者含め)国内のしがらみとあまり関係のない海外在住邦人だからこそ言えることというのもあり、「半沢直樹」の高視聴率が裏づけするように、時に過激な物言いが支持を集めるのは、それだけ日本の社会がストレスとしがらみでがんじがらめになっていることの表れだろう。 言葉の是非はともかく、傍から見るとまるで会社の奴隷に見えるくらいに日本の社会はストレスと拘束だらけで人権が無視されているということなのだろう、そのストレスを発散させるために「癒し」系サービスやグッズが売れる。しかし、これらは対症療法なので、結局ストレスはなくならず、またサービスや商品を買うことになる。こういうのをマッチポンプという。(漫画「カイジ」の地下労働現場の描写はこの点で秀逸である) このストレスの元は何か?そしてそれが少子化にどう関係しているかを少し考えてみたい。今回は退屈にならないよう、グラフなしで説明。 前回までで首都圏を巡る少子化について数字が示しているのは: *男性の20%が生涯独身、女性はその半分(どんどん上昇中) *女性が希望する年収をもった男性はごくごく少数(でも収入気にしない人も多い) *東京では婚姻率は高く、離婚率と出生率は低い。特殊出生率は日本最下位。 *第一次ベビーブームの際には東京の人口は増えていたが、第二次では人口はさほど増えていない。 *日本には非正規雇用を含めて5000万人超の労働者がいる。その多くが首都圏在住。 語弊を恐れずこれを簡潔にまとめると 「東京にはたくさん独身男女がいるのだが、男性は諸々の事情でなかなか結婚に腰が重く、女性は結婚したいが理想の男性にめぐり合えない。結婚しても、今度は出産を思いとどまらせる要因が複数あり、出生率は伸び悩む。が、みんな仕事があるので東京から離れられない。」 となる。 誰の目にも明らかに東京都は飽和している。 コストも高いし、狭い。マイホームなんて都内に住んでいると夢のまた夢なので、多くはより快適な居住空間を求めて都心から離れたところに居を構える。ここで誰もが直面する大きな過密化の弊害が通勤である。以前石原前都知事が、道路が混みすぎているのが問題だと言っていたかと思うが、人口の大半を占める一般市民、「サラリーマン・OL」(そして学生)にとっては朝夕の満員電車のほうがはるかに問題じゃなかろうか。 私自身も東京のラッシュアワーの片鱗を少しだけ体験することができた。(前回は徒歩通勤だった) 中でも一番大変だった時は通勤にバスと電車を乗り継いで片道100分かかった。往復実に200分、3時間超である。(しかも座れる200分ではなく、すし詰め状態の200分、地下鉄では唯一の頼みの綱のスマホも途切れ途切れでニュースすらろくに読めない)たまに早く帰ったと思ったら駅発の終バス発車時刻が午後8時15分だった。これじゃ急いで帰っても間に合わない。結局タクシーに頼るようになり、何をかいわんや。お金と時間があまりにもったいなくて、1ヶ月でギブアップしてしまい、職場の近くに引っ越した。(ある日帰りの電車の中で、あまりの眠さにうっつらしたら両膝がカクンと落ちてとても恥ずかしかったが、周りの人は笑ってなかったので、逆にぞっとした) 日本での社会人経験は少ないが、一応5年以上は大阪と東京で普通のサラリーマンを経験した。だからその観点からしか話せないが、東京でのサラリーマン生活のストレスや推して図るべしである。 こちらによると、平均通勤時間のランキング上位は千葉、神奈川、埼玉、東京と上位5位までに首都圏がランクイン。東京でも88分なので、最低1時間半(往復)となる。 1年だと単純計算で360時間、実に年の二週間以上は通勤に費やすということになり、24年勤めると丸1年を通勤に費やすということになる。これは空恐ろしい。出産というのはあくまでも健全な夫婦生活があってのものだが、これでは夫婦間のセックスレスにも影響しているかも知れない。その上痴漢や痴漢に間違われるなどというリスクもあるので、とにかく疲れ方が半端じゃない、年を取ってくるともっとそうだろう。定年退職まで続けるなんて、正直言って敬服に値する。20代ならともかく、家に帰って子作りする余力や気力が失せると言われたら確かに頷いてしまうだろう。 サラリーマンというのは和製英語だが、実にうまく実情を説明している。この言葉はサラリーマンの形容詞としてよく用いられる「働き蜂」より「ミツバチ」のほうを連想させる。せっせと家族にサラリー(語源は塩)を運んでくる男性ということだ。同じ和製英語でも女性版サラリーマンのOL(英語版のウィキペディアには「昇進の可能性は滅多にない」と解説がつけられている 苦笑)にはこのニュアンスはない。 しかしこれはもちろん日本に限られたことではなく、団塊世代が熱狂したビートルズの名曲「Hard Day’s Night」にもそのような男性の心理描写があるように、万国共通で共感と同情を誘う。男性の遺伝子には「働く」ことや「戦う」ことが組み込まれているのだろう。 “You know I work all day to get you money to buy you things” と、犬(Dog)のように働き、丸太(Log)のように眠る。まさに大都会でのサラリーマンの生活を象徴していると言える。多くの人はお金のために時間を費やす。お金持ちは時間がお金を稼いでくれる。。。 *非正規雇用は少子化をもたらすか ツイッターでの反論で少子化の原因は「非正規雇用が増えたから」というのがあった。反論というか、まだそこに至るまでだったのだが、ここでそれに触れてみよう。バブル経済崩壊以降、終身雇用が崩壊し、派遣や契約社員などの非正規雇用が増加した。正規社員に比べると雇用が安定せず、サラリーも低く、福利厚生なども適用されないなど不利な条件が多い。これを少子化につなげる根拠は、収入が安定しないということだろう。しかしこれからは正規社員であっても、安泰はないと考えるべきだろう。 しかし、ここで一つ疑問を提起したい。「非正規雇用は本当に結婚や出産を制限するのか?」という点である。 少し脱線して、「パートタイム起業」に関する優れたブログ投稿を引用してみたい。アメリカの某ベンチャー起業家の台詞である。 僕はHBOの番組「ボードウォークエンパイア」の大ファンだ。(アメリカに人気のドラマ。禁酒法時代のアトランティックシティを舞台にしている) その番組の中で有名なせりふに「パートタイムのギャングはありえない」というのがある。。。(中略) ギャングと同じように、“パートタイムの起業家もありえない”。これはシンプルな真実だ。自身で起業したいと思うなら、全ての労力を注ぎ込む必要がある。自分の時間の半分だけを使って、会社を立ち上げる事は出来ない。 (出典:パートタイム起業はありえない イノーバブログ) ここでも、分かるのが「起業」というのがなまはんかな努力や決意では成し遂げられないということである。 起業コンサルタントとして講演する際によく、自分の会社は「子供」のようなものだと説明することがあるが、そうして作られた会社の50%は潰れてしまう。だからといって、リスクばかりを考えていたらいつまでも先に進めない。起業するのに最後に必要なのは、独立に踏み込む勇気と決断力である。 これは結婚に似ていないか?「結婚」に本来求められる決意はそれはもちろん大変なものだった。(ちなみに全米の離婚率は50%以上、再婚の度に離婚率は高くなる)そしてその実情は今もまったく変わらないのである。簡単になったような気がするのは「幻想」であり、離婚に対する敷居が低くなったに過ぎない。 また結婚を文化的側面から考えると、日本社会がお見合い結婚から自由恋愛による結婚になった過程で、離婚率が上昇するのはいたしかたないように思える。(こちらに1947年と2010年を比較すると倍である)例えば我が家の祖母は兄弟・姉妹揃って大半がお見合い結婚だった。知る限り離婚したところはゼロである。 (奇しくもベビーブーマーの父と年上の母のもとに生まれた筆者の両親は離婚している) 特に日本でそうなのは、日本型村社会では「ピアプレッシャー」の影響が絶大だからだ。まさに恥の文化である。腰が重いことに着手する際には、誰かに背中をポンと押してもらいたくなる。昔は職場の上司や親族が、身内が適齢期になれば「お前もそろそろ」みたいなのがあったのだろう。(もちろん、離婚が進んだ背景には女性の自立というのもあるだろう。戦後「靴下(ストッキング)と女性は強くなった」といわれたことや、北海道での離婚率の高さの背景に女性の自立心が強いことが挙げられているということからも、離婚率の上昇はある意味女性の自立と社会的地位、経済力の向上でもあった) 非正規雇用だろうと、アルバイトだろうと、本当に当事者同士が結婚したければ、結婚するのではないだろうか。あるいは、結婚を前提にした人生設計を組もうとするはずだ。しかし、昨今の晩婚化と生涯未婚率上昇を見ると、根本のところでこの「結婚神話」が揺らいでいるとしか思えない。腰が重い本当の理由は、本当にそれが自分にとってプラスかどうか分からなくなったからだ。成功させる自信もない。周りに成功例もないし、小遣いや自分の自由な時間がなくなる、子供ができると身動きできなくなる云々リスクばかりが目についてしまう。こう考えると未婚率の上昇と日本に起業家が少ない(=サラリーマンが多い)ことにますます関連性があるように思える。自信もなければ、きっかけもない。震災婚が契機になったのもうなづける。 昔の日本には「甲斐性」という言葉があった。家族を養うのが立派だという価値観だ。「器」の大きさの例としてよく戦国武将や起業家などリーダーシップがもてはやされた。それらが一つのロールモデルを形成していったことを考えると、団塊ジュニア世代にはそれが弱くなっていたように思う。(同様に貞操観念という言葉も死語になり、「失楽園」以降、不倫も文化になってしまった。こちらについても後述) また、社会も昔ほど従業員の家庭生活を尊重していないのではないか。独身のアルバイトやパートタイマー、契約や派遣社員を使い捨てにする風潮がないかを疑ってみたい。 *社蓄は負け組か? 仮に正規雇用だったとして、普通に結婚できたとする。それで幸福を感じられたのだろうか? サラリーマンのことを社蓄と揶揄するような風潮は、高度経済成長期を通過していた日本では存在しなかった。サラリーマンではなく、「ジャパニーズ・ビジネスマン」とリゲインのCMも歌っていたが、キャッチコピーは「24時間戦えますか?」だ。サービス残業どころではなく、家庭もへったくれもない。一部の女性はうんざりしてたことだろう(笑) 世界に打ってでた、トヨタやホンダ、ソニー、任天堂、パナソニックなど大手メーカー、そして旧財閥系に代表される商社マンがまさに24/7のスピリットで世界の前線で大躍進して経済を躍進させた。サラリーマンこそが日本を引っ張っていたのだ。しかし、バブル以降、親方日の丸的、あるいは寄らば大樹の陰的な大企業志向の考え方は終身雇用の崩壊により滅びてしまう。そこに残ったのは実力主義である。 長年忠誠を尽くしてきた会社に使い捨てにされた、騙された、と感じた人は多かったろう。 ここで日本とアメリカで大きな違いがでてくる。同じ実力主義といっても、日本の場合は転職に適応するようなスキル重視の実力主義ではなく、いかに会社で生き残ることができるか、のスキルが重要だ。また東京にあまりにも仕事が集中しすぎている。ここに日本のホワイトカラーがもつ大きな課題がある。日本の雇用市場にはもっともっと柔軟性が必要ではないか。ビジネスライクな実力主義が蔓延するアメリカでは非正規雇用の割合もかなり多い。またパフォーマンスが悪いとすぐにクビになるし、組織的なリストラやレイオフも多い。 しかし日本の企業はよほどのことが無い限り社員をクビにすることはできないのが実情だ。ここに「社蓄」が登場する所以がある。そして社蓄は必ずしも雇用者側にとって都合がいいものであるとも限らない。 この社蓄という概念、私も企業への依存度が極端に高いのはよくないという点では、同調する。大企業に働いているからといって、嵩にきるような高慢な態度で偉そうな発言をする人も多くみてきた。成功者を妬み、「出る杭を打つ」側の典型に映るときがある。自身が多くのものを犠牲にしてストレスまみれの生活をしているからか、どうも独立している人やわが道を行く人に反発する傾向があるのではないか。未来の労働者像としてノマドを標榜するイケダハヤトさんや安藤美冬さんを巡るやり取りの中にも、そういうものが見えてうんざりすることもある。(一方ノマド論に対しても他の「大人」と同様言いたいことはあるが、それはまた別の機会に) が、こと少子化に関する議論の中では、「社蓄」と揶揄されようとも、結婚して子供を養っているのであれば、それは勝者である。子供はお金では買えない。日本の少子化を立派に食い止めている。その点は評価されるべきではなかろうか。 思えば社蓄という陰惨な言葉の前にも、健気に頑張る父親を揶揄する表現はたくさんあった。「ダメオヤジ」というアニメを子供の時に見たときは笑ってたが、今では到底笑えないストーリーだ。せっかく家族のために身を粉にして働いてきた父親を蔑み、隅に追いやる。熟年離婚される。そんな話を聞いて育つ若い世代に結婚の何を期待せよというのだろう。 というわけで、次回はこの企業体質の周辺問題として、日本の経済活動を支えてきた「お父さん」の役割を巡る意識の変化について考えながら、次の犯人の検分を開始したいと思う。 独身に晩婚化、既婚者に少子化をもたらすものの本質は何なのか。それが第一次ベビーブームと第二次ベビーブームでどう違ったのか。逆にいうと、なぜ第一次ベビーブーマーの団塊世代はあれほど子供を産みたがったか。そこには「家庭」を巡る価値観の大きな変革があるというのが筆者の見解である。少し長くなってきたので、男女の性意識を巡る変革の背景にある「真犯人」を追及する前に、次なる容疑者として家庭価値観を崩壊させた「メディア」の功罪、とりわけテレビ番組について、番外的にやや「ゆるめに」解説してみたい。 (続く) Tweet

前回は、ベビーブームを殺した犯人候補として「首都東京」の名前を挙げて筆者なりの検証を開始してみた。 今回はただの人口ではなく、性別、そして結婚という要素も含めて事実関係を掘り下げてみたい。(特殊)出生率に加えて、婚姻率と離婚率を追加してみるとさらに興味深い事実が浮かび上がってくる。。。

Tweet 前回の続き さきほどまでハロウィーンで子供たちを連れてキャンディをもらいにいってきたのに、急にこんなテーマだから気持ちの切り替えが大変だがさておき(笑) なにはともあれ、BLOGOSのおかげでたくさんの方に読んで頂けることはブロガー冥利に尽きる。コメントを頂くことも大変嬉しい。それが「日本に住んでない筆者に日本の何が分かるんだ?」という趣旨のことであってもである。逆に発奮材料となる。 当然だが、私は日本で人生の半分を過ごした。日本に「現在」住んでなくとも日本のことは分かる。(というか昨年末まで1年半住んでたと書いたところだ)それまでも、過去10年ほどは日本とアメリカを行ったりきたりすること数十回。ここ数年はだいたい年に6、7回は往復してる。日本で育ったし、社会人経験もした。家族からも友達からも現状は入ってくるし、ニュースだって毎日読んでる。逆に当事者じゃないほうが客観的な物の見方ができる場合がある。外からこそ見える日本の姿が真実でないとなぜ言い切れよう。そういう趣旨でこの連載を書くことにしたのである。 あらかじめ断っておくと、別に少子高齢化が必ずしも悪いというつもりはない。当ブログで「開国談義」として幾度となく触れてきたことだが、別に国民が総意的に望むのであれば鎖国に戻すことだって問題ないであろう。ここではその是非を問うつもりはない。ただ、それを国民が望むかどうかは非常に懐疑的である。さすがに江戸時代にまで遡ることはないだろうけども、あの悲劇的な戦争が終わってからまだ68年しか経っていない。私の母は戦中生まれだが、地元鶴橋の闇市にでかけていって針金や着物を売ったりしていたらしい。そんな世代より上の世代の方々がまだ日本に生きている。はだしのゲンの描写がどうこうということはあっても、現実はあれよりはるかに惨かったことを忘れるわけにはいかない。(私は貝になりたい、見ましたか?) 課題先進国日本。この現状はあれからがむしゃらに頑張って高度経済成長を遂げた日本だからこそ、通過している痛みかも知れない。少子高齢化は日本が目指したものだったのか、それとも図らずしてなった結果か。現実を受け入れるべきか、打開策を考えるのに躍起になるか。そういう議論を今の世代がしていかないと、子供たちが大きくなった時にひょっとしたら何の夢も希望もない国になっているかも知れない。そんな危惧をもっているのは私だけだろうか。そういう気持ちで書いている。そして、その議論は必ず世界の範にもなりうるはず。 *「東京がベビーブームを殺した」の検証 さて、前回ベビーブームを殺したのは誰かという犯人(特定の人のことではない)についていくつか私なりの目星があると話した。まずは人口の3分の1がサラリーマンであるこの国で、彼らを取り囲む「企業体質」が怪しいということ、しかしその前に「東京」を疑いたい、というところまで書いた。(もちろん、私が考える本当の黒幕はもう少し違うところにある) なぜベビーブームが東京に殺されたという仮説が成り立つのだろうか。 東京は押しも押されもせぬ日本の首都。世界にも通じる大都会だ。私は仕事柄、それなりに世界を旅した経験があるが、東京は世界でもっとも近代的な都市だろう。東京に比べればニューヨークやロサンゼルス、ロンドンなんてど田舎に見える。(別に田舎が悪いと言うつもりはない)清潔で、公共交通手段は密集していて、食事は美味い。東京都の人口は1320万人(平成25年4月1日現在)定義にもよるがいわゆる首都圏の人口は3400~3700万人とされ、世界一。ちなみに日本の国土とカリフォルニア州の面積は大体同じくらいで、関東平野と私の住むロサンゼルス郡の広さがほぼ同じ。しかしカリフォルニアの人口は約3800万人で日本の3分の1以下、ロサンゼルス郡の人口は1000万人弱と東京都の人口よりも少ないのだ。よって人口の密集した東京では公共交通手段が発達し、分布がまばらなロサンゼルスは車社会となる。(突っ込まれる前に自己弁護しておくと、私の大学での専攻は地理・環境学である) さて戦後のベビーブーマー、いわゆる団塊の世代が生まれたのは1947~49年(昭和22~24年)。日本は戦後の高度経済成長をまっしぐらに突き進んでいく。 そして、同時に日本を負かしたアメリカからの影響か、欧米化、というより米国化がどんどん進んでいく。第二次ベビーブーム(1971~74年)の頃この団塊世代は24~26歳。男女共に心身健康な世代、子供をつくるにはうってつけの若さと体力がある時期だ。(経済的にはどうかわからないが)定義からして当然なのだが、第二次ベビーブームを生み出したのは、第一次ベビーブーマー、つまり団塊の世代だ。人口が多いのだから、当然の流れだ。ここで一つの大事な事実がある。団塊ジュニアは第三次ベビーブームを生み出せなかったということだ。でも、団塊ジュニアはブームを殺したわけではない、前回書いたように、本当だったら産みたかったという女性が多くいるのだから。よって殺したのは別の犯人である。   団塊ジュニア世代が24~26歳の頃(平成7~9年)が黄色の枠。明らかにブームはきていない。(4p) *団塊ジュニアとはどういう世代だったか 筆者のような団塊ジュニアを一言で形容するなら「受験戦争」の時代だった。この受験戦争と東京一極集中にも密接な関係がある。首都東京は財・官・民すべてのセクターの中心地である。(アメリカでは州レベルでさえも大体バラバラになっている)受験戦争につきものなのが、「偏差値」という尺度かつラベルであり、これは100点満点のテストと同じように、一元化された尺度である。高は低を兼ねるから高いに越したことはない。 トップはもちろん最高学府東大、その下に一ツ橋や京都大学という一流国立大学が並び、そこから少し離れたところに私大がある。私大の雄は早稲田・慶應、それに続く上智にMARCH。という構図だった。そんなことは誰でも知っているのだが、何が言いたいかというと、あまりにも尺度が一元化されていたがために「多様性」の受け皿がそこにはなかったということだ。東京に一番が揃っていた。今でもそうだ。つまり一番を目指すには地方にいてはいけないことになる。(一番じゃないと駄目ですか?という某議員さんの声が聞こえてくるが、それは今は関係ない) 我々の世代で受験で勝ち進んできた「勝ち組」はみな数字や勝ち負けにこだわる執念をもっている。これは競争力が高いということだが、弱点として柔軟な思考(英語でいうところのOut of Box)の発想が苦手である。中国の役人登用試験「科挙」を基にしてできた受験はそういう制度ではなかったから当然だ。 かくして、東京には優秀な人材が集まる。人があるところにはモノもお金も集まる。美しい女性もイケメンホストも集まれば、投資家だって詐欺師だってやってくる。団塊世代に引きつられて、あるいは自主的に多くの団塊ジュニアが東京にやってきた。霞ヶ関があり、日本の大企業だけでなく、世界の大企業やメディアがまずは東京に本拠地を置く。 今でこそ日本海側の地方都市にある秋田国際教養大学が就職面やアジア地域で高評価とかいうニュースがあるが、そういうことは私の当時ではなかった。 例えば関西一流大学といえば「関関同立」だが、当時東京ではほとんど無名だったか、滑り止めとして認知されてただけだった。我々の世代のヒーローである長淵剛だって、藤子不二雄だって、みんな東京でのサクセスストーリーをもっている。お笑いもそうだ。明石家さんまやダウンタウンを抱える吉本も、今でこそ全国区だが、当時はまだ「いよいよ東京進出!?」と騒がれていたような時代だ。それくらい地方と東京の間には格差があったし、「上京する」というととんでもないことだった。(同級生が東京の某有名私大に現役合格したら、お兄さんから「お前は東京に魂を売ったのか?」とか言われたそうだが、それは単なる関西人のひがみかもしれない) それは新幹線が大きく変革したのかも知れない、が今でもそうは変わっていない。在阪企業の多くが東京に本社機能あるいは、社長や役員の席を移した。震災後より安全な大阪に拠点を移そうという動きもあったが、すぐになくなった。生粋の大阪人の私にはそれがよくわかる。大阪府は神奈川県に人口で負けたが、日本第二の規模の都市である。そこにいても、東京と大阪はあらゆることにおいて規模がまったく違う。2000年に帰国して社会人最初の仕事を探していた時、先にアメリカから帰った元ルームメイトから「東京と大阪では市場が100倍くらい違う」と言われた。英語を使う仕事といえば、貿易か外資系くらいだが、2000年当時大阪には数えるくらいの外資系企業しかなかった。ITやゲーム業界でもまったく同じことが言える。東京に住むかどうかは別としても、東京攻略は国内市場を攻略する上で根幹である。 バブルの時には狂乱芝居があちこちで繰り広げられた東京。そして、不況になってもまた仕事を求めて多くの人が東京に活路を見出そうとやってくる。 かくして東京の人口は増加の一途である。これは人口密度を見たら一目瞭然。しかしである。東京の人口は増えていても、出生率はダントツで国内最低になっているのはご存知だろうか? 次の二つの図をご覧頂きたい。     (出典:平成24年人口動態統計月報年計(概数)の概況(厚生労働省)) 繰り返しになるが、東京は日本で一番人が密集しているところだ。生活コストも高く、土地も狭い。結果的に二人が結婚しても子供は一人いるかいないか、ということになる。つまり東京は日本の人口増加に歯止めをかけている最大要因の一つということであり、それは見方によるとゆゆしき事実である。地方のおじいさん、おばあさんからすると若い世代をがっつり東京にもっていかれて、更に子供を生み増やしてくれるわけでもないのだから。 では戦後のベビーブームの頃はどうだったか。東京の人口推移に関してはこのブログに詳しい。 (東京都 総務局統計部 東京都の統計 人口の動き(平成20年中) 参考表4 )   もっと分かりやすいのがこちら(東京都人口)   当時東京の人口は激増しているのが分かる。それもそのはず、1947年というのは戦後2年である。日本はまだ焼け野原だったのだ。1945年の時点では東京の人口は日本人口の5%ほどしかなかったのだが、これが10年ほどすると10%に迫っている。東京には人が流入しただけでなく、流入した人々が子供をどんどん増やしたということだ。ここに一つのカギがあるかも知れない。 当時と今の東京の比較をもう少し続けてみよう。実は男女比にも大きな変化があることがわかった。 そして、少子高齢化には悩んでいないアメリカとも比較してみよう。(続く)               Tweet

私がいるアメリカでは、人口は増え続けている。もう人生の半分をこちらで過ごしているので、日米比較の観点から日本の少子高齢化問題について考えることが多い。 その中で、実はこの問題には複数の黒幕、つまり犯人がいるのではないかという筆者なりの結論にたどり着きつつある。課題先進国といわれるわが国の現状を突き詰めて考えることは他の先進国にも有益なはずである。 というわけで、「ベビーブームを殺したのは誰か?」というトピックで5-6回ほどの連載を開始してみようと思った。その中で、筆者の容疑者リストに挙げられた何人(?)かの犯人候補についてディベート形式で検証しながら黒幕である真犯人にたどり着きたいと思っている。 原因を突き止めることができれば、ひょっとすれば提案までできる、かも知れない。

おかげさまで当意力ブログがBLOGOSに参加することになりました。有難いことです。 さて、表題の通り日本の未来を巡って教育と財源を管轄する二大省庁が積極的な議論を展開しているようです。個人的には経産省の意見も聴いてみたいですが、もっとクールにと、とかいうコメントがでるんでしょうか。 我々団塊ジュニア世代は、結局次のベビーブームを生み出すことができませんでした。(個人的には人口を4人増やしましたが 笑) 果たして日本の将来を的確に見据えているのはどちらなのでしょう。

日本にいる友人からの情報によると、最近日本では海外在住日本人が異なる文化習慣に苦労しているという番組が流行っているそうだが、男女間格差が根強いイメージのあるイスラム圏と日本は実は順位で大して変わらないという驚愕の事実がここで明らかになると、笑うに笑えない。先進国最下位というのもなんとも情けない。 これをどう考えるか。